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第106回 「がん哲学」のレッスン 〜 「大切なのは続ける勇気」 〜

 「文京区教育委員会   教育推進部 教育センター 」 主催の「小学校がん教育   教員対象講習会」で 、 『小学校で取り組む「がん教育」とは』を 講演 する機会が与えられた(順天堂大学   教育棟に於いて)。大変貴重な 有意義な時であった。  新刊『親子で学ぶ「がん哲学」のレッスン(仮)』が発行されるようである。『文部科学省は新学習指導要領に「がん教育」を明記し、2021年度から中学校、高校での授業を本格化させる。 「がん哲学外来」を創設した樋野興夫   医師は、 2016年度から「がん哲学外来を基盤にした   がん教育・対話学の確立」の研究に取り組み、文京区の小中学校での実践などから、「がん教育には 哲学的なアプローチが 最も必要」と指摘している。本書では、病理・腫瘍学を専門とする樋野 医師が、がん細胞の不思議や 転移の仕組み、治療の最前線なども伝えながら、がんになった親や友人との接し方、がんになっても 自分らしく生きる術を探り、がんと どう向き合えばいいのか 親子で考えるヒントを示す。」と、紹介されている。付録には 「1.母が がんになった子 2.がんになった母」の文章も掲載されるようである。年内の出版が楽しみである。       第34回発癌病理研究会(世話人 : 豊國伸哉 名古屋大学 生体反応病理学 教授)(鳥羽シーサイドホテルに於いて)に赴いた。 「 岬の鐘 : ひとりで鳴らせば、良き人に出会い 共に鳴らせば   結ばれて   再び鳴らせば、旅がはじまる 」の碑には 大いに感動した。 「定年退職」記念講演『遺伝性がん、環境がん、がん哲学』をする栄誉 が与えられた。 順天堂医院での、「アスベスト・中皮腫 外来」開設(2 005 年)。「がん哲学外来」(2 008 年)。癌研の病理部時代の恩師で、 Knudson 博士の下に、留学を導いて下さった   菅野晴夫 先生、 Knudson 博士との想い出「遺伝性がん」、菅野晴夫 先生の師である吉田富三の「発癌病理」、『「日本癌学会 長與又郎 賞」 & 「朝日がん大賞」』の受賞テーマも語った。今年、同じく定年退職の   今井田克己 先生(香川大学 理事・副学長)が引用された、  「 成 功は   決定的ではなく、失敗は   致命的ではない。大切なのは続ける勇気だ」 ( チャーチル )

第105回 「人生は限りなきの播種なり」〜 『われOrigin of fireたらん』 〜

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「新宿東口   がん哲学外来   三角形カフェ」 (Svenson 新宿東口サロンに於いて)に赴いた。多数の参加者で、会場は、満席であった。筆者は、個人面談もあり、大変、充実した時であった。終了後、スタッフとの語らいも、有意義なひと時であった。  ラジオ日経の番組 「樋野興夫のがん哲学学校のコーナー」 ラジオ収録 に出演した。 『今回の ゲストは、現役の看護師で、がん治療後の在宅緩和ケアで    旦那さんの看取られたことをきっかけに   僧侶になられた玉置妙憂さんです。ご著書「死にゆ く人の心に寄りそう」等があります。』と紹介を頂いた。スタジオには、一般の方も参加され、貴重な時となった。ラジオ放送を、乞うご期待である。  筆者が、 新渡戸稲造記念センター 長を務める  東京医療生活協同組合 新渡戸記念中野総合病院 {新渡戸稲造が 初代理事長に就任( 1932 年)}の  倫理委員会 に出席した。 「知的協力委員会 (のちの ユネスコ ) 」 が鮮明に蘇ってきた。 「 2 1世紀の知的協力委員会   =   新渡戸 戦略会議 in 新渡戸稲造記念センター」設立の時代的到来 を痛感した。丁度、山根道雄   副院長より、『事の成る成らぬは天に任し、自分は偏に其日の務を全うすれば足る。其の結果が 思ふ通りに行かずとも、之れ必ずしも失敗でない。植うる種子は 一月で生ゆるもあり、百年後に芽すもある。人生は限りなきの播種なり、発芽も収穫も天意にあり。(『一日一言』九月二十五日 新渡戸稲造)』が送られて来た。 偶然にも、筆者の『われ21世紀の新渡戸とならん』(2 003 年発行)、『われ Origin of fire たらん』(2 005 年発行)が、目白カフェの代表:森尚子氏から送られたてきた。人生の不思議な出会いを 身に沁みて 感ずる日々である。

第104回 「新渡戸稲造・内村鑑三」に学ぶ 〜 医療・人間・社会・福祉・教育の実践 〜

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 筆者が「新渡戸稲造記念センター長」を勤める「東京医療生活協同組合 新渡戸記念 中野総合病院 がん哲学外来」に赴いた。患者・家族との面談は、本当に日々学びである。次回の予定は、病院の HP に記載されている。「東京医療生活協同組合 新渡戸記念 中野総合病院」 は、 1932 年 新渡戸稲造 (1862-1933) 、賀川豊彦( 1888-1960 )らによって創設され 新渡戸稲造が 初代理事長を務めた。 2019 年 8 月 18 日「新渡戸稲造記念センター」開設記念 シンポジウムが、開催される(中野サンプラザに於いて)。主催者の胆力には、大いに感動である。  『内村鑑三記念 メディカルカフェ・沼田「がん哲学外来」』(国立病院機構 沼田病院 に於いて)に赴いた。今回は、病室のベットサイドの面談もあり、貴重なひと時であった。終了後は、スタッフと昼食をとりながら、 11 月 23 日(勤労感謝の日)に開催されるシンポジウムについて打ち合わせを行った。今回のテーマは、「21世紀の城下町 〜 Medical Village 〜」(案)のようである。スタッフのニューモア溢れる優しさには、感激した。このテーマは、これからの、日本国の医療の進むべき姿であり、時代の先見性でもあろう。乞うご期待である。  筆者にとっては、若き日から、夜を徹して読書した、敬愛する「新渡戸稲造・内村鑑三」を銘打った「がん哲学外来」が、この様に実現したとは、本当に、不思議である。人知を超えた、 特別な働きを 肌で感じる 今日この頃である。まさに、 「新渡戸稲造・内村鑑三」に学ぶ医療・人間・社会・福祉・教育の実践であろう!

第103回 悩みを対話を介して解消する 〜 人類の大きな課題 〜

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 「東京医療生活協同組合   新渡戸記念中野総合病院   がん哲学外来 」 に赴いた。  『2 019 年4月より、本館「新渡戸稲造記念センター」にて、樋野興夫   センター長による「がん哲学外来」が始まりました。「がん哲学外来」は、がんに   まつわる様々な悩みを対話を介して解消する外来です。』と紹介されている。今回の面談も、大変、有意義な出会い が与えられた。「 東京医療生活協同組合   新渡戸記念中野総合病院」 は 、1 932 年 新渡戸稲造  (1862-1933) 、賀川豊彦( 1888-1960 )らに よって創設され 。 新渡戸が 初代理事長を務めた 「東京医療生活協同組合   新渡戸記念中野総合病院」には、『21世紀の新渡戸とならん』( 2003 年   初版)を出し、重版を重ね、2018年に 改訂版、2 019 年には 英語版 (I Want to Be the 21 st  Century Inazo Nitobe )が発行された  筆者には、 特別な思いがある。中野サンプラザで、 2019 年8月 18 日「新渡戸稲造記念センター」開設記念   シンポジウムが開催される。乞うご期待である。  2019 年度 AMED 糖鎖創薬事業[5][6]合同分科会【事業名】次世代治療・診断実現のための創薬基盤技術開発事業【分担研究開発課題名】 「 発見された糖鎖標的の創薬意義解明のための技術開発 」に出席した( 順天堂大学 に於いて)。「こ れまでの成果と今年度の達成目標・最終目標 」が、発表された。非常に、「純度の高い専門性」であり、大いに勉強になった。日々勉強である。筆者らのチームは、 「 グライコプロテオームによる   中皮腫の診断と治療 」について発表した。 中皮細胞 は、 胸膜腔、心膜腔、腹膜腔の内腔面を裏打ちする上皮様細胞 で、中皮腫は、 中皮細胞を起源として生じる悪性腫瘍 で、 患者数は今後も増加する と予測されている。 中皮腫 には、 上皮型 と 肉腫型 に大別される。筆者らは、上皮型 マーカー を発見したが、 肉腫型の特異的マーカー は、全世界、まだ 確立されていない 。「アスベストによる環境発がん」である「中皮腫の発症前診断と 新規治療法の開発」は、人類の大きな課題でもある。

第102回 「気にさせる 会」の誕生 ~「内村鑑三 & 新渡戸稲造 & 南原繁 & 矢内原忠雄」の「夢の継承」

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 午前中、「柏がん哲学外来」(柏地域医療連携センターに於いて)に参上した(次回のチラシ添付)。終了後の、スタッフ・生徒を含め9人との昼食会も、大変、有意義な、充実した時であった。午後、柏から、恵泉女学園(世田谷区)の理事会に、向かった。夕方は、順天堂大学医学部 研究等倫理委員会(順天堂大学に於いて)に出席した。 まさに「3連ちゃん症候群」の1日であった。  2011年10月から開設されている、群馬県の「内村鑑三記念~メディカルカフェ沼田『がん哲学外来』」(国立病院機構沼田病院に於いて)に赴いた。入院患者との面談を終え、スタッフ・看護師部長ら5人で、美味しい昼食の時を持った。大いに盛り上がり、「気にさせる 会」の誕生日ともなった。まさに、「もしかすると この時の為 ~ 気にさせる~」である。筆者は、顧問就任のようである。会長からは、早速、「あとは、私が突き進む勇気・信念を持つだけです。先を見据えて、努力します。」との、感動的なコメントを頂いた。これこそ、「冗談を本気で、実現させる胆力」であり、大いに感服した。11月23日(勤労感謝の日)には シンポジウム「内村鑑三記念 がん哲学外来 ~医療維新を目指して ~」(案)が、企画されている。私の講演タイトルは、「真の国際人~ 内村鑑三 & 新渡戸稲造~」(案)のようである。歴史的大事業である。シンポジウムが楽しみである。  夕方、定例の「がん哲学外来 第33回 矢内原忠雄記念 本郷通りカフェ(ゆい訪問看護ステーションに於いて)」であった(添付)。定員を超える参加者で、大いに盛り上がった。筆者は、何故に、2008年に「がん哲学外来」を始めたのかを、若き日に読んだ『南原繁 著作集第9巻』(1973年 岩波書店発行)の「矢内原忠雄君」(1961年12月28日、東大講堂の告別追悼式に於いて 友人代表として南原繁が述べたもの)「― 本郷通りに ささやかでも 書店を開いて、そこでは コーヒーも飲めるようにし、学生の読書相談に応じようかと、本気に考えたこともあったという。それほど終始、学問と学生を 愛した君であった。」(381ページ)の文章で、さりげなく説明した。「矢内原忠雄(1893~1961)」は、1961年12月25日に胃癌で逝去した。「がん哲学外来」きっかけは、「矢内原忠雄の夢の継承」の為でもあった。南原繁(1