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第343回 『洞窟の哲人』 〜 『高度な専門知識と幅広い教養』 〜

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 2023年8月30日 筆者が代表を務める『南原繁研究会』の『第20回南原繁シンポジウム』(11月3日 学士会館に於いて)のZoom『顔合わせと意見交換会』に参加した。 テーマは『南原繁における政治と宗教~南原繁再考〜』である。  第20回南原繁シンポジウム・コーディネーター 大園誠氏から【【趣旨】:南原繁(1889-1974)没後30年にあたる2004年に発足した南原繁研究会が毎年開催してきた『南原繁シンポジウム』も、今年で第20回を数えるに至りました。 われわれは、南原繁没後50年にあたる2024年に向けて、2年にわたって、あらためて政治哲学者・南原繁の思想や業績を振り返り、その現代的意義を再考するため、第1弾の今年は『政治と宗教』、第2弾の来年は『戦争と平和』という視点・観点からアプローチを試みたいと思います。――】と紹介されている。  昨年(2022年11月3日)の第19回 南原繁シンポジウム『日本の近現代史における南原繁 〜「明治維新から敗戦まで」と「戦後日本」における役割 〜』(学士会館に於いて)の開催にあたって筆者は、下記を述べた。  【南原繁シンポジウムは、2004年に第1回が始まり、『継続は力なり』を実感する。 南原繁は、新渡戸稲造(1862-1933)と内村鑑三(1861-1930)から大きな影響を受けた。 新渡戸稲造は、日露戦争後7年間、第一高等学校の校長を務めているが、南原繁は新渡戸稲造校長時代の一高で学び、影響を受けた。 一高時代、南原繁は『聖書之研究』を読み始め、東大法学部に入学後、内村鑑三の聖書講義に出席するようになった。 東大卒業後の南原繁は、内務官僚から学者に転進し、ヨーロッパ留学を経て東大教授となり、政治学史を担当、政治哲学を深めていき重要な著作を発表する。 そして戦争中は社会的発言は意識的に控え、ひたすらに学問に打ち込む。 その態度をして、『洞窟の哲人』と呼ばれたほどである。―― 私は、南原繁が東大総長時代の法学部と医学部の学生であった二人の恩師から、南原繁の風貌、人となりを直接うかがうことが出来た。 南原繁は、『高度な専門知識と幅広い教養』を兼ね備え『視野狭窄にならず、複眼の思考を持ち、教養を深め、時代を読む具眼の士』と教わったものである。】

第342回 『暇そうにしている』 〜 どのように向き合っていけば良いのか? 〜

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2023年8月26日、歌手の森祐理氏からラジオ番組の出演を依頼された。 Q1. 今、2人に1人がガンになる時代と言われます。ガン哲学外来というのは、どのような働きなのでしょうか? Q2. それを始めるきっかけは、なんだったのでしょうか? Q3. そこから各地で『ガン哲学外来カフェ(メディカルカフェ)』が誕生していますね。 今、どれくらい広がって、どのような働きをされているのでしょうか? Q4. もしガンと宣告されたら、私たちはどのように生きれば良いでしょうか?  Q5.身近な人がガンになった時、私たちはどのように向き合っていけばよいでしょうか? Q6.樋野先生が、患者さんやそのご家族、そして番組をお聴きのリスナーの方々へ 伝えていきたいメッセージはなんでしょうか。 Q7. 樋野先生は、各地を飛び回って講演をなさっておられます。 大変お忙しいと思いますが、『暇そうにしている』ことが大切とのこと、それはどうしてなのでしょうか? Q8 小学生から、樋野先生の夢を聴かれたそうですね。 ぜひ、先生の夢を教えてください。(天国で、7人の侍とカフェすること等、お聞かせください) Q9. 様々な苦しみを抱えているリスナーの方々へ、メッセージをどうぞ! などなどの多数の真摯な質問が寄せられた。 大いに感動した。 8月27日は、 東久留米で『がん哲学外来・カフェ』と『読書会』である。 『読書会』は、2007年12月9日 CAJで始めた。 新渡戸稲造(1862-1933)著『武士道』(1899年)(矢内原忠雄[1893-1961]訳)と 内村鑑三(1861-1930)著『代表的日本人』(1908年)(鈴木範久訳)の読書会を、毎月交互に開催している。 新渡戸稲造も 内村鑑三も 英語で本を書いている。 英語で、日本(人)を深く、広く紹介出来た人物は『茶の本』を 英語で書いた岡倉天心(1863 -1913)の3人ではなかろうか! 今回は、新渡戸稲造著『武士道』第16章『武士道はなお生くるか』で、中嶋いつ子氏、三国浩晃氏2人で音読を担当される。    

第341回 『希望 推進力』 〜 『必ず運命が開ける』 〜

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 2023年8月22日第105回『がん哲学外来メディカル・カフェ@よどばし』(淀橋教会に於いて)に赴いた。 最初に、恒例の『365日の紙飛行機』を熱唱した。 今回も『いつの間にか 飛ばせるようになる それが 希望 推進力だ』の歌詞が心に沁みた。 その後、筆者は壇上から講話し、多数の質問を受けた。 ひらがなの『がん』と漢字の『癌』、使い分けはどのようにするのですか。『がん哲学外来』はなぜ『がん』と、ひらがなの表記を使っているのですか。 『ほっとけ、気にするな』とは、子どもにも同じように使うことができますか。例えば いじめられている子に『ほっとけ、気にするな』とアドバイスしてもいいのでしょうか。『気にするな』とか『相手にするな』と言ってやりたいと思いますが、それでは すまない状況があるようです。 先生は睡眠時間が4時間ほどでしょうか? 途中で眠くなることはないのですか? などなど15以上の真摯な質問に、筆者は全力で回答した。  今回、参加された方から『内村鑑三の言葉』が記載されている資料を頂いた。 大いに感動した。 『人生について 偉大な希望を抱くものは、決して急がない。 機会はいくらでも来る。 よく忍耐して待つ。それが真正の勇者である。』 『やろうと思ったら 勇ましくやって見よ。 必ず運命が開ける。 失敗したら、失敗してよい。 それを恐れて 万事に気を配るから、何もできないのである。』  筆者は『総括』し、皆様で『糸』を歌い、終えた。 大変有意義な、貴重な時であった。

第340回 『科学的 & 哲学的』な思考 〜 『暇=日間=光が差し込む』 〜

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 2023年8月20日【がん哲学外来白鷺メディカル・カフェ開設8周年記念:映画『がんと生きる言葉の処方箋』上映会&トークセッション】に赴く。事前に、代表の太田和歌子氏から『がん哲学外来を始めるきっかけは何ですか?』の質問を受けた。  筆者は、若き日より、【内村鑑三(1861−1930)、新渡戸稲造(1862-1933)、南原繁(1889-1974)、矢内原忠雄(1893-1961)】の書物を、夜を徹して、精読したものである。 筆者は、『がん哲学』を2001年に提唱し、2005年に順天堂大学医学部附属順天堂医院で開設された『アスベスト・中皮腫外来』を通じて、『医療者と患者の対話』の重要性を認識し、【『がん研究で得られた科学的思考』を持って、『がんに哲学的な考え方を取り入れていくという立場』で『医療現場と患者の間にある「隙間」』を埋め、『対話の中で病気の不安や悩みの解消』を図る】ために、 2008年に『がん哲学外来』を始めることになった。 『矢内原忠雄記念 本郷通りカフェ』主催の『訪問看護ステーション』の看護師さんが、2016年に『樋野先生の相関図』を作成された。 大いに感服したものである。 矢内原忠雄は『本郷通りに、悩める学生の為に、カフェを開くのが、夢』を果たせずに、1961年12月25日に胃癌で逝去した。『がん哲学外来』を始めたきっかけは、『矢内原忠雄の夢の継承』の為でもあった。 『南原繁・矢内原忠雄』は、戦後の東大総長を務めた(12年間)。 筆者は19歳の浪人時代に、南原繁の教え子に邂逅し、今は、『南原繁研究会の代表』を仰せつかっている。 本当に、【『人生の邂逅』の不思議さ】を実感する今日この頃である。 『新渡戸稲造』は旧制第一高等学校校長時代、アパートを借りて、毎週木曜日午後、悩める学生たちのために、みんなが集まれる場所を提供した。 進路や勉学のことで『思い悩んでいる学生が 相談したくなるような懐の深さ、そんな魅力を持った人物』であったと言えよう。 【『がん哲学外来』での面談者に出す『言葉の処方箋』は、『内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄』から学んだ『人生哲学のエッセンス』=『暇=日間=光が差し込む』】でもある。    

第339回 「実存的空虚の克服」 〜 訓練・修練の用意 〜

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 2023年8月17日、東京都中野区の新渡戸記念中野総合病院 新渡戸稲造記念センターから、同じ中野区にある『いのちのことば社』での、新刊【がん病理学者が読む聖書『ヨブ記』:なぜ、こんな目に あわなけらば ならないのか】の最終校正と打ち合わせに赴く。 時代的要請を実感する。 『一生』という時間のなかで、我々は『ヨブ』のように、いろいろな経験をする。 人間関係がうまくいかない 仕事がうまくいかない 病気になって治療がうまくいかない 体調管理がうまくいかない 最近、筆者は、『樋野流 人生哲学』の5か条を、質問されることが多い。 1)「姿勢」 2)「みだりに 他人に干渉しない」 3) 「お節介ばかりして、締まりのない歩み方をしない」 4) 「うわさ話や 余計なお節介 をしない」 5) 「実存的空虚の克服」 旧約聖書 箴言6章16〜19節の『憎むもの7つ』が鮮明に思い出された。 1)『高ぶる目』 2)『偽りの舌』 3)『罪のない者に血を流す手』 4)『邪悪な計画を細工する心』 5)『悪へ走るに速いあし』 6)『まやかしを吹聴する偽りの証人』 7)『兄弟の間に争いをひき起こす者』  まさに、『あなたがたのうちにある希望について 説明を求める人には、だれにでも いつでも 弁明できる用意をしなさい』(ペテロI 3章15節)である。『胆力と器量』の訓練・修練の日々である。

第338回 つなぐ対話 〜 働かせて益とする 〜

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 2023年8月12日、韓国のソウルにあるミョンジ大学の先生から講演を依頼された。 10月31日の予定のようである。 韓国語通訳付きとのことである。   今年の1月22日、ソウルから来日された弁護士の親子とwifeとで後楽園の東京ドームシティーを散策した。【「Thank you so much for such a warm welcome on our first visit to Japan.  Yewon and Jason said they had a lot of fun today!  --- I look forward to exploring Tokyo, which is a wonderful place.  I hope you visit Korea sometime as well.  I will look forward to reading your books when I go back to Korea!  Good reason to get them started on learning Japanese.】との心温まるメールを頂いたものである。 お子様が日本語を学び 将来 筆者の本を韓国語に翻訳される予感がする。   また、【日本の医師、樋野興夫先生の『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』という本の翻訳版です。 最近、韓国では 樋野先生の本がブームらしいです。』】との励ましのメールを頂いたものである。 筆者は以前 ソウル大学で講演の機会を与えられたことが鮮明に思い出された。   8月13日『静岡グレースがんカフェ』(静岡教会・グレースチャペルに於いて)での講演に招待された。 『ひばりヶ丘→池袋→東京→静岡の旅』であった。 新幹線の窓から、雲の上の壮大な富士山を眺めた。 大いに心が癒された。 筆者の本の外国語訳も話題になった。 英語、中国語、韓国語、ベトナム語に訳されている。 日本で在住の韓国の方も参加されて居り、特に韓国語について語った。  10月13日は、ICU(国際基督教大学)から『真の国際人 〜 個性と多様性をつなぐ対話に向けて(A Truly International Person: Towards a Dialogue Connecting Individuality and Divers

第337回 大きな出会に遭遇 〜 人生の起点と機軸 〜

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 2023年8月8日、姉から、島根県の故郷の出雲市大社町鵜峠(うど)は、現在 人口37名(在住の家は、25軒家)であるとの連絡があった。    今から約1300年前、712年に編纂された『古事記』に登場する、医療の原点を教えてくれる大国主命の出雲大社から、8キロほど、峠を越えて美しい日本海に面した小さな村が、筆者の生まれ育った島根県出雲市大社町鵜峠(うど)である。 隣の鷺浦(さぎうら)は、人口115人64軒家とのことである。 合わせて、鵜鷺(うさぎ)と呼ばれている。 713年に編纂が命じられたという『出雲国風土記』にも登場する歴史ある地である。  筆者の故郷(鵜峠)は無医村であり、幼年期、熱を出しては母に背負われて、峠のトンネルを通って、隣の村(鷺浦)の診療所に行った体験が、今でも脳裏に焼き付いている。 筆者は、人生3歳にして医者になろうと思ったようである。   小学校の卒業式の来賓の挨拶『少年よ、大志を抱け/ボーイズ・ビー・アンビシャス (boys be ambitious)』[1887年 札幌農学校のウィリアム・クラーク(1826-1886)の言葉]を強烈に覚えている。 筆者の人生の起点であると言っても過言でなかろう。 その後、人生の機軸でなる『内村鑑三(1861-1930)& 新渡戸稲造(1862-1933)』へと導かれ、『南原繁(1889-1974) & 矢内原忠雄(1893-1961)』との間接的な出会いが与えられた。 英文で1894年に刊行された内村鑑三著『代表的日本人』(Representative Men of Japan) と1899年に刊行された新渡戸稲造著『武士道』(英語: Bushido: The Soul of Japan)は、若き日からの座右の書である。 2007年から、東久留米市で、毎月、交互に この2冊の読書会を行なっている。 今、4巡目である。 何回読んでも新鮮で、大きな学びの日々である。   医師になり、すぐ、癌研究会癌研究所の病理部に入った。 そこで、また大きな出会いに遭遇したのであった。 病理学者の、当時の癌研究所所長であった菅野晴夫先生(1925-2016)と、菅野晴夫先生の恩師吉田富三(1903-1973)である。

第336回 『架け橋』 〜 壁を破る希望の言葉 〜

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 【『道元(1200~1253)は、宋(960~1279)の時代だそうです。 普通に、留学生のようです。 道元より前に、やはり宗に行った栄西(1141~1215)(臨済宗)がいます。 彼は、お茶を持ち帰り、お薬として広めました。』&『中国から お茶を日本に持ってきたのが 「日本の茶文化」のはじまり』】と東京都青梅市にある天寧寺(てんねいじ)の『住職の奥様』から学識のあるメールを頂いた。 天寧寺は、曹洞宗の寺院で、曹洞宗を日本で開いたのは道元である。 筆者は、今年(2023年6月4日)の天寧寺での講演が鮮明に想い出された。  筆者は、若き日、『空海(774~835)は新約聖書、最澄(766 or 767~822)は旧約聖書を唐から持ち帰ってきた』と聞いたもである。 まさに、【『空海、最澄、道元、法然(1133~1212)、親鸞(1173~1262)』と『イエス(1~33)』の『架け橋』が日本文化の原点】ではなかろうか! 法然の『浄土宗』の檀家で生まれた筆者は、青春時代、親鸞(浄土真宗)の『歎異抄』を熟読した。 それが、内村鑑三(1861~1930)の『代表的日本人』(1894年)と新渡戸稲造(1862~1933)の『武士道』(1900年)に繋がった。『筆者の人生の原点』でもある。  また、【『かぐや姫(『竹取物語』の登場人物である月人の女性)』の現代的意義を述べよ!】との宿題を出した。 早速、【『架け橋』でも 誰と誰のか、と言われると 月と地球? ということは、いろいろなことを地球規模で考える。 日本とか世界とか ではなく まるッと地球で考える。 宇宙の中の地球。→ 太古の人間に立ち返る。ということに いきつきました。】との壮大なスケールの回答を頂いた。  2025年、筆者が理事長を務める『日本地域医療連携システム学会』&『日本Medical Village学会』が、青梅市の医師が大会長して開催されるようである。まさに、『架け橋』がテーマとなろう。 新渡戸稲造の『我、太平洋の橋とならん』の原点回帰の時であろう! このタミングで、新刊『新渡戸稲造 〜 壁を破る言葉 〜』が出版され、『いまこそ知りたい「希望の言葉」』となれば望外の喜びである。