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第477回 『言葉の処方箋カルタ』 〜 生命現象の如くバランスが保たれている 〜

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  2025年5月27日『東久留米がん哲学外来』の担当者:小林真弓氏から【5月のカフェもにぎやかにおわりました。 久し振りの方もいつもの方も、今日のカフェに、心安らぐひとときを求めてきてくださいました。 感謝。 前田こずえさん作成の『言葉の処方箋カルタ』のお申し込みたくさんありがとうございます。 締切は5月30日です。 ご希望の方はメールにてお知らせ下さい。 詳細は、このホームページ(https://www.higashikurume-gantetsu.com/)のお知らせのページをごらん下さい。また来月お逢いしましょう】との連絡を頂いた。  【『言葉の処方箋カルタ』とは:『東久留米がん哲学外来15周年記念会(2023年)』の際、樋野先生の『言葉の処方箋』をカルタにしたいと、今は亡き前田こずえさんが 撮りためたお花の写真を絵札に一覧にして掲示しました。 15周年記念会が終わってから、本当に『カルタとり』ができるようなカルタを作成したいと こずえさんが入院中、再作成されたものです(2024年)。 カルタが欲しいとのご要望が多く、今回ご家族様のご厚意で希望の方に実費で お分けすることができるようになりました。】と紹介されていた。 大いに感動した。  5月27日は、新渡戸稲造記念センターから順天堂大学保健医療学部 理学療法学科2年生の授業『病理学概論:カラー学べる病理学』に向かった。 今回は『循環障害:高血圧の合併症 ・ 炎症:炎症とは/炎症の基本病変/急性炎症のしくみ/局所の血管反応/血球成分の遊走/炎症にかかわる細胞/炎症に関与する細胞由来の化学伝達物質』の箇所を行った。 真摯な学生の姿勢には、心が癒された。  その後、代表を務める南原繁研究会(第246回)のZoom参加をした。 事務局長 秋間修氏の司会で【第22回シンポジウム企画 / 夏季研究発表会 / 本の発行計画】 そして 読書会:『南原繁著作集三巻』/ 自由発表:『宗教は不必要か』(2007年to be 出版)であった。【『内村鑑三(1861-1930)& 矢内原忠雄(1893-1961)= 縦軸 vs 新渡戸稲造(1862-1933)& 南原繁(1889-1974)= 横軸』は、同心円でなく楕円形(2つの中心点)で、バランスが保たれている! 生命現象の如く『交感神経 vs 副交感神経...

第476回 『役割と使命』 〜 『俺がやらなきゃ誰がやる』 〜

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 2025年5月22日 【ひばりヶ丘駅 ー> 池袋駅 ー> 日暮里駅 ー> 柏駅】から【柏豊四季台団地の中央にある地域包括ケアシステムの要ともいえる『柏地域医療連携センター』】での『柏がん哲学外来』(担当:『がん哲学外来あびこカフェ』の代表でもある中野綾子氏)に赴いた。 今回も『天に昇る高い東京スカイツリー(634メートル)』を電車内から眺め心が癒された。 【がんの悩みを病院の外で心置きなく話がしたい『がん哲学外来』は、がん患者、経験者、ご家族の為の対話の場です。『がん哲学外来』を提唱された樋野興夫先生とゆっくり語り合ってみませんか?】とチラシには謳われている。 今回も、貴重な個人面談(4人)の機会が与えられた。 面談者も 置かれた状況にも関わらず『役割と使命』に気づかれたようである。   昨年(2024年6月27日)は、中野綾子氏とスタッフの皆様が『柏がん哲学外来15周年記念講演会』(柏地域医療連携センターに於いて)を企画された。 会場には多数の参加者であった。 大いに感動したものである。  終了後、【東京都内の『がん哲学外来亀有メディカルカフェ』(代表:小暮信子氏) & 千葉県流山市の『ながれやま・がん哲学外』(代表:春日井いつ子氏) & 津原豊子氏 & 小林松栄氏】を含め皆様6人で昼食の時を持った。 今回、『柏がん哲学外来の歴史誌』を年内に製作しようと決まった。 また、『暴れん坊将軍』の主題歌『がまん坂』の歌詞『俺がやらなきゃ誰がやる』(北島三郎)も大いに盛り上がった。 まさに、スタッフの皆様の『心得と胆力』である。  『柏がん哲学外来』は、2009年当時の国立がんセンター東病院の病院長の江角浩安先生のお計らいで、柏の葉キャンパス駅隣接の国立がんセンター東病院の施設ビルで開始し、その後、施設ビルがなくなり、2016年からは、現在の柏地域医療連携センターに移動された。 今年(2025年)は、『柏がん哲学外来開設16周年』で、柏地域医療連携センターに移動9周年でもある。 継続の大切さを実感する日々である。

第475回 軸を定めて終始一貫 〜『世渡りの道』〜

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 2025年5月17日 早稲田大学エクステンションセンー(中野校)での講座【ジャンル 人間の探求:がんと生きる哲学 医師との対話を通して『がん』と生きる方法を考える。】に赴いた。 今回は、テキスト:『新渡戸稲造 壁を破る言葉』(三笠書房)の『新渡戸稲造の言葉』の一部を音読しながら質問を受け進めた。 勇気を修養する人は、進むほうの勇ばかりでなく、退いて守るほうの沈勇も また養うように心がけなければならない。 両者がそろってこそ、真の勇気が得られる。『修養』 軸を定めて終始一貫せよ。 すると、それがいかに些細なことであっても、偉大な効果をもたらすことができる。 それがつまらないと思えるようなことでも、徹底していけば、いずれ身につくからだ。 難しいことではなく、ありふれたことを 毎日繰り返していくことだ。『人生読本』 大きな問題を解決する第一歩としては、足元から始めたい。 つまり人生の目的とは 何かという問題に入る初歩として、自分は何のために この世に生きているか、自分は何をしたら いちばん心を満足させうるかを問えばよい。 その答えが見つかったなら、人生の目的という大問題の解答も おのずからわかるようになるであろう。『世渡りの道』 目的は高い理想に置き、それに到達する道は臨機応変にとるべし。 最も必要なことは、常に志を忘れないように 心にかけて記憶することである。『武士道』 愛、寛容、他者への情愛、哀れみの心、すなわち「仁」は、常に至高の徳として、人間の魂がもつ あらゆる性質の中で、もっとも気高きものとして 認められてきた。 それは二重の意味で「王者の徳」とされている。『武士道』 今回、『暴れん坊将軍』の主題歌『がまん坂』の歌詞『俺がやらなきゃ誰がやる』(北島三郎)の話でも大いに盛り上がった。

第474回 他人の感情を尊敬する 〜 誠実に真心で支援する 〜

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 2025年5月12日【新渡戸稲造(1862-1933)記念センター in 新渡戸記念中野総合病院:初代理事長は新渡戸稲造】から恵泉女学園の学園学校会議に出席した。『新渡戸記念中野総合病院』は、新渡戸稲造・ 賀川豊彦(1888- 1960)らにより1932年『東京医療利用組合』として創立された。【理念は、新渡戸稲造の精神『誠意と思いやり』を基にした医療を誠実に実践し、疾病を抱えた人を真心で支援する。―― 】と謳われている。『高度の医療を 全ての人々が 安心して受けられるは 人類の永遠の課題』である。  筆者の順天堂大学 定年退職の2019年に『新渡戸稲造記念センター』が開設され、筆者は『新渡戸稲造記念センター長』として招かれた。 そして『がん哲学外来』を担当することになった。 『もしかすると この時のため かもしれない』(エステル記 4章14節)で、『われ21世紀の新渡戸とならん』(初版2003年、新訂版2018年)の『夢の実現』であろうか! 2019年4月には 英語版『I Want to Be the 21st Century Inazo Nitobe』が発行されることになった。 『人知を超えて、時が進んでいる』ことを痛感する日々である。  筆者は2021年7月1日、新渡戸稲造(1862-1933)から学んだ河井道(1877-1953)が、初代学園長である恵泉女学園の9代目理事長を拝命することになった。 新渡戸稲造の『優雅な感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。しかして他人の感情を尊敬することから生ずる謙遜・慇懃(いんぎん)の心は礼の根本をなす』が鮮明に蘇って来た。  河井道は、1887年スミス女学校(現在:北星学園 女子中学高等学校)(北海道札幌市)に入学し、当時札幌農学校で教えていた新渡戸稲造と邂逅した。 1898年 新渡戸稲造 夫妻に伴われて渡米し、 ブリンマー大学に入学する。 帰国後1929年 恵泉女学園を設立した。 丁度1928年、新渡戸稲造は 台湾在住の男性からの現在の700万円の寄贈を辞退して、台湾在住の男性に『資金繰りに困っている河合道に寄付金として送るよう』伝えた。 そして1929年恵泉女学園創立が実現した。 不思議なタイミングである。

第473回 ギブ・アンド・テイク(Give and take) 〜 小さなことに、大きな愛を込める 〜

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  2025年5月7日 新渡戸稲造記念センターから順天堂大学保健医療学部 診療放射線学科で『病理学総論』と『がん医療科学』の2コマの授業に赴いた。 教科書『カラーで学べる病理学』を音読しながら 約120名の学生と【循環障害:『出血』&『血液凝固と血栓症』&『塞栓症』&『虚血と梗塞』&『浮腫』&『ショック』】を学習した。 真摯な学生の姿勢には、大いに感動した。  『がん医療科学』では、筆者の『がん細胞から学んだ生き方 〜「ほっとけ 気にするな」のがん哲学』(へるす出版)を用いて【がん細胞が語る人間社会:『がんは身の内』&『生きている以上、がんは避けられない』&『がん細胞の動きは尺取り虫』&『がん細胞はギブ・アンド・テイク(Give and take)の実践者』&『進歩するがんの治療法』&『天寿がんの時代』&『がん細胞同士はバランスを保つ』&『楕円形の生き方』&『アダムとイブが伝えるもの』&『人間は120歳を超えられない』】、さらに【『がん哲学』での『言葉の処方箋』:『アスベスト・中皮腫外来に関わる』&『2008年、「がん哲学外来」がスタートする』&『「がん哲学」という名称』】の箇所を音読しながら進めた。 多数の質問が寄せられ、全力を尽くして返答した。  筆者の故郷は何処ですかと聞かれた。【島根県出雲大社鵜峠出身である。今から約1300年前、712年に編纂された『古事記』に登場する、医療の原点を教えてくれる大国主命の出雲大社から、8キロほど、峠を越えて美しい日本海に面した小さな村が、私の生まれ育った出雲市大社町鵜峠である。隣の鷺浦地区と合わせて、鵜鷺(うさぎ)と呼ばれている。 713年に編纂が命じられたという『出雲国風土記』にも登場する歴史ある地である。 鵜峠は、無医村で小学校も中学校も廃校になった。 現在では人口約30名、60%の空き家の鵜峠。 海辺に行き、日本海を眺めながら、『何故に、この母から この世に、生まれたのか ?』 & 『何の為に、この地で、生まれたのか?』を 深く静思したものである。】  授業とは『小さなことに、大きな愛を込め 高度な専門知識の習得 & 丁寧な観察力の修練の場』であると さりげなく語った。 学生の風貌には、感激した。

第472回 『人生の意義と目的』 〜 品性 & 強靭 & 高貴 〜

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 2025年5月2日 筆者は、病理医としての定例の病理組織診断業務を担当した。『病理組織診断』とは、『顕微鏡を見て病気を診断する = 森を診て木の皮まで診る =風貌を見て、心まで読む = 丁寧な観察力の修練』である。 病理医の『原点回帰』である。   病理医としての経験が、『がん哲学 = 生物学の法則 + 人間学の法則』&『がん哲学外来 = 品性のある 強靭で 高貴な心の持ち方』の厳粛な訓練ともなっている。 まさに『持っている、身につけている、与えられている』の実践である。  『がん病理学』 は『がん』に関しての学問で、『形態』&『起源』&『進展』などを追求する学問分野である。 当然がん研究者だけのものでなく、一般社会の人々の為の学問でもある。 がん病理学者が『がん』をどの様に考えるかは、とても大切なことである。 なぜなら『がん』に対する概念が世界観、人生観、ひいては日常の決断や行動をも 時には決定するからである。 ある意味では【人生の意義と目的の『静思』】 へと導くものと考える。   【初期条件がある範囲にあると、初期の変異が経時的変化とともに分子の相互作用によって、様々に拡大し、将来予測が不可能になる。これは初期のわずかの変異で大きな効果が出ることを意味する。非平衡状態にあり外部と相互作用する開かれた複雑系では、初期状態(Genotype)が同じでも、外部から、意識的に適時に介入すれば、ある特異点(Phenotype)で分岐し多様性のある制御(Dramatype)が可能になるはずである。 病気はDramatypeなる故に、予防、治療が成立する。  電子計算機時代だ、宇宙時代だといってみても、人間の身体の出来と、その心情の動きとは、昔も今も変ってはいないのである。 超近代的で合理的といわれる人でも、病気になって、自分の死を考へさせられる時になると、太古の人間にかへる。 その医師に訴へ、医師を見つめる目つきは、超近代的でも合理的でもなくなる。 静かで、淋しく、哀れな、昔ながらの一個の人間にかへるのである。 その時の救いは、頼りになる良医が側にいてくれることである。(吉田富三:1903-1973】は、『がん病理学者の社会貢献』でもあろう。