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第536回 『心の通じる対話の場』〜『親切な人間学の学び』

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 筆者は、2026年 3月7日(土)、 雪の積もる 群馬県の万座温泉日進館(標高1800メートル)での【『2026年 メディカル・ヴィレッジ in 嬬恋村 がん哲学外来カフェ in 万座』〜『樋野先生お誕生日お祝い会』〜】に赴いた。  千葉県、埼玉県、東京都、神奈川県、長野県からも参加されていた。  『お祝いの会(宴会)』で、芸術大学の学生が制作された絵画を Wifeがプレゼントしてくれた。 ただただ感謝である。 涙無くして語れない!    ロビーで講演『縦と横. バランスがとれる』の機会が与えられた。 ロビーから複数の質問が寄せられた。 大いに感動した。 その後、懇談会であった。 3月8日(日)午前中  2012年 万座温泉日進舘で開設された『がん哲学外来カフェ』であった。【『2026年 メディカル・ヴィレッジ in 嬬恋村 がん哲学外来カフェ in 万座』〜『樋野先生お誕生日お祝い会』〜】の『記念誌』が作成されるとのことである。 ただただ感服する。   3月10日 Wifeは、都内で【English Cancer Philosophy Café:A place for cancer patients, survivors, their families and friends to come together and support one another. 10:00am-12:00pm】を行う。  筆者は、新渡戸稲造記念センター ―> 『がん哲学外来メディカル・カフェ@よどばし』(淀橋教会に於いて)に赴く。『がん哲学外来メディカル・カフェ@よどばし』は、2014年7月6日(日)にスタートされた。 今回は第133回である。 継続の大切さを実感する日々である。 何時も、『365日の紙飛行機』の熱唱で始まり、『糸』を合唱して終える。  7月26日(日)は『メディカル・カフェ@よどばし12周年記念講演会』が企画される様である。 【『がん哲学外来』とは、がんと告知されてから、あなたが考える『悩み・不安・想い・願望』などを 直に聴いて『解消できる道』を 一緒に探し『医療の隙間』を埋める活動です。 がんを患うご本人だけでなく、支えられている家族の方々の相談も行います。 今や世界的にも注目されてい...

第535回 『幼年時代の想い出』 〜 脳裏に焼き付いている 〜

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 2026年3月3日は、アメリカ合衆国ミシガン州在住の娘の誕生日で、今日(3月4日)は、孫の8才の誕生で、3月7日は 筆者の誕生日である。今週は、『誕生日 3連チャン症候群』である。 3月4日、自宅から壮大な品格のある『雪の積もる富士山(3776m)』を眺め 大いに心が癒された。【筆者の誕生の年(1954年3月7日)の母の元旦の夢が『富士山』であり、幼児の時から『富士山子』と呼ばれて 育ったものである】。『幼年時代のインプリンテイングは 生涯に影響を与える愛情の原点』となろう!    筆者の母の兄達は、太平洋戦争で戦死し、末っ子の母が家を継いだ。 そして、祖父 (1888-1972)から 家を継いだ末娘(母)の3人の子供の末っ子の長男:筆者に『家を興(おこ)す = 樋野興夫 = ひのおきお = Origin of Fire』と命名されたと、膝に抱かれて聞かされた『幼年時代の想い出』が蘇ってくる。 そして、『われ Origin of fire:樋野興夫(ひの おきお = 火のおきを!):たらん』(to be 出版 2005年)の発行が実現したものである。   筆者の母(1923年2月20日 〜 2019年6月3日)は、島根県出雲市大社町鵜峠(うど)の自宅に於いて、安らかに 96歳の天寿を全うした。 故郷は無医村であり、幼年期、熱を出しては 母に背負われて、暗闇の長いトンネルを通って、隣の村:鷺浦(さぎうら)の診療所に行った体験が、今でも脳裏に焼き付いている。 そして、筆者は、『人生3歳にして医者になろう』と思ったようである。  母校の鵜鷺【鵜峠+鷺浦 = 鵜鷺(うさぎ)小学校、中学校】は、既に廃校になった。  小学校5年生の時 担任の先生から命令され、毎日、日記を書いて登校した。 それが、今の毎週5つのブログの執筆に繋がったものである。『不思議な 人生の不連続の連続性』を痛感する日々である。  筆者の父は、92歳で鵜峠の自宅に於いて逝去した(1921〜2013)。 父は婿養子で、貨物船やタンカーの機関長であった。 筆者は、小学生、中学生時代の夏休み、母と父の船に乗り、日本海、太平洋の船旅をしたものである。 清水港で 船上から、『富士山子』として、直接、富士山を望んだものである。 これが、今、『クルーズの旅』―>『屋形船の旅』を始め...

第534回 愛の架け橋 〜 人智を超え 扉を開く 〜

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 2026年2月27日 定期的な病理組織診断業務に赴いた。『顕微鏡を見て病気を診断する = 森を診て木の皮まで診る』実践である。 誤診は許されない厳粛な場である。【病理組織診断は『風貌を診て、心まで読む = 人生の根幹を追求する医療】でもある。 【顕微鏡観察は『がん哲学 = 癌細胞の病理と人間社会の病理 = 生物学と人間学』の原点】である。 病理学者が『がん哲学外来』を創設出来たのは ここにあろう!【『がん細胞の病理』と『人間社会の病理』の類似性が、2001年『がん哲学』の提唱となった】 そして、2008年 順天堂大学病院で【『病気』であっても『病人』ではない社会の構築を目指して『がん哲学外来』が開設】されることとなった。『出会いの流れ』を痛感する。  2026年2月28日(午前中)源川達也氏主催の哲学カフェ『flower cafe Luana』(さいたま市北区宮原町)での講演に赴く。 講演後は、『質疑・対話・ランチ』とのことである。  午後は、お茶の水クリスチャンセンター(OCC)8階ホールで、『布花と朗読劇(山本みどり氏 & 水澤心吾氏) 〜 稲造とメリー ~ 太平洋の愛の架け橋 ~』に向かう。『世界平和のために 奔走した新渡戸稲造とその妻・メリー。どんな苦境に遭っても夫婦の絆が、愛の架け橋となって 未来への扉を開くーー』が開催される。  山本みどり 氏は、【TBSポーラテレビ小説『夫婦ようそろ』で主演デビュー。『水戸黄門』シリーズや翻訳劇『殺しのリハーサル』など舞台やテレビドラマを中心に活躍。】& 水澤心吾氏は、【1977年『天守物語』より、本格的に俳優の道を進む。 以後、テレビドラマ、映画、舞台を中心に活躍。 ライフワークとして一人芝居『決断命のビザ杉原千畝物語』を全国で公演中。】と紹介されている。  筆者は、第2部『新渡戸稲造を語る』で 講演の機会が与えられた。【患者と家族の 心に寄り添う対話の場を、全国で広める活動を続けている。新渡戸稲造に関する著作の執筆や講演活動も行う】と記載されている。  筆者は、2008年10月 インターナショナルスクール(CAJ)で『東久留米がん哲学外来・カフェ』を開始する機会が与えられた。 前年(2007年)には、新渡戸稲造(1862-1933)著『武士道』、内村鑑三(1861-1930)著『代表的日本人』の読書会を始めた。そ...

第532回 思いやり 〜 誠実に実践し、真心で支援する 〜

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 2026年2月18日 筆者は センター長を務める『新渡戸稲造記念センター in新渡戸記念中野総合病院』(東京都中野区)での【がん哲学外来】で 個別面談を担当した。【2019年4月『新渡戸稲造記念センター』が設立されました。『新渡戸稲造記念センター』は、東京医療利用組合(現・東京医療生活協同組合)の初代組合長(理事長)である新渡戸稲造(1862-1933)博士の志こころざしを 日本の国内外へ広め、実践する拠点となります。『新渡戸稲造記念センター』のセンター長には、新渡戸稲造博士の専門家として本邦の第一人者で、新渡戸博士の志を継承して 活躍されている樋野興夫先生が就任されました。】と病院のHPに紹介されている(添付)。心温まる励ましのメセージには、感謝である。 【理念:新渡戸稲造博士の精神(誠意と思いやりの心)を基にした医療を誠実に実践し、疾病を抱えた人を真心で支援する。】と謳われている。 まさに【Union is Power(協調・協力こそが力なり)であり 優雅な感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。 しかして他人の感情を尊敬することから生ずる謙遜・慇懃の心は礼の根本をなす】(新渡戸稲造)が蘇って来る。 『生活環境や 言葉が違っても 心が通えば友達であり、心が通じ合う人と 出会うことが 人間の一番の楽しみである。』(新渡戸稲造)を体験する日々でもある。 すべての始まりは『人材』である。【『はしるべき行程』と『見据える勇気』、そして世界の動向を見極めつつ、高らかに理念を語る『小国の大人物』出でよ!】 ここに、『新渡戸稲造記念センター』の開設の歴史的意義があろう! まさに、【今こそ必要なのは、深く読む力、構造化する力、命題化する力です。 それは自然には身につきません。意識的訓練が必要です。】(ハーベスト・タイム・ミニストリー 中川健一先生)の実践である。 筆者は、2月19日は理事を務める【2025年度第3回 クラッシュジャパン 理事会】[東京プレーヤーセンター(OCC)に於いて] に赴く。【クラッシュは、Christian(クリスチャン), Relief(救援), Assistance(協力), Support(支援), Hope(希望)の頭文字[CRASH]からなっています。 クラッシュジャパンは、東京に本部を置く被災者支援団体で、2011年8月より一般社団...

第533回 『心に響く言葉の処方箋』 〜 『良き読書』〜

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 2026年2月22日(日) 午前中 wifeと【Christian Academy in Japan (CAJ)にあるKBF(Kurume Bible Fellowship)】に赴いた。 午後は、2008年に開始された『東久留米がん哲学外来』(CAJに於いて)に赴いた。 wifeは手作りのお菓子を用意した。 今回、初めての参加者も居られ、3組の個人面談の時が与えられた。 Zoomでの面談も依頼された。 大変貴重な時となった。   その後、東久留米駅前にある『East Side カフェ』で定例の『読書会』に出席した。 『読書会』は、2007年から 新渡戸稲造(1862-1933)『武士道』(岩波文庫、矢内原忠雄訳) と 内村鑑三(1861-1930)『代表的日本人』(岩波文庫、鈴木範久訳)を交互に読み進めている。 今回の『読書会』の箇所は、新渡戸稲造著『武士道』の『第13章 刀・武士の魂』で、5巡目である。  音読は、2026年2月14日【『横浜がん哲学外来18周年 & 第8回日本Medical Village学会』合同シンポジウム『いい覚悟で生きる』横浜開港記念館(日本大通り駅)】を企画された内田由美子(10歳のクララ)氏(和み訪問看護ステーション代表(横浜がん哲学外来・カフェ代表)が 担当された。 徹夜で、音読の練習をされたようで、難しい漢字の読みも完璧であった。 大いに感動した。  シンポジウムの司会をされた西田千鶴美(大きな目のムツゴロウ)氏、西田千鶴美氏の甥 で『横浜開港発祥の説明』の講演をされた秋月隼人(のんきなカチガラス)氏、また、筆者は『日本Medical Village学会理事長』としての 『基調講演:言葉の処方箋』&『樋野先生へ がん哲学外来の発祥・開港についてのインタビュー』のインタビュアー の三国浩晃(とら:虎)氏、さらに森尚子 (春風のようなゴリラ)氏も出席された。  【勝海舟は『我が国歴史上最も物情騒然たりし時期の一つをくぐって来た人』&『蚤や虱だと思えばいいのさ。 肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただ痒いだけだ、生命に関りはいないよ』(『海舟座談』)】が、今回 大変印象に残った。『良き読書』には、その時々によって『心に響く言葉の処方箋』がある!   複数の質問も寄せられ 大変有意義な充実した『読書会』...

第531回 『人知を越えた 邂逅の流れ』 〜 『がん哲学 と 日本肝臓論』 〜

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 2026年2月12日は、東京都東久留米市の自由学園初等部6年生のドキュメンタリー映画『がんと生きる言葉の処方箋』上映と講義に向かった。 生徒からは、複数の真摯な賢明な質問があり、大いに感動した。 『教育の絶対性大原理』 愛がなければ全ては無意味 『教育の真髄』 (1)愛に溢れた雰囲気 (2)静かな口調 (3)にもかかわらず 『教育の心得』 (1)仮面を外し、心の垣根をとる (2)秘密は守る、リラックスした時間を過ごす (3)正直になる、積極的に人々に仕える  その後、新宿京王百貨店8Fカフェ・デザート『サロン・ド・テ・コロンバン』で、2008年に お会いした立馬歳郎氏 と 名古屋大学名誉教授・愛知医科大学前理事長の三宅養三先生と 面談した。 早速、【本日は 有意義な会合でした。 そしてNitobe again!ですね! 今後 コラボを 積極的に展開しましょう。】との心温まる励ましのメールを頂いた。  2008年 シンポジウム【『順天堂創立170周年記念公開シンポジウム『佐藤泰然 〜 医学・医療の温故創新 〜』を開催した。 筆者は【『おわりに』〜 時代に生きる(温故創新) 〜】を語ったものである。 2008年の愛宕山 文化講座 No.6.講演も想い出された。【『がん哲学 と 新渡戸稲造 〜 日本肝臓論 〜』がん細胞を知ることは 人間の社会を知り、 いかによくするかを 学ぶことでもあるという『がん哲学』 と女子教育の充実 に尽力した教育者 新渡戸稲造について語る。】と記載されている。  2月13日 病理組織診断業務に赴いた。 『顕微鏡を見て 病気を診断する = 森を診て 木の皮まで診る』実践である。『がん細胞の病理』と『人間社会の病理』の類似性が、2001年の『がんは 生物学の法則』+『哲学は 人間学の法則』=『がん哲学』の提唱の原点である。 そして、2008年 順天堂大学病院で【『病気』であっても『病人』ではない社会の構築】を目指して『がん哲学外来』が開設された。『与えられた、人知を越えた、人生の邂逅の流れ』を痛感する。

第530回 幼年時代のインプリンティング 〜 心にかけて記憶する 〜

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 2026年2月8日早朝 大雪で、雪の積もる風景であった。 自宅で、心静まる時となった。  筆者の両親との写真を見つめなおした。 そして、少年時代の故郷の実家(島根県出雲大社町鵜峠 : 出雲大社から、8キロほど、峠を越えて美しい日本海に面した小さな村:人口30名、空き家60%)での 雪景色が、今回、鮮明に想い出された。  筆者の母(樋野壽子: 1923年2月20日〜2019年6月3日)は、自宅に於いて、安らかに 96歳天寿を全うした。【筆者の誕生の年(1954年3月7日)の母の元旦の夢が『富士山(3776m)』であり、幼児の時から『富士山子』と母に励まされたものである。】  幼年時代のインプリンテイングは 生涯に影響を与えるものである。  父(樋野廉平)は、92歳で鵜峠の自宅に於いて逝去した(1921年1月24日〜2013年5月5日)。 母の兄達は、太平洋戦争で戦死し、末っ子の母が家を継いだ。 そして、祖父の樋野卓郎(1888-1972)から家を継いだ末娘(母)の3人の子供(誉・誠・興夫)の末っ子の長男:筆者に『家を興(おこ)す = 樋野興夫 = ひのおきお = Origin of Fire』と命名されたと、膝に抱かれて聞かされた『幼年時代の想い出』が鮮明に蘇ってくる。  父は婿養子で、貨物船やタンカーの機関長であった。 筆者は、小学生、中学生時代の夏休み、母と父の船に乗り、日本海、太平洋の船旅をしたものである。 母校の鵜鷺【鵜峠(うど)+鷺浦(さぎうら)=鵜鷺(うさぎ)】小学校、中学校は、既に廃校になった。 故郷は無医村であり、幼年期、熱を出しては母に背負われて、峠のトンネルを通って、隣の村(鷺浦)の診療所に行った体験が、今でも脳裏に焼き付いている。 そして、筆者は、『人生3歳にして医者になろう』と思ったようである。   筆者の小学校5年生の時 担任の先生から命令され、毎日、日記を書いて登校して、担任の先生に渡し、下校時、赤字でコメントを頂いたものである。 それが、今のブログの記述に繋がったものである。 文章は現在と全く同じレベルである。『不連続の連続性=人生の原点』である。  『常に志を忘れないよう 心にかけて記憶する』ことが、まさに、『ビジョンは 人知・思いを超えて進展する』を痛感する日々である。 これが、筆者にとっての『愛情の原点...