第474回 他人の感情を尊敬する 〜 誠実に真心で支援する 〜

 2025年5月12日【新渡戸稲造(1862-1933)記念センター in 新渡戸記念中野総合病院:初代理事長は新渡戸稲造】から恵泉女学園の学園学校会議に出席した。『新渡戸記念中野総合病院』は、新渡戸稲造・ 賀川豊彦(1888- 1960)らにより1932年『東京医療利用組合』として創立された。【理念は、新渡戸稲造の精神『誠意と思いやり』を基にした医療を誠実に実践し、疾病を抱えた人を真心で支援する。―― 】と謳われている。『高度の医療を 全ての人々が 安心して受けられるは 人類の永遠の課題』である。

 筆者の順天堂大学 定年退職の2019年に『新渡戸稲造記念センター』が開設され、筆者は『新渡戸稲造記念センター長』として招かれた。 そして『がん哲学外来』を担当することになった。 『もしかすると この時のため かもしれない』(エステル記 4章14節)で、『われ21世紀の新渡戸とならん』(初版2003年、新訂版2018年)の『夢の実現』であろうか! 2019年4月には 英語版『I Want to Be the 21st Century Inazo Nitobe』が発行されることになった。 『人知を超えて、時が進んでいる』ことを痛感する日々である。


 筆者は2021年7月1日、新渡戸稲造(1862-1933)から学んだ河井道(1877-1953)が、初代学園長である恵泉女学園の9代目理事長を拝命することになった。 新渡戸稲造の『優雅な感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。しかして他人の感情を尊敬することから生ずる謙遜・慇懃(いんぎん)の心は礼の根本をなす』が鮮明に蘇って来た。

 河井道は、1887年スミス女学校(現在:北星学園 女子中学高等学校)(北海道札幌市)に入学し、当時札幌農学校で教えていた新渡戸稲造と邂逅した。 1898年 新渡戸稲造 夫妻に伴われて渡米し、 ブリンマー大学に入学する。 帰国後1929年 恵泉女学園を設立した。 丁度1928年、新渡戸稲造は 台湾在住の男性からの現在の700万円の寄贈を辞退して、台湾在住の男性に『資金繰りに困っている河合道に寄付金として送るよう』伝えた。 そして1929年恵泉女学園創立が実現した。 不思議なタイミングである。


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