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第495回 『純度の高い専門性と包容力』 〜 先人からの学び 〜

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 2025年8月30日午前 早稲田大学エクステンションセンター(早稲田校)での講座【『ジャンル 人間の探求:テキスト:樋野興夫『新渡戸稲造 壁を破る言葉: 逆境に立ち向かう者へ40のメッセージ』(三笠書房)】に赴いた。   午後は、南原繁(1889-1974)研究会『第14回夏期研究発表会 (日本教育会館に於いて)に出席した。 筆者は、2004年にスタートした南原繁研究会【初代代表 鴨下重彦(1934-2011)先生(東京大学名誉教授、国立国際医療センター名誉総長)、第2代代表 加藤節先生(成蹊大学名誉教授)】の3代目の代表を 2019年『南原繁生誕130周年』を祝し、仰せつかった。 開会挨拶:栩木憲一郎 近藤信和:南原繁からみた江原萬里の思想とキリスト教信仰――正義とは、己が行動のうちにキリストの活きて働き給はんこと 稲垣久和:価値並行論と「生活世界」の学問論 川口雄一:南原繁の思想形成過程 鈴木英雄:南原繁と田中耕太郎 森和博:石母田正『歴史学と「日本人論」』 閉会挨拶:樋野興夫 【南原繁は、内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造(1862-1933)から大きな影響を受けた(添付)。 南原繁は新渡戸稲造が第一高等学校校長時代(1906-1913)に学び、東大法学部に入学(1910年)後、内村鑑三の聖書講義に出席するようになった。 卒業後は、内務官僚から学者に転進し、ヨーロッパ留学を経て東大教授(1925年)となり、1945年3月10日に法学部長に就任、戦後、東大総長に就任(1945年12月)し、教育改革に主導的役割を果して行く】。  今年(2025年7月30日)【『南原繁没後50年・南原繁研究会発足20年』:『戦争と平和 ─ 南原繁再考(その2)』(横濱大気堂発行)】が製本された。 筆者は、『まえがき』に【南原繁が東大総長時代の法学部と医学部の学生であった二人の恩師から、南原繁の風貌、人となりをうかがった。 南原繁は『高度な専門知識と幅広い教養』を兼ね備え『視野狭窄にならず、複眼の思考を持ち、教養を深め、時代を読む
具眼の士』】と記述した。 日々 『先人からの学び』である。

第494回 『一個の人間にかえる』 〜 『ほっとけ、気にするな』の実践 〜

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 2025年8月26日、ひばりヶ丘駅→池袋駅→大宮駅→福島駅に向かった。 大宮駅から福島駅への新幹線の車内から、農家、畑、森林を眺めながら、大いに心が癒された。 福島も猛暑であった。 福島駅からは、タクシーで『福島県立医科大学附属病院』に到着した。『がん相談支援センター』で2009年スタートした『吉田富三(1903-1973)記念福島がん哲学外来』を行った。 大変、貴重な個人面談の機会が与えられた。 2019年には10周年記念市民公開講演会が企画されたものである。 まさに『ほっとけ、気にするな』の実践である。  筆者は医師になり、癌研究会癌研究所の病理部に入った。 病理学者であり当時の癌研究所所長であった菅野晴夫先生(1925-2016)の恩師である吉田富三との『邂逅』に繋がった。 菅野晴夫先生とは、【2003年『日本病理学会』と『日本癌学会』で『吉田富三生誕100周年記念事業』】を行う機会が与えられた。   【『電子計算機時代だ、宇宙時代だといってみても、人間の身体の出来と、その心情の動きとは、昔も今も変ってはいないのである。 超近代的で合理的といわれる人でも、病気になって、自分の死を考へさせられる時になると、太古の人間にかえる。 その医師に訴へ、医師を見つめる目つきは、超近代的でも合理的でもなくなる。 静かで、淋しく、哀れな、昔ながらの一個の人間にかえるのである。 その時の救いは、頼りになる良医が側にいてくれることである。(吉田富三 1968年)』&『医師が患者という人間をみる「眼」の問題は、近代医学教育と、医師の修練過程のどの部分で、どれだけ重視されているのか。 そこを考えると、疑問なきを得ない(吉田富三1967年)】の原点回帰である。  【『がん細胞は増殖して仲間が増えると、周囲の正常細胞からのコントロールを脱し、悪性細胞としての行動をとるようになる。 君達学生諸君も似たところがある。 一人ひとり話をすると、常識もあり善良な青年にみえるのだが、学生自治会として集団行動をとると、変なことを云ったりしたりする。』(吉田富三の授業)&『最初に、正常細胞の変化したものとして、正常との比較においてこれをみる。 次には、癌細胞同士を比較する。』 (吉田富三の癌の理解の道)】

第493回 『ユーモア(you more)』 〜 『新しい自分の発見 & 他人の理解が深まる』 〜

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 筆者は、2025年8月19日 池袋駅で偶然に 日本リハビリテーション専門学校 作業療法学科教員の柴田美雅先生にお逢いした。 柴田美雅先生からは、昨年日本リハビリテーション専門学校で講座を依頼されたものである。  【本日、池袋駅でお声かけした、柴田です。 去年は、『広い視野のゴジラ』とお名前頂いた者です。 あの人混みで たまたま見かけるなんて、自分でもビックリしました。 また、機会あれば色々と学ばせて下さい。――― 後期また授業を計画しております。 タイミングをみてまた連絡差し上げたいと思います。 宜しくお願い申し上げます。】との心温まるユーモア溢れるメールを頂いた。  『樋野動物園』の管理人の森尚子氏は『春風のようなゴリラ』で、柴田美雅先生は、『広い視野のゴジラ』である。『個性を引き出す = 種を蒔く人の実例と実行』が『樋野動物園の理念』である! 『多角的な性格から 現れ出づる 多面的な観察と識見』(新渡戸稲造:1862-1933)であり、これこそ、『ユーモア(you more)の試金石』であろう。『個性と多様性の学び』である。【『樋野動物園』の使命・役割は、『ただ、横にいるだけでいい。 必ず誰かの役に立っている。』】の実例で、【『純度の高い専門性と社会的包容力の実践の場=『樋野動物園』】である。【役割意識と使命感 〜 『新しい自分の発見 & 他人の理解が深まる』 〜 】である。『心が通じ合う人と 出会うことが 人間の一番の楽しみである。』(新渡戸稲造)を体験する日々である。  その後、ゴジラが見える新宿街の『すき焼き』のレストランで、Wifeはアメリカ ミシガン州在住の娘を訪問中であるので、息子夫妻が夕食の企画をしてくれた。 大変有意義な、楽しいひと時であった。 ただただ感謝である。  8月20日は、『第38回発癌病理研究会』(会場:国民宿舎サンライズ九十九里 千葉県山武郡九十九里町)に赴く。 筆者は、2016年『第31回発癌病理研究会』を長野県 信州松代ロイヤルホテルで主催したのが、懐かしい想い出である。 筆者は、医学部を卒業して、癌研で『発癌病理研究』をスタートしたものである。 

第492回 『個性を引き出す』 〜 『多面的な観察と識見』 〜

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 筆者は、2025年8月13日『9周年記念 目白がん哲学外来カフェ』【代表:森尚子(春風のようなゴリラ🦍)氏 & 土肥研一(らくだ)牧師】(目白町教会)に赴いた。 会場で『手のひらを太陽』(作詞:やなせたかし)が熱唱された。 ぼくらはみんな 生きている ミミズ だって オケラ だって アメンボ だって トンボ だって カエル だって ミツバチ だって みんな みんな 生きているんだ 友だち なんだ の歌詞は、『樋野動物園の原点の学び』となった。   『個性を引き出す = 種を蒔く人の実例と実行』が『樋野動物園の理念』である! 『多角的な性格から 現れ出づる 多面的な観察と識見』(新渡戸稲造:1862-1933)であり、これこそ、『ユーモア(you more)の試金石』であろう。 『色々な情報が 飛び交う 今、本物を見分ける方法が 求められる 最近の社会的状況』の中では、『自分の力が 人に役に立つと思うときは 進んでやれ』(新渡戸稲造)が『樋野動物園』の時代的要請であろう!  『個性と多様性の学び』である。  【『樋野動物園』の使命・役割は、『ただ、横にいるだけでいい。 必ず誰かの役に立っている。』】の実例で、【『純度の高い専門性と社会的包容力の実践の場=『樋野動物園』】である。【役割意識と使命感  〜 『新しい自分の発見 & 他人の理解が深まる』 〜 】である。『心が通じ合う人と 出会うことが 人間の一番の楽しみである。』(新渡戸稲造)を体験する日々である。  まさに、『必要なのは正論より配慮、正論は人の数だけある』&【言葉は『何を言ったかではなく、だれが言ったか』で決まる】の復習である。

第491回 『大志を抱け!』 〜 『敬虔 & 威厳 & 平安』 〜

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 筆者は、2025年8月8日 病理医として 定例の『病理組織診断業務』を担当した。   【『病理学』は『形態』&『起源』&『進展』などを追求する学問分野である。】【『病理組織診断』は『風貌を診て、心まで読む = 人生の根幹を追求する』でもある。】【『顕微鏡観察』は『癌細胞の病理と人間社会の病理 = 生物学の法則+人間学の法則=『がん哲学の原点』】(添付)である。 『病理学者』が『がん哲学外来』を創設出来たのは ここにあろう!  筆者は、2008年1月順天堂大学の病院の診察室で、無料の『がん哲学外来』を始めた。 その年(2008年)の秋に病院外で『がん哲学外来・カフェ』を開始する機会が与えられた。 まさに、『病理医よ 大志を抱け!』の歴史的要請であろう!  筆者は、アメリカのFox Chase Cancer CenterのKnudson博士(1922-2016) の下で『遺伝性腫瘍』を学んだ(1989-1991)。 そして、『癌研究所所長:菅野晴夫(1925-2016)先生』に癌研究所実験病理部部長(1991-2004)に呼ばれ帰国した。  原田明夫(1939-2017)検事総長とは、2000年に『新渡戸稲造(1862-1933)武士道100周年記念シンポ』、さらに『新渡戸稲造生誕140年』(2002年)、『新渡戸稲造没後70年』(2003年)、順天堂大学教授に就任(2003年)し2004年には、国連大学で『新渡戸稲造 5000円札さようならシンポ』を企画したのが 走馬灯のように駆け巡って来た。  また、『人間は、ロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe)の様に孤島にひとり住んでいたのでは、良い人か悪い人かは判らない、人間社会の中に住まわせてみて初めてその性(サガ)が明らかになる。』(吉田富三;1903-1973)が鮮明に蘇って来た。  8月9日は【お茶の水メディカル・カフェ in お茶の水クリスチャン・センター(OCC)】に参上する。 筆者は、『順天堂大学医学部 病理・腫瘍学教授』時代の 2012年5月26日にOCCでの第1回『お茶の水(OCC)メディカル・カフェ』を行なった。『敬虔に、また威厳をもって、平安で静かな一生を過ごす』(テモテへの手紙第一 2章2節)を痛感する日々である。

第490回 『精神的食料』 〜 どんな境遇、状況でも支援する 〜

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 2025年8月4日 猛暑(35度)の東京では、筆者は【ひばりヶ丘駅 ―> 池袋駅 ―> 新宿駅 ―> 中野駅 ―> 新渡戸稲造(1862-1933)記念センター in 新渡戸記念中野総合病院 ー> 中野駅 ―> 御茶ノ水駅 ―> 順天堂大学 ―> 本郷三丁目駅 ―> 池袋駅 ―> ひばりヶ丘駅】の『電車の旅』であった。  新渡戸稲造記念センターで【新渡戸記念中野総合病院だより8月号(2025年8月1日号434号)】を拝読した。 新渡戸記念中野総合病院 病院長 山根道雄先生の【新渡戸稲造『一日一言』(八月二十九日)】に、『長年月の間には自ら練習も積み、一時の失敗に落胆せず、一時の成功に誇らず、滔々(とうとう)として流るる大河の如くなるべし。』が記載されていた。 大いに感動した。 まさに、『一日の精神的食料』(新渡戸稲造)である。 新渡戸記念中野総合病院の理念は、【新渡戸稲造博士の精神(誠意と思いやりの心)を基にした医療を誠実に実践し、疾病を抱えた人を真心で支援する】と謳われている。   筆者が2019年3月順天堂大学病理・腫瘍学教授を定年退職して名誉教授を拝命した翌月(4月)に『新渡戸稲造記念センター』が設立された。【『新渡戸稲造記念センター』は、東京医療利用組合(現・東京医療生活協同組合)の初代組合長(理事長)である新渡戸稲造博士の志こころざしを 日本の国内外へ広め、実践する拠点となります。『新渡戸稲造記念センター』のセンター長には、新渡戸稲造博士の専門家として本邦の第一人者で、新渡戸博士の志を継承して活躍されている樋野興夫先生が就任されました。】と紹介された。 そして『がん哲学外来 in 新渡戸稲造記念センター』が開設される運びとなった。 『人知を超えて、時が進んでいる』ことを実感した。   【『医療者の道 〜 尺取虫運動に学ぶ 〜』は、『自分のoriginal pointを固めてから、後ろの吸盤を 前に動かし、そこで固定して 前部の足を前に進める。 かくて いつも自分のoriginalityを 失わないですむ』。& 『どんな境遇、状況でも 確実に 前進できる人物になれの心得』】であろう。『医療者と患者の隙間を埋める時代的要請』を痛感する日々である。

第489回 『偉大な水』 〜 『人知を超えた流れ』 〜

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 筆者は、2025年7月28日 羽田空港から デトロイト(Detroit)空港を経由して、娘家族の住むアメリカ合衆国ミシガン州のGrand Rapids空港に赴いた。  『長時間の旅』であった。  飛行機の中では複数の映画を見た。  娘がGrand Rapids空港に迎えに来てくれた。  娘の運転で森林のある住宅に向かった。 Wifeは先に訪米しており、ペンシルベニア州に住むwifeの姉夫妻も到着されていた。 孫も一緒に楽しい夕食の時を持った。   筆者は、『広々とした北アメリカにある五大湖のミシガン湖(Lake Michigan)』の美しい砂浜を散策した。 階段を一歩一歩登った。 『日の出 と 夕焼け』も眺めた。  今回、淡水湖であるミシガン湖で泳いだ。【『偉大な水』である。 面積は58,016 km2、最も深い場所の水深は281mである。 南北の長さは494km、東西の長さは190kmに及ぶ。 貯水量は4871km2である。 ミシガン州の対岸にはウィスコンシン州があるが、水平線の彼方にあるため直接見ることはできない。】とのことである。  今回は、人類共通の【『生物学の法則』+『人間学の法則』】の復学となった。『人知を超えた出会いの流れ』を痛感する 大変有意義な充実した貴重な『ミシガン湖の旅』となった。