第552回 『多様性と内容性を伴なう』 〜 『実践を導き出さない理論は空虚である』〜
2026年5月29日 病理組織診断業務に赴いた。 【顕微鏡を見て病気を診断する=森を診て木の皮まで診る=丁寧な観察力の修練】である。 2001年の『がん哲学』の提唱の原点であり、順天堂大学病院で2005年『アスベスト・中皮腫外来』、2008年【『病気』であっても『病人』ではない社会の構築=『がん哲学外来』】が開設されたものである。 夕方は、2004年にスタートした南原繁(1889-1974)研究会の3代目の代表を仰せつかっていている筆者は、Zoom会議『南原繁研究会 5月研究会(第254回)』に参加した。 今回は【第23回南原繁シンポジウム企画書/ 南原繁セミナーについて/ 研究会編2026年刊行書について/ 読書会『政治哲学序説』第2章 53-112頁/ 自由発表】のテーマであった。 『価値は単に形式概念にとどまらず、必ずや多様性と内容性とを伴なうからである』 & 『理論なき実践は無意味であり、また実践を導き出さない理論は空虚である』 の復学の時ともなった。 【南原繁は、内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造(1862-1933)から大きな影響を受けた。 新渡戸稲造は、日露戦争後7年間、第一高等学校の校長を務めているが、南原繁は新渡戸稲造校長時代の一高で学び、影響を受けた。 一高時代、南原繁は『聖書之研究』を読み始め、東大法学部に入学後、内村鑑三の聖書講義に出席するようになった。 東大卒業後の南原繁は、内務官僚から学者に転進し、ヨーロッパ留学を経て東大教授となり、政治学史を担当、政治哲学を深めていき重要な著作を発表する。 そして戦争中は 社会的発言は意識的に控え、ひたすらに 学問に打ち込む。 その態度をして、『洞窟の哲人』と呼ばれたほどである。 しかし1945年3月10日の東京大空襲の前日に法学部長に就任、日本の敗色濃厚となった中で、法学部の有力教授たちと終戦工作を相談し、重臣らと接触した。 そして戦後、東大総長に就任、国家の再建を呼びかけ、戦後改革の理想を掲げて、ことに教育改革に主導的役割を果して行く。】 筆者は、南原繁が東大総長時代の法学部と医学部の学生であった二人の恩師から、【南原繁は『高度な専門知識と幅広い教養』を兼ね備え『視野狭窄にならず、複眼の思考を持ち、教養を深め、時代を読む
具眼の士』】と教わったものである。それが、2003年...