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第217回 大事な使命 〜 選択と覚悟 〜

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 2021年9月23日(木)秋分の日、『21世紀のエステル会』「代表:金田佐久子 (川口がん哲学カフェいずみ 代表)、 広報部長:田鎖夕衣子(がん哲学外来メディカルカフェひばりが丘 代表)、 企画部長:太田和歌子(がん哲学外来白鷺メディカルカフェ 代表)」のZoom「4周年記念シンポジウム」に赴いた。   今回は、太田和歌子 氏が、会場を準備された。  スタッフの「親切な おもてなし」には、ただただ感謝である。  『21世紀のエステル会』については、『「私たちは いつか病気になり、老いを迎え、やがて死に向き合う時が来ます。  それを絶望の時と呼ぶ人は多いでしょう。  けれども、人は病気(がん)になっても、「病人」になるのではありません。  健康な時には 気づかない大事な使命があるのです。  人は必ず 人生から期待されていることがあるはず。  「もしかすると この時のためかもしれない。」(エステル記4章14節)』と謳われている。    今回は、月岡邦彦 氏(メディカルカフェ世田谷深沢 代表)、海老澤規子 氏(さいわいカフェin茨城筑西 代表)からもお話を伺い、コロナ禍でも がん哲学カフェを開設/運営している者どうし、交流の場ともなった。  お2人の真摯な姿には、大いに感動した。  『21世紀のエステル会』の顧問を務める筆者は、講演『いい覚悟で生きる 〜 コロナ禍でのがん哲学 〜』の機会が与えられた。  『メディカルカフェを始める時、どうしても譲れない理由があり、「覚悟」をもって開設へと踏み出したことと思います。  そして一度活動を始めると、続けることへの責任が生まれて、スタッフとしての研鑽を積むことも必要です。  とくに、コロナ禍の下でのカフェ運営には、これまでにない選択と覚悟とを迫られます。  より良いカフェを目指して、他のカフェにも参加したり、各自の経験だけでなく、人との出会いと交流から、豊かな学びを得ることができるのではないでしょうか。  カフェの経験や関わりも様々な方が共に集い、それぞれの「覚悟」を分かち合えればと思います。』と紹介された。 『新渡戸稲造(1862-1933)の言葉』 1)『人生は百貨店のようなものだ』 2)『つらいことがあっても顔には出すな』 3)『状況の悪いときこそ明るい面を見よ』 が、蘇る日々である。        

第216回 恩返し〜 生き物との交流 〜

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 2021年9月14日、第84回『がん哲学外来メディカル・カフェ@よどなし』(淀橋教会に於いて)に赴いた。  35を超える多数の質問が寄せられた(下記)。  大いに感動した。 <癌について> 1)漢方治療と西洋医学がありますが、どう違いますか。 ―― 4)癌は今や二人に一人がなる時代であれば、癌保険などの経済的な備えはどうしても必要でしょうか。 5)癌が再発する場合は、最初より悪化する場合が多いのでしょうか。それとも全くケースバイケースなのでしょうか。 ―― <コロナについて> 7)コロナ禍で、免疫をつける様々なことが注目されていますが、免疫というのはどのくらいの期間で上がるものなのでしょうか。 8)医療現場逼迫の影響で、救急でも病院での受診が困難なケースが見られるようになっています。症状が悪化し、治療が受けにくい場合、どうすればいいでしょうか。 9)例えばコロナのような目に見えない不安に駆られた時、どんな解消法がありますか? 10)コロナよりも癌の方が、患者数も、死者も多いと思いますが、コロナの方が恐れられているように思います。何故なのでしょう。 <がん哲学外来について> 11)もうすぐ敬老の日です。長く生きることも幸せですが、メディカル・カフェに出ていると、そればかりではないという思いが強くなりました。もし先生が敬老会に招かれたら、どのようなお話をなさいますか? 12)「品性の完成」で大切なことはなんですか? 13)先生の言葉の処方箋「ほっとけ、気にするな」や、嫌なこと他人に言われることは「虱にチクリと刺されるようなものだ」ということが、何度も伺っているうちにわかってきましたが、そのことを悩んでいる友人に伝えたら、「私の気持ちをわかってくれない。他人事のように思っているでしょう」と言われました。―― どのような心構えで接したらよいでしょうか。 14)著書の中にある「よい努力」の話を聞かせてください。 15)小学生へのがん哲学の講演の時は、どんな反応がありますか? 16)今後がん哲学の発展や展望があったら、聞いてみたいです。 <人間関係について> 17)「正論」より「配慮」ができるようになるには、どうしたらいいですか? 何か要点があるでしょうか。 18)人付き合いが苦手でも、良い人間関係が結べるでしょうか。 19)自分と全く性格の異なる人を、理解し、コミュニケーシ

第215回 授業の贈り物 〜 今を生きるヒント 〜

 東京都内の小学校の教師から「学校も児童も保護者も 不安な気持ちでいっぱいです。  そのような時に 先生のあたたかいお話を お聞きできることを 心から楽しみにしています。  先生のお話をお聞きし、今を生きるヒント、今を乗り越えるヒントを 子供たちと共に 学びたいと思います。  お忙しいとは存じますが、よろしくお願いいたします。」と 授業の依頼を受けた。  心温まる 励ましのお言葉には、大いに感動した。  これも、昨年発行された『がん哲学のレッスン 〜 教室で<いのち>と向き合う 〜』(かもがわ出版)効果であろう。   また、奈良県在住の方からの ニューモア溢れる 勇気づけられるメール「ダンディで優しく包み込んでくれる 小学生にとって 自分のおじちゃんのような方からの授業の贈り物。  心に一生残ると思います。 先生のあの優しいお顔が浮かびます♪  素敵な一日を 先生はプレゼントされるんですね。」には、感激した。  涙無くしては語れない!    『人生は、ダブルメージャー(衣食住の為 + 生きがいの為)!  暇=日間(太陽の光が射し込む = 尊厳に触れる)になると良い!  日本人は肩書きで 偉いと思っている人間が多い、肩書きが無くなると 虚しくなる!   日本人は 太陽の光が反射しているだけで、夜の6:00 pmになると、むしょうに寂しくなる人間が多い!』が、2008年に、順天堂大学で始めた『がん哲学外来』での「人間学」の習得であった。  新渡戸稲造(1862-1933)生誕150周記念事業「21世紀の知的協力委員会」が設立された。  筆者は、議長を仰せつかった( sites.google.com/site/cic21st/ )。    来年は、新渡戸稲造生誕160周年である。  1913年、新渡戸稲造は第一高等学校の校長を辞する時、深く悲しんで、自宅までついてきた生徒達に語った。「皆さんはこの先、長い人生の中で失敗をしたり、人に裏切られるようなことがあるかもしれません。でも、このことだけは忘れないでください。ただ一人 あなたがたを愛し、決して見捨てることのない方がいることを」の言葉を若き日から教わったものである。  「見る人の こころごころに 任せおきて 高嶺に澄める 秋の夜の月」(新渡戸稲造)が、「世の中の動きを静観」する胆力であろう!

第214回  愛ある者は勇敢 〜 丁寧に仕上げていく 〜

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 2021年9月1日『がん哲学外来ピア・カフェ at三鷹ネットワーク大学』での『樋野興夫先生による講演とピア・カフェ』(代表:酒井久実子 和洋女子大学教授)に赴いた(添付)。   大変、有意義な貴重な時であった。  スタッフの熱意には ただただ感服した。  筆者は、さりげなく、「どんな種よりも小さいのですが、成長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります」と、『からし種』の話をした。  また、母を亡くして 悩んでいる クララ・ホイットニー (Clara A. N. Whitney、1860 – 1936、『クララの明治日記 勝海舟の嫁』)に対して、勝海舟 (1823〜1899)の奥さん(民子 1821-1905)の言葉;『悲しい時には 私達の所へいらっしゃい、一緒に泣きましょう、そしてあなたが 仕合せな時には 一緒に笑いましょう。さあ勇気をお出しなさい、——これから先の長い年月のことは考えず、今日という日以外には 日がないと思って ただ毎日をお過ごしなさい』が、『訪れる人を 温かく迎い入れる = がん哲学外来ピア・カフェ at三鷹ネットワーク大学」の原点ですね!』と語った。  『ピア・カフェ開設2周年記念 NEWS Letter』も発行されるようである。  『さいわいニュースレター』、『いばらきチャウチャウ友の会通信』を定期的に発行されている『がん哲学外来さいわいカフェin茨城・筑西』代表:海老澤規子 氏からは、ユーモア溢れる、絵葉書が送られて来た。大いに感動した。 段階ごとに辛抱強く 丁寧に仕上げていく 最後に立派に完成する  実践であろう!  筆者の故郷の、出雲大社の因幡に白兎を紹介して、『「最も剛毅なる者は 最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なる者である」とは、「高き自由の精神」を持って医療に従事する者への普遍的な真理であろう。「他人の苦痛に対する思いやり」は、医学、医療の根本である』と話した。「電子計算機時代だ、宇宙時代だといってみても、人間の身体の出来と、その心情の動きとは、昔も今も変ってはいないのである。 超近代的で合理的といはれる人でも、病気になって、自分の死を考へさせられる時になると、太古の人間にかへる。その医師に訴へ、医師を見つめる目つきは、超近代的でも合理的でもなくなる。静かで、淋しく、哀れな、昔ながらの