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11月, 2019の投稿を表示しています

第119回 自分にしてもらいたいこと 〜 ほかの人にも 〜

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 恒例の「国会クリスマス晩餐会 2019 」(主催:インターナショナル VIP クラブ、ホテルニューオータニ東京に於いて)に、 wife と出席する機会が与えられた。衆議院、参議院 議員、各国の外国大使、企業の重鎮の方も参加されていた。充実した時であった。「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」(マタイ 7 章 12 節)が 今回は印象に残った。  2019 年 4 月、新渡戸記念 中野総合病院に設立され、筆者がセンター長を務める 新渡戸稲造記念センターに出勤した。 この度、「新渡戸稲造博士の軌跡」のチラシが、作成される予感がする。 最近、『われ 21 世紀の新渡戸とならん』(イーグレープ発行)が、さりげなく、注目されて来ているようである。 来年 2020 年は、 新渡戸記念 中野総合病院 の創設母体である「東京医療利用組合」の初代理事長に就任した 新渡戸稲造 (1862-1933) の 1)『武士道』発行 120 周年 2)国際連盟事務次長就任 100 周年 3)新渡戸稲造記念センター 創立 1 周年 である。 2000 年に「武士道発行 100 周年」の市民公開シンポジウムを国連大学で、今は亡き 原田明夫検事総長と行ったのが、鮮明に思い出される今日この頃である。 2003 年には『 われ 21 世紀の新渡戸とならん』が出版され重版を重ね、新訂版が 2018 年に発行される運びとなった。不思議である。

第118回 「徳は 罪悪に劣らず 伝染的である」〜 『今、南原繁を読む』〜

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 定例の「東久留米がん哲学外来・カフェ」と「読書会」に赴いた。今回は、『武士道』(新渡戸稲造   著;   矢内原忠雄 訳)(岩波書店発行)の「第   1 5  章: 武士道の感化」であった。今回、最も印象に残った箇所は、「徳は   罪悪に劣らず 伝染的である」であった。次回は、『代表的日本人』(内村鑑三   著)である。共に、 英文で書かれた 『 代表的日本人 』 (内村鑑三  著 ) と『 武士道 』 (新渡戸稲造  著 )は、 筆者にとっての  若き日からの座右の書である。いかに勇気づけ、励まされたことか ! 「 内村鑑三  &  新渡戸稲造 」→ 「 南原繁   &  矢内原忠雄 」 は、 人生の起点である。 国立病院機構沼田病院では、「内村鑑三記念 メデイカルカフェ」が、毎月 定期的に開催されている。  筆者が、代表を務める第   1 86  回 南原繁研究会 に出席した(学士会館に於いて)。今回の自由発表のテーマは「夏の坂道をめぐって」、読書会は『南原繁著作集   第 9   巻』(岩波書店発行)の「日本国憲法:制定過程   その一」であった。「南原繁の学術的な著作は、非常に難しい。」。確かに、何回読んでも、その時、その時の出来事と合わせて、日々新鮮な学びである。来年   6月には、筆者が委員長を兼任している南原繁研究会 編集委員会より、『今、南原繁を読む』(仮題)が出版される予定である。乞うご期待である。

第117回 『代表的日本人』(内村鑑三 著)と『武士道』(新渡戸稲造 著)の読書会

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 筆者は、東京情報大学(千葉県 千葉市 )の 看護学部1年生対象の病理学の授業 に赴いた。学生の真摯、誠実な態度には、心が慰められる。医療従事者にとって「医学の基本である『病理学』」の重要性を再認識する日々である。 その後、定例の 第3 5 回「矢内原忠雄記念 がん哲学外来 本郷通りカフェ」(文京区本郷の   ゆい訪問看護ステーション に於いて)に向かった。盛り上がった。  矢内原忠雄( 1893-1961 )は、南原 繁( 1889-1974) に続いて東大総長となった。矢内原忠雄もまた、第一高等学校で新渡戸稲造 (1862-1933 )と出会い、内村鑑三 (1861-1930 )の『聖書之研究』を読み、東大では また新渡戸稲造の講義を聞き、このふたりの影響を深く受けている。矢内原は国際連盟事務次長就任として転出した新渡戸の後任として東大経済学部教授となり、植民政策の講座を担当するが、軍国主義が台頭するなか、国の正義に反する動きを批判し、憂国の言葉が批判の的となり、東大を追われた。以後、『嘉信』を刊行し、また著作を発表して行く。そして戦後、東大に復帰、教養学部の初代学部長に就任、やがて南原繁の後任として、東大総長に選任されるのである。  筆者は、 小学校の卒業式の来賓の挨拶「少年よ、大志を抱け」(1887年札幌農学校のクラーク博士の言葉)を強烈に覚えている。人生の起点であると言っても過言でなかろう。その後、人生の機軸で なる 「 内村鑑三  &  新渡戸稲造 」へと導かれ、「 南原 繁   &  矢内原忠雄 」との   間接的な出会いが与えられた。英文で書かれた 『 代表的日本人 』 (内村鑑三  著 ) と『 武士道 』 (新渡戸稲造  著 )は、 筆者にとっての 若き日からの座右の書である。悩める時に、いかに勇気づけ、励まされたことか。 この2冊の読書会は、交互に毎月   継続している。

第116回 「まちづくり がんサバイバーシップ支援事業」 〜 個性が活かせる社会 〜

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 特別講演会「がん哲学外来の選択&決断 〜 人生のプレゼント 〜」(千葉県;花野井バプテスト教会に於いて)に赴いた。多数の参加で大変有意義な時であった。今後「がん哲学外来カフェ」が開設されることであろう(下記)。 『「支え合う」まちづくり がんサバイバーシップ支援事業 伊勢崎がん哲学外来 映画上映&講演会』( 群馬県伊勢崎市 の 絣の郷円形交流館に於いて)に出席した。第 1 部の映画「がんと生きる 言葉の処方箋」上映の後、第2部は、座談会「がんと生きる」であった。筆者は、講演「言葉の処方箋〜種を蒔く〜」の機会が与えられた。新聞記者、 市議会議員らも聴講されていた。  来場者から、『先生のご講演を拝聴し、苦難に出会ったときに 人は立ち止まり、人生を俯瞰する「場」が とても大切であることがわかりました。』、「同じ事象や物体も 見る人によって 受け取り方が違いますね。世界を変えるには、時として自分が 変わるしかない時も あるのだと思いました。」、「人生を俯瞰する場であった、という感想は 今回、何よりのご褒美です。ありがとうございました。」、 「 今日は 座談会からの参加でしたが、先生の講演での 個性が活かせる社会 という言葉に共感しました。」などなどの多数のコメントを頂いた。  筆者は、会場からの質問には、『「新島襄・内村鑑三」を生んだ群馬県は素晴らしいですね!」』、「 人生は、階段を登る如く、身長が伸びた邂逅ですね!」、『  AYA 世代の「がん教育」は、大切なテーマですね!』等を語った。

第115回 「志の堅固な者」 〜 1本の道 〜

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 国立ハンセン病療養所 長島愛生園(岡山県)での「神谷美恵子 記念 がん哲学学校 in 長島;愛カフェ 7周年記念」に赴いた(下記)。  入居者とのテーブルでの語らいは、大いなる学びであった。 本を出版された 91 歳の入居者の方から、  2 冊の本『長い道』(みすず書房 ) 、『私は一本の木』(みすず書房)をいただいた。大いに感激した。真摯なる熱意と思いやりのある スタッフ、最初に、 長島愛生園での機会を与えてくださった 先見性と胆力を備えた 大和豊子 先生、「神谷美恵子の息子」さんのお嫁様との 、想い出に残る、歴史的記念写真をいただいた。 「神谷美恵子の父 前田多門の仲人 新渡戸稲造」が 「幼い 神谷美恵子」を膝に抱いてあやしている姿が 鮮明に蘇って来た。まさに「志の堅固な者」(イザヤ書 26 章 3 節)の実感の「 7周年記念」 となった。  札幌からは、『今 紅葉の美しい 1 本道 がありました。「1本の道 樋野興夫の歩んだ道」って本が いつか 出そうな予感がしました。』との、心温まる、励ましのメールをいただいた。本当に「寛容、親切、善意」に 感謝の日々である。