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第161回 内村鑑三『代表的日本人』& 新渡戸稲造『武士道』& 岡倉天心『茶の本』

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 昨日(2020年8月26日)、『目白がん哲学外来カフェ』4周年記念講演会に赴いた。 会場では、『病気であっても病人ではない』、『八方塞がりでも、天は開いている』の筆者のカードの絵葉書が、配布されていた。  代表の森 尚子氏、スタッフの熱意、心温まるおもてなし には大いに感動した。 司会は、この度、重版が決まった『教会でもがん哲学外来カフェを始めよう』(日本キリスト教団出版局)を担当された 土肥研一牧師であった。 ピアノ演奏、各地で『がん哲学外来カフェ』の代表されている4人のパネルディスカッションもあり、本当に貴重なひと時であった。 筆者は別室で、個人面談の機会も与えられた。 コロナ時代、定員制限もあったが、来年の5周年記念講演会が楽しみである!  早速「樋野先生のご講演は、何度聞いても心に響き、力をもらえます。がんも、コロナも忍耐あるのみですね。」との、感想を頂いた。  そして、終了後、有志との池袋での昼食会は、「人生論」で大いに盛り上がった。各カフェでのニュースレターの発行も話題になり、早速、『岡倉天心 記念 がん哲学外来・巣鴨カフェ「桜」』代表の 山本ひろみ 氏からは、原稿を依頼された。 筆者は、若き日から、英語で書かれ、日本の文化・思想を西欧社会に紹介した内村鑑三 (1861-1930)の『代表的日本人』(1894年)、新渡戸稲造 (1862-1933)の『武士道』(1900年)、岡倉天心(1863-1913)の『茶の本』(1906年)を 繰り返し熟読したものである。 「おのれの地歩を 失わず他人に譲ることが 浮世芝居の成功の秘訣である。」(岡倉天心)。 今回は、人生邂逅の3大法則「良き先生との出会い、良き友との出会い、良き読書との出会い」の再確認の時でもあった。

第160回 『がん哲学外来・カフェ』in 中野区 〜 心が通じ合う人と出会う〜

 『がん哲学外来・カフェ』は、今や全国で180箇所以上とのことである。 驚きである。 先日「新渡戸稲造研究センター in 新渡戸記念中野総合病院」からの帰りに「東中野キングス・ガーデン」に立ち寄った。『がん哲学外来 東中野メディカルカフェ』開設から 今年は早5周年とのことである。 中野区には下記の3箇所がある。『がん哲学外来 東中野メディカルカフェ』(東中野キングス・ガーデン 担当者:奥山 寧)、『新渡戸記念中野総合病院 がん哲学外来』(新渡戸記念中野総合病院 代表者:入江徹也 担当者:髙村千世乃)、『がん哲学堂カフェ』(在宅療養支援診 中野ひだまりクリニック 代表・担当者:小見山博光)。 いつか、合同シンポジウムが 開催される予感がする。  今年の4月 東京医療生活協同組合に「新渡戸稲造記念センター」が設立された。 『「新渡戸稲造記念センター」は、東京医療利用組合(現・東京医療生活協同組合)の初代組合長(理事長)である新渡戸稲造博士の志(こころざし)を日本の国内外へ広め、実践する拠点となります。 「新渡戸稲造記念センター」のセンター長には、新渡戸稲造博士の専門家として本邦の第一人者で、新渡戸博士の志を継承して活躍されている樋野興夫先生が就任されました。』 と身に余る、心温まる紹介がされている。2003年に初版『われ21世紀の新渡戸とならん』、2018年に新訂版、2019年4月には 英語版『I Want to Be the 21 st Century Inazo Nitobe』が発行された。人知を超えて、時は進んでいる。  筆者の故郷は無医村であり、幼年期、熱を出しては 今は亡き母に背負われて、隣の村の診療所に行った体験が、脳裏に焼き付いている。 強い印象を与えた言葉は、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」(boys be ambitious) である。札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。クラーク精神が 新渡戸稲造(1862-1933)、内村鑑三(1861-1930)を生んだ。その後 南原 繁(1889-1974)、矢内原忠雄(1893-1961)も学んだ。「『生活環境や 言葉が違っても 心が通えば友達であり、心が通じ合う人と 出会うことが人間の一番の楽

第159回 「自らを教材として示す風貌」 〜 「退屈するな !」 〜

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 猛暑の日々である。   今日は   盆の入り(8月13日)である(盆明け:8月16日)。   コロナ時代で、行事、講演会が中止・延期となり自宅で、読書、音楽(「四季の歌」、「夏の思い出」 etc. )を聴く時間が多くなった。   また、「夏暑ければこそ   稲が繁る」(新渡戸稲造)、「物に   退屈するな」(豊臣秀吉)が、思い出された。  雑誌『呼吸器内科』 の筆者の「アスベスト・中皮腫外来と検診」が送られてきた 。  「日中医学協会」からは、『日中の懸け橋』~「日中のがん告知の現状と相違」~ 特集を依頼された。   2017年 、北京大学腫瘍病院で、中国語訳出版記念講演会(北京大学出版社主催)に招待された のが   鮮明に蘇ってきた 。 https://mp.weixin.qq.com/s/ Aym9_b4Fb017H4kBIZyy_Q?     バーチャルな「国際環境発がん制御研究センター」 https://www.juntendo.ac.jp/graduate/laboratory/labo/bunshi_byori/iecprc/ は医学教育と密接な関連をもつ。「昔の命題は、今日の命題であり、将来のそれでもある」ことを 実感する学びの時である。「底力のある真のリーダー」の人材育成でもある。「賢明な寛容」を備えた「真の国際性」を目指したいものである。 1) 「高い純度のある専門性」と「文化的包容力」 2) 「自らを教材として示す風貌」と「器量と度量」 3) 「30年先を明日の如く」語る「胆力と先見性」 「潜在的な需要の発掘」と「問題の設定」を提示し、「新鮮なインパクト」を与えることは、時代的要請であろう!  

第158回 現代に求められる教養 〜 人生の邂逅 〜

 順天堂大学 Zoom授業『がん医療科学』に赴いた。 教科書に『楕円形のこころ 〜 がん哲学エッセンス 〜』(春秋社)を用いて音読した。 今回の箇所は、「楕円形の精神で生きる:楕円形は懐が深い、尊いいのち、ほんものの教え、人生の目的を考える、多様性の統一、肝臓から学ぶ平和論」、「がん哲学を考える:あなたの細胞、がんは賢い、がんの姿、がん哲学の誕生」であった。 多数の真摯な質問があった。「先生は、何故、多数の本を書かれるようになられましたか?」との真剣な問いもあり、振り返ってみた。  筆者の最初の本は『われ21世紀の 新渡戸と ならん』(イーグレープ刊 2003年)である。 思えば、筆者は、学会関係の広報誌の編集後記を 依頼され 3年間(2001〜2003年)にわたって 連載した文章が『われ21世紀の 新渡戸とならん』として出版された。 その編集スタッフと 最初に出会ったのは、 1999年であったようである。 1999年は、筆者が 今は亡き 原田明夫 検事総長と 出会った年でもある。 そして、2000年 国連大学で 新渡戸稲造(1862~1933)の『武士道100周年』記念シンポジウムを開催した。2020年の今年は「イーグレープ」から新刊の発行とのことである。本当に、不思議な人生の邂逅である。 1年間、ある新聞に 連載された『21世紀のエマオへの道 〜 先人の志を継承しつつ』の「単行本化」が、『がん哲学』(to be 出版、2004年3月7日発行)となった。「to be 出版」の語源は、「『何かをなす (to do) 前に、何かである (to be) ということを まず考えよ』ということが、(新渡戸稲造 先生の)一番大事な 考えであったと思います」(南原繁)から 誕生している。 その後、『現代に求められる教養 を問う 〜 新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄、吉田富三に学ぶ 〜』(鴨下重彦 編 2005年3月7日発行)、『南原繁と現代 〜 今問われているもの』(南原繁研究会 編 2005年3月7日発行)も「to be 出版」の名で発行された。 3月7日は 筆者の誕生日でもある。  今週、幻冬舎から 日本語版『明日この世を去るとしても、今日の花に~』の、韓国版(韓国の翻訳出版)の重版決定の 知らせを受けた。 驚きである。