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第275回 大樹のようにしっかりと根付き始める 〜 歩む日々の支援の場 〜

  Yahooの情報(ハルメク365)が送られて来た。 がん患者と向き合う医師・樋野興夫さんが伝える「限りある ... 」 【インタビューは2009年6月に行いました。『がん哲学外来』で、生と死を見つめる医師・樋野興夫さんに人間の生き方、死に方について伺うインタビュー。 がん患者の心と向き合いながら、患者や家族と歩む日々について伺いました。】とのことである。 【『がん哲学外来』と聞いて、みなさんは 何をするところだと思われるでしょうか。 『がん哲学外来』では、治療や診断はしません。 僕は白衣を着ないし、カルテも書かない。 もちろん必要なら治療に関するアドバイスもしますが、基本的には医者と患者が同じ目線に立ち、患者さんの不安や悩みを聞き、人生について語り合います。 だから『がん哲学外来』は、治療法を提案するセカンドオピニオンでもなければ、心のケアを行うカウンセリングでもない。 一人の患者さんと約1時間、1回限りの真剣勝負です。 僕は、普段は顕微鏡をのぞいてがんを研究している病理学者です。 もともと島根県の鵜峠村という日本海に面した小さな無医村に育ち、幼い頃から医者になろうと思っていました。 でも、若い頃は出雲弁を気にして他人とコミュニケーションをとるのが苦手で、患者を診る臨床ではなく、細胞を相手にする病理の道へ進んだのです。 ―― それが2005年、アスベスト(石綿)が原因のがん『中皮腫』の患者が多発して問題になったとき、たまたま中皮腫の検査方法を開発していたことから大学で『アスベスト・中皮腫外来』を立ち上げ、僕も外来に出ることになりました。 ―― 患者さんたちと接し、自分にできることは何かと考えたとき、僕の中で浮かんだのが、患者さん自らが人生や死について考えるための支援の場、『がん哲学外来』だったのです。」】とある(1945年ではなく、筆者は、1954年生まれである)。  早速、「ネットで10年以上前の記事が再録されるのは滅多にないことですね。」、「2009年のインタビューをおこしての記事とはすごいですね。 いい言葉は何年たっても価値が衰えないということですね。」、「先生の記事を拝読いたしました。素晴らしいですね。」、「がん哲学外来、大樹のようにしっかりと根付き始めた気がします。」などなどの心温まるコメントを頂いた。 

第274回  羅針盤型な生き方 〜 必要なときにふっと思い出して使える 〜

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 2022年10月22日午前中、早稲田大学エクステンションセンター(中野校)での講座『がんと生きる哲学:医師との対話を通して「がん」と生きる方法を考える』に赴いた。 教科書『がん細胞から学んだ生き方』(へるす出版)の読み合わせと解説をしつつ、受講者とのディスカッションを中心に講義を進めた。 今回は、『がん化するメカニズム』、『がんには個性がある』、『がん細胞と人間社会の類似性』、『がんは身の内』、『生きている以上、がんは避けられない』、『がん細胞の動きは尺取り虫』の箇所であった。 早速、『良き先生、良き友、良き本との出逢いに感謝しながら、羅針盤型な生き方を 目標にしたいと思います。 次回も楽しみにしています。』との心温まる励ましのメールを頂いた。  午後は、順天堂大学の見える『お茶の水メディカル・カフェ in OCC』に向かった。 早稲田大学エクステンションセンターでの講座→OCCカフェの『連チャン症候群』に参加されていた看護師さんが、私の講演は『スルメ』のようであると大爆笑であった。 【早稲田でのオープンカレッジに続き、格調高いカフェをありがとうございました。 とても有意義な時間であり、たくさんの気づきと癒しを頂きました。 さて、『スルメ』の定義ですが ―。 イカの天日干しを意味しますが、食べ始めは硬くて「なんじゃこりゃ?」と思うのですが噛み続けていくと旨みが! さらに、噛めば噛むほどに美味しくなっていき最後には食べちゃいます。その旨みを知ったら ― 初めに思った「硬くてなんじゃこりゃ?」を忘れて何度も食べてやみつきに。― 樋野先生のお話は高尚であり、格調高いために…わたしにとって最初は「なんじゃこりゃ?」しかし、何回か聞いていると『人物と出来事』の『言葉と意味』の『過去と現在と未来』等のつながりがひも解ける。 それが面白くて、楽しくて、嬉しくて ― あと、干物であるために保存がききます。 必要なときにふっと思い出して使えるところも 先生のお話に共通するのではないかと? スルメがこんな形で樋野先生に伝わるとは ―」】 とのことである。 早速、「大変充実した時でした。 ユーモア溢れる『スルメ』の表現にホッコリしました。」、『「スルメ」!!! 今年最高の「ユーモア大賞」ですね』とのユーモア溢れるコメントを頂いた。 大変貴重な『連チャン症候群』の日となった。

第273回 医療従事者になる学生の教育のあり方 〜 心やさしきために 〜

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 2022年10月26日、東京土建国民健康保険組合で、『がん哲学外来』を依頼された。 健康増進課の岩崎香菜 氏から、『直接お話を伺うことができて大変勉強になりましたし とても貴重な時間となりました。 相談者も樋野先生に ご相談できたことで、きっとがんに対する向き合い方や考え方に変化があったり、心配していた気持ちが和らいだのではないかと思います。』との心温まるメールを頂いた。 大いに感動した。 有意義な充実した時であった。 想えば、2005年の「クボタショック」の時、筆者は『中皮腫のマーカー』を開発していた。 順天堂大学の「速効性と英断」で、順天堂大学の病院の外来で、『アスベスト・中皮腫外来』を開設して頂いた。 その時から、土建の方にも「検診」でお世話になった。 本当に不思議な繋がりである。   2022年10月27日 東京情報大学 看護学部(千葉県千葉市)1学年の『病理学』の授業(3時限、4時限)に赴いた。 今回は、『病態生理学』の教科書の「血行障害」、「炎症と修復」、「免疫および免疫疾患」の箇所を音読しながら進めた。 真摯な学生の姿勢には大いに感激した。「将来 医療従事者になる学生の教育のあり方の学びの場」ともなった。   2022年10月18日は、筆者が、理事長を務める恵泉女学園での面談を終えて、山梨県に向かう。 翌日の 2022年10月19日午前中、山梨英和大学での『2022年度 山梨英和大学 半日修養会講演「自分の力が人に役に立つと思うときは進んでやれ」』を依頼された。 午後は、『心やさしき日々のために 〜 病気であっても 〜』(市川教会主催;山梨県西八代郡市川三郷町)の講演である。 「山梨県の連チャン症候群の旅」である。 これは、筆者が、現在第3代の代表を務める南原繁研究会の幹事:森 和博 先生の計らいでもある。 2022年11月3日(文化の日、学士会館に於いて)南原繁研究会主催「第19回南原繁シンポジウム」:『日本の近現代史における南原繁〜「明治維新から敗戦まで」と「戦後日本」における役割〜』が開催される。 「南原繁シンポジウム」は、2004年に第1回が始まった、「継続は力なり」を実感する日々である。

第272回 行動に普遍性の烙印を押す 〜 異なる人間と共存 〜

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 2022年10月11日、 筆者が理事長を務める恵泉女学園の学園学校会議に出席した。 大変有意義な貴重な時であった。 日々勉強である。   2022年10月12日 岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所 長島愛生園での『愛カフェ10周年記念』(2022年9月27日)の新聞記事(10月9日付;斉藤貞三郎 毎日新聞大阪本社編集局記者)が、送られて来た。 「岡山面(鳥取、島根共通)に記事が掲載されました。」とのことである。 早速、新聞を拝読された方から、【「仲良しだけが集まる同心円ではなく 異なる人間が共存する楕円形であることが 今の時代に大切だ」とカフェや園の意義を語った。】との文章に感銘されたとの連絡が届いた。 大いに感動した。  筆者は、2022年9月27日『国立ハンセン病療養所長島愛生園』での『長島愛生園 愛カフェ10周年記念』に招かれた。  京都から田中真美 先生、兵庫、東京からは、神谷美恵子(1914-1979)の親族の方も参加され、上記の新聞記者も取材に来ておられた。 早速【『神谷美恵子記念 がん哲学学校 in 長島愛カフェ』10周年記念の集いは大いに盛り上がり、意義深い会になりました。』、「先生の最後のお話しに、新渡戸稲造(1862-1933)がユネスコの前身を設立したとありました。 前田多門(1884-1962)も前田陽一(1911-1987)もユネスコの仕事に取組んでいました。『10年後の長島愛生園を考える会』の設立でしたね!」】などなど心温まる励ましの感想を頂いた。  2030年は、長島愛生園創立100年とのことである。『10年後の長島愛生園を考える会』は、『新渡戸稲造セミナーハウス in 長島愛生園』創設へと繋がり 次世代の『長島愛生園』の役割使命を静思する時代的要請ではなかろうか! 筆者は『新渡戸稲造セミナーハウス in長島愛生園』が、小学生、中学生、高校生、大学生の教育の修養の場として活用されればと切に願う。「教養ある人間とは、自分のあらゆる行動に普遍性の烙印を押すことであり、自己の特殊性を放棄して普遍的な原則に従って行為する人間のことである」(南原繁:1889-1974)が思い出される今日この頃である。 一見「理解不能モード」である複雑な現代社会・混沌の中での「一筋の光」を感ずる日々でもある。 

第271回 誰かの笑顔が見られたら 〜 一日、満点 〜

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 2022年9月30日、2009年に開設され13年継続されている『吉田富三記念 福島がん哲学外来』(福島県立医科大学附属病院 臨床腫瘍センターがん相談支援センターに於いて)に赴いた。『臨床腫瘍センター副主査 菅原裕 氏』から【「いつものようにがん相談支援センターへお越しください。『ピアサポートサロンひかり』会場までご案内いたします。」と連絡があり、患者会の『ピアサポートサロンひかり』に出席した。 その後、『吉田富三記念 福島がん哲学外来』に行った。 【「今月は13時より『ピアサポートサロンひかり』また、14時 先生のお話を伺いたいと予約が入っております。『ピアサポートサロンひかり』も14時までになるので、少し時間がタイトですが、ご対応頂けると助かります。先生と1対1でお話がしたいと 希望がありました。」】とのことであった。 菅原裕 氏の真摯な働きには、大いに感服した。 早速、『ピアサポートサロンひかり』代表:鈴木牧子 氏から「本日、久しぶりに、変わらぬ先生の笑顔が、嬉しかったです。 誰かの笑顔が見られたら、今日一日、満点ですね。」との心温まる ユーモア溢れる 励ましのメールを頂いた。 ただただ感謝である。 大変有意義な貴重な『福島の新幹線の旅の1日』であった。  2022年10月1日『市ヶ谷だいじょうぶ!カフェ』(田口謙治・桂子 夫妻の企画)に参加した。 大会場は、多数の参加者であった。 講演後は5組の個人面談も行った。【「本日はご講演と面談をありがとうございました。たくさんの方から、「深い学びとなりました」&「たくさん笑いました」などの感想が届いています。 また、面談された方々も、「今まで家にこもっていましたが、これからは もっと外に出ようと思います」等など、具体的な人生のヒントを受け取られていたようでした。 とても有意義な時間となりましたこと、心からお礼を申しあげます。 これからも、来てくださる方が安心して重荷を降ろし、笑顔で帰って行かれるように、スタッフ一同、研鑽を重ね、より良いカフェを開催できるよう努めて参ります。」】との感想を頂いた。 大いに感動した。