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第123回 「アメリカの旅」 〜 愛し、決して見捨てることのない方が いる 〜

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 アメリカのミシガン州の Grand Rapids に住む、1 2 月1 4 日   2番目の子を出産した娘を訪問した。 昨年3月以来の来訪となった。  Wife は、既に、孫の世話に到着していた。 新年は、 Boston  の South Hamilton に住む、今年の8月 14 日に3   番目の子を出産した娘を訪問する。年末・年始は アメリカである。  思えば、2 003 年『われ2 1 世紀の新渡戸とならん』、2 018 年新訂版、2 019 年 英語訳『 I want to be the 21st Century Inazo Nitobe 』が発行された。 新渡戸稲造は「実業之日本社」の顧問として『実業之日本』の編集に携わった。新渡戸稲造は、「まず、人間にとっては 個が確立しなくてはならないこと。そして学校の使命は、人格者を育てることが 第一である」と語った。これに対し、当時の学者たちは   酷評したが、 この時、医師・官僚・政治家、内務大臣、外務大臣、東京市長を歴任した   後藤新平は 新渡戸稲造を、大いに励ました。 いつの時代でも身近に味方はいる。新渡戸稲造は、1 911 年   日米関係が悪化してくると、改善を図る為に 米国各地を回り講演を行った。一部の政府高官や知識人たちは新渡戸稲造を非難した。しかし、新渡戸稲造は、淡々と胆力をもって「見る人の   こころごころに任せおきて 高嶺に澄める 秋の夜の月」の短歌を作った。「日めくり」として   我が家に貼ってある。  1913 年   新渡戸が 第一高等学校の校長を辞する時、全校生徒は 深く悲しんだ。その時、「皆さんは   この先、長い人生の中で失敗をしたり、人に裏切られるようなことがあるかもしれません。でも、このことだけは忘れないでください。ただ一人 あなたがたを愛し、決して見捨てることのない方が いることを」と   悲しむ生徒に語った。   当時の有識者の中には、新渡戸稲造を非難する人々もいた。   しかし、新渡戸稲造 夫妻は   「全く気にかけなかった」と、筆者は若き日から教わったものである。人生邂逅の原点である。不思議な出会いである。  2 019 年の年末は、「純度の高い専門性   と 社会的包容力を身につけた教養人・人格者 : 新渡戸稲造 」 の再確認と深い学びの「ア

第122回 年末・年始 〜 心温まる 「おもてなし」 〜

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「がん哲学ひだまりカフェ in  邑楽   設立記念映画上映会・講演会 」 の上毛新聞掲載記事 (12 月 16 日付)が送られてきた(下記)。主催者の心温まる   「おもてなし」と、熱意には、本当に感動した。今年の良き想い出となった。  2019 年 12 月 17 日、 ウエスタ川越での「 小江戸がん哲学外来   三周年記念・矢形寛教授追悼記念講演会」に出席した(下記)。筆者は、講演『小江戸がん哲学外来   三周年を迎えて』の機会が与えられた。会場は、多数の参加であった。  看護師の『開会の挨拶』で始まり。埼玉医科大学総合医療センターのリウマチ膠原病内科   教授 :  天野宏一 先生の『がん哲学外来から学ぶリウマチ・膠原病診療』、消化器外科・一般外科 教授:石田秀行 先生の『埼玉医大、日本遺伝性腫瘍学会での矢形先生の熱き思い』、タレントの山田邦子 氏の『 Special Guest トーク』、『「お別れの言葉」患者代表』( NPO 法人   くまがやピンクリボンの会、あけぼの会 あけぼの埼玉、アイピー千葉、埼玉医科大学総合医療センター:乳がん・婦人科がん患者会)には、大いに感銘した。『終わり』は、緩和医療科 教授 :  儀賀理暁 先生のギター伴奏で「3 65 日の紙飛行機」を熱唱した。『閉会の挨拶』は、 矢形寛先生の奥様がなされた。涙無くして語れない「追悼記念講演会」であった。! 夕食会も   忘れ得ぬ   ひと時となった。  筆者が理事を務める 東京女子大学の Christmas Party (東京會舘に於いて)に招かれた。テーブルでは、初代学長の新渡戸稲造の「女子教育」の理念についても語り合った。 Holy Orchestra による演奏会「 きよしこの夜」の合唱で終了した。筆者は来週からアメリカ(ミシガン、ボストン)で年末・年始である。

第121回 『「がん哲学外来」に見る 現代の日本社会の病理』 〜 歴史的傑作 〜

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 定例の「 東久留米   がん哲学外来 ・カフェ」に赴いた。   個人面談、 久しぶりの方、初めての方、レギュラーの方 と 、多数の参加で 、 本当に、充実した時で あった。   終了後は、東久留米駅近接のインド料理店「ルチア」での 「 読書会   &   クリスマス会 」に向かった。今回の朗読本は、内村鑑三著『代表的日本人』であった。「正義を受け、信念の人」の学びでもあった。読書会終了後は、夕食を共にし、 楽 しいひと時 となった。   思えば、「 東久留米がん哲学外来 ・カフェ」 は、 2 008年 の 開始 、 読書会は、 2 007年 の 開始 である。継続の重みを痛感する日々である。「 来年は、スタートして、12年。干支も一回りしますので、東久留米がん哲学外来12周年行事として進めていければと思います。 」との、スタッフの温かい勇気付けられるコメントを頂いた。『 東久留米がん哲学外来 』 冊子の作成 をしようと、話が大いに盛り上がった。乞うご期待である。  今回の読書会に 、 2010 年『「がん哲学外来」に見る 現代の日本社会の病理』(下記)の記事を製作された編集者が、 初めて 参加された。大いな驚きであった。懐かしい想い出でもある。  本日は、筆者が編集に携わった新刊『教会でも、がん哲学外来カフェを始めよう』の 発売日である(下記)。 多数の方が、執筆された。本当に、歴史的傑作となる予感がする。 明日の「がん哲学外来メデイカル・カフェ@よどばし」でも、新刊が、大いに話題となろう。

第120回 内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄 〜 知識・識別力・見分ける 〜

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 『夏の坂道』発刊記念シンポジウム「南原繁の青春と戦後改革 〜 著者とブック・トーク 〜」が学士会館で開催された。第1部は、作家の村木嵐氏と東京大学社会科学研究所教授の宇野重規先生との対談、第2部は、パネル・ディスカッション「『夏の坂道』をめぐって」であった。コーディネータ・パネリストの真摯な読書感と、フロアとの質疑応答が行われた。多数の参加者であった。絶対的なる平和国家は、「すべて その存在の意味を認められ、すべての その価値を発揮する」であろう。まさに、身体の構造であり、生命現象である。「彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国と国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」( イザヤ2章4節)が、基本理念であろう。  筆者は、「夏の坂道シンポジウム実行委員長」として、閉会挨拶で、「 内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄の時代の流れ」を語った。懇親会も、冗談の『 NHK 大河ドラマ「夏の坂道 〜 内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄 〜」』で、大いに盛り上がった。テーマは、「1)真の知識 2)あらゆる識別力 3)真にすぐれたものを見分ける」である。本当に実現したら、歴史的大事業であろう。「冗談を実現する人物」の時代的出番であろう!『夏の坂道』の6ページの「そうですよ、繁さん。お月様は いつもごらんになっていますよ。だから 人は悪いことをしてはいけません。昼のお日様と夜のお月様に 恥ずかしくないように、繁さんも立派な大人にならなければね」が、筆者の幼年時代の原点回帰である。無医村で育った 筆者の幼児期、母親の背におわれて 隣村の診療所に行ったことが、鮮明に蘇った。筆者の叔父達は、第二次世界大戦で戦死し、末っ子の母が、我が家を継いだ。その故に祖父が「ひの おきお = 火を興す = Origin of fire 」と筆者を名付けたと 育てられた。