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第235回 「日記をつけよ!」 〜 生まれた義務 〜

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 2022年1月25日『がん哲学外来研修センター ニュースレター 163号』が、「がん哲学外来市民学会」広報担当の長野県小諸市の星野昭江 氏から送られてきた。 「佐久ひとときカフェ」、「万座カフェ」の模様が記載されていた。 数年前、「佐久ひとときカフェ」に参加したのが、鮮明に思い出された。 また、2021年12月23日 万座日進館(群馬県)での『樋野先生 恵泉女学園理事長の就任を祝う会』の記事には大いに感動した。 忘れ得ぬ人生の良き思い出である。 今回は、163号とのことである。 継続的に発行されている星野昭江 氏の「器量と胆力」には、ただただ感服である。 都道府県平均寿命で女性の第1位は、長野県とのことである。 大変興味深い。  コロナで自粛の時代、静かな読書の時間が、与えられている。 新渡戸稲造(1862-1933)の言葉に「人生に逆境も順境もない」がある。  2022年1月26日朝の読書は、「新渡戸稲造の著作」の復習の時だった。 「自分に与えられた才能を最高に発揮することが、人が人として生まれた義務なのだ。」(『世渡りの道』) 「喜びを捨てて、はじめて祝福を受ける」(『修養』) 「一日に5分でも心を落ち着けて考え、世の中の雑事から超然とする時間をもつ」(『修養』) 「人は何事においても、困難な試練を乗り越えなかれば、その後大きく伸びることはできないのだ。」(『人生読本』) 「毎日日記をつける」(『人生読本』) 「日記をつける」メリットは、「1)何が重要なのかが明確になる  3)問題の解決策、選択肢が見つかりやすくなる」と学んだものである。 思えば、筆者は、小学生5年生時代に教師から、「日記をつけよ!」と指導された。 そして、小学校の卒業式での、来賓の「ボーイズ・ビー・アンビシャス」(boys be ambitious)(1877年札幌農学校のクラーク博士の言葉)が胸に染み入り、クラーク精神が、内村鑑三(1861-1930)& 新渡戸稲造(1862-1933)へと導かれ、そして、南原繁(1889-1974)& 矢内原忠雄(1893-1961)と繋がった。 それが、今も文書を書く習慣となった。 まさに、「人生邂逅」の「非連続性の連続性」であった。「すべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ人への手紙8章28節)の体験の日々

第234回 人生の旅 〜 悔いなし 〜

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 東京医科歯科大学名誉教授 春日 孟 先生(享年94歳)が、2022年1月15日(土)に御逝去された。 筆者は当時、豊島区の大塚にあった癌研病理部での研修研究員時代、1984年9月 東京医科歯科大学病理学教室で論文『肝癌症例におけるB型肝炎ウイルスDNAの組み込み頻度と肝癌発生におけるその評価』を提出して医学博士を取得させて頂いた。 そして、研究員となり、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センターで、「B型肝炎ウイルス」の研究する機会が与えられた。 貴重な人生の出会いであった。 涙無くして語れない。 心より哀悼の念とご冥福をお祈り申し上げます。  最近、『21世紀のエステル会』スタッフから送られて来た『30歳代、40歳代、50歳代、60歳代の心得』の絵葉書が大きな話題になっている。  そして、『70歳代、80歳代、90歳代』についての質問が寄せられた。 まさに、『70代、80代、90代からの旅』を考える時代的到来である。 今朝(2022年1月19日)、曲『我が人生に悔いなし』を拝聴した。 94歳でご逝去された春日孟 先生の静思の時ともなった。 筆者の第1作(2021年)は、『ほっとけ 気にするな』(歌:田島玲子、作詞:樋野興夫、作曲:鈴木穂波)であった。 今年(2022年)は、第2作目として、『人生の絵葉書 〜 各年代からの旅 〜』の予感がする。   新渡戸稲造(1862-1933)の言葉に「人生に逆境も順境もない」がある。 「自分のことばかり考えると、悩みや苦しみが立ちはだかって逆境になる。 でも、自分よりも困った人に手を差し伸べようとすれば、自らの役割が生まれ、逆境はむしろ順境になるのです。 人は人に期待するから絶望するのであって要は、人生から期待するから期待されるようになればいい。 それは自分なりの使命を見いだすことで可能になります。」&『世に処する人は「性質の異なった者を 容れるだけの雅量」をもたなければならない』は時代的要請であろう。 丁度、東久留米カフェに毎回参加されている方から、富士山の写真が送られてきた。 大いに感動した。 まさに、「目的は高い理想に置き、それに到達する道は臨機応変に取るべし」(新渡戸稲造)の実践である。

第233回 『「変わり者」でなく「変わり種」』 〜 『種を蒔く人』 〜

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 先日、筆者の10年以上前の対談集(鈴木寛 先生、立花隆 氏;下記)を観られたとの連絡があった。 「次世代の環境発がんを考える会」設立記念シンポジウムで、開会挨拶を文部副大臣にお願いした。 https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2007/0551/、2011年の東日本大震災時には鈴木 寛(文部科学副大臣)と特別対談した。 https://gansupport.jp/article/series/series13/3590.html    また、今は亡き立花隆 氏と がん細胞から世界平和まで縦横に語り合う白熱の3時間 「知の巨人」立花さんが自らのがん体験を踏まえ、樋野さんに鋭く迫る がん特別対論・立花 隆(評論家) × 樋野興夫(順天堂大学医学部教授) 対談した。 『文中「がん哲学外来」で異色のがん医療に関わっている樋野興夫さん とご紹介されていました。 「異色」は気にさせますね。』とのメールを頂いた。  さらに、【新刊『がん細胞から学んだ生き方「ほっとけ 気にするな」のがん哲学』(へるす出版)の、『菅野晴夫 先生 (1925-2016) は「30代は 人にいわれたことをがむしゃらにやれ、40代で 自分の好きなことに専念し、50代で 人の面倒をみる、60代に なっても自分のことしか考えていないなら恥と思え」』(38,、39ページ)とあります。】また、『「2015年頃にNHK教育(Eテレ)に樋野先生が出演されているのを、TVを見ていて(衝撃を受けた言葉です!』とのメールも届いた。 懐かしい貴重な想い出である。 今回、「70代は?」との問い合わせがあった。 静思の時である。  思えば、2005 年、『クボタショック』の年、筆者は順天堂医院で『アスベスト・中皮腫 外来』を開設する機会を与えられた。 そして、2008年、順天堂医院で、『がん哲学外来』が始まり、毎日新聞、読売新聞、NHK にも大きく報道された。 また、朝日新聞の一面の記事に、私のことを、『「変わり者」でなく「変わり種」』と、紹介されたことが鮮明に甦る。 「変わり種」は「からし種」の如く、とのことである。 そして2019年、『種を蒔く人になりなさい』(いのちのことば社)の発行に繋がった。 人生は、『不思議な不連続の連続である』ことを痛感する日々である。

第232回 『人生を動かす出会い』 〜 話し方や身のこなし 〜

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HAPPY NEW YEAR !  2022年の始まりである。   2022年1月2日は、昨年12月14日91歳で、ご逝去された叔母さん(父の妹)の家にWifeと赴いた(横浜)。 娘さん夫婦、妹さん、お孫さん夫婦とお逢いした。 大変、有意義な充実した貴重な時となった。 島根県出雲大社の鵜峠で育った筆者が、大学受験の時は、叔母さんは京都に住んでおられたので、お世話になって京都で浪人することになった。 予備校の英語の先生が東京大学の法学部を卒業した方で、戦後初の東京大学総長を務めた政治学者の南原繁の講義を実際に受けておられていたので、授業中には、南原繁の雑談を挟んでくださった。 それまで筆者は、南原繁のことは名前さえ知らなった。 その先生が話してくれた南原繁の話し方や身のこなしなどが、学者の風貌をつくり出した。 そして、医療関係以外、つまり専門外の本を読む習慣が身についた。  医学部を目指している浪人生が、政治学者の南原繁を読む。 この読書が筆者の人生を豊かにするなどとは、もちろん当時は思いもしなかったが、いま考えると それこそ人生を左右する大きな出会いとなった。 浪人生活をしていなければ、予備校の先生との出会いはなかったわけで、人との出会いは本当に大切だとつくづく思う。  まさに、『もしかすると この時の為』であろう! そして、南原繁の言葉に背中を押されて、南原繁が尊敬する内村鑑三、新渡戸稲造の書籍も読むようになった。 さらに、矢内原忠雄にも繋がった。 南原繁は政治学者、新渡戸稲造は農政学者、内村鑑三はキリスト教思想家、矢内原忠雄は経済学者。 専門分野以外との出会いが、筆者の原点である。 若き日に出会った先人たちの思想や生き方、そして言葉の数々が、25年後の『がん哲学』の種子になるとは、当時の筆者には知る由もない。 それが、「欣然たる面貌、快然たる微笑をもて」(新渡戸稲造)の実践の『がん哲学外来』の心得となった。 『人生を動かす出会い』を痛感する日々である。