第337回 大きな出会に遭遇 〜 人生の起点と機軸 〜

 2023年8月8日、姉から、島根県の故郷の出雲市大社町鵜峠(うど)は、現在 人口37名(在住の家は、25軒家)であるとの連絡があった。

 


 今から約1300年前、712年に編纂された『古事記』に登場する、医療の原点を教えてくれる大国主命の出雲大社から、8キロほど、峠を越えて美しい日本海に面した小さな村が、筆者の生まれ育った島根県出雲市大社町鵜峠(うど)である。 隣の鷺浦(さぎうら)は、人口115人64軒家とのことである。 合わせて、鵜鷺(うさぎ)と呼ばれている。 713年に編纂が命じられたという『出雲国風土記』にも登場する歴史ある地である。

 筆者の故郷(鵜峠)は無医村であり、幼年期、熱を出しては母に背負われて、峠のトンネルを通って、隣の村(鷺浦)の診療所に行った体験が、今でも脳裏に焼き付いている。 筆者は、人生3歳にして医者になろうと思ったようである。 

 小学校の卒業式の来賓の挨拶『少年よ、大志を抱け/ボーイズ・ビー・アンビシャス (boys be ambitious)』[1887年 札幌農学校のウィリアム・クラーク(1826-1886)の言葉]を強烈に覚えている。 筆者の人生の起点であると言っても過言でなかろう。 その後、人生の機軸でなる『内村鑑三(1861-1930)& 新渡戸稲造(1862-1933)』へと導かれ、『南原繁(1889-1974) & 矢内原忠雄(1893-1961)』との間接的な出会いが与えられた。 英文で1894年に刊行された内村鑑三著『代表的日本人』(Representative Men of Japan) と1899年に刊行された新渡戸稲造著『武士道』(英語: Bushido: The Soul of Japan)は、若き日からの座右の書である。 2007年から、東久留米市で、毎月、交互に この2冊の読書会を行なっている。 今、4巡目である。 何回読んでも新鮮で、大きな学びの日々である。 

 医師になり、すぐ、癌研究会癌研究所の病理部に入った。 そこで、また大きな出会いに遭遇したのであった。 病理学者の、当時の癌研究所所長であった菅野晴夫先生(1925-2016)と、菅野晴夫先生の恩師吉田富三(1903-1973)である。

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