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第428回 『小さな職務』 〜 『忠実に やり通す』 〜

 2024年9月24日は、【福島県立医科大学(福島県立医科大学附属病院臨床腫瘍センターがん相談支援センター)】での、『吉田富三記念がん哲学外来』に赴く。 2003年の『吉田富三(1903-1973)生誕100周年記念事業』が、『吉田富三博士』を生んだ福島県の福島県立医科大学で開催される運びとなった。 そして、2009年『吉田富三記念福島がん哲学外来』が開設された。【福島県出身の世界的病理学者吉田富三博士を記念して、博士の孫弟子である樋野興夫先生が『福島がん哲学外来』を開設しました。 がんと共に生きる患者/ご家族の思いや悩みをともに考える“心の診察室”です。】とHPで、心温まる紹介がなされている。  筆者は、クボタショックの2005年、順天堂大学の病院の外来で『アスベスト・中皮腫 外来』を開設する機会が与えられた。 そして、2008年、順天堂大学の外来で『がん哲学外来=患者さんや そのご家族と面談し、苦しみを和らげる』が開設された。 『不思議な人生の流れ』である。  『がん哲学外来』は【『“がん”も単なる個性 〜 患者さんに寄り添い、対話を 〜』を実践し、『相手を思いやる心』&『患者に対する慈愛の心』の姿勢を貫いて『純度の高い専門性と社会的包容力 〜 病気であっても、病人ではない 〜』社会構築を目指す。】である。『医療者と患者の隙間を埋める=First Contact Team = がん哲学』の時代的要請を痛感する日々である。  9月25日は、【順天堂大学公衆衛生学講座】から依頼され『順天堂大学さくらキャンパス』での【講義『M1文化の中の健康』〜『がん哲学』】に向かう。  学生に『新渡戸稲造の言葉の処方箋』を語る。 発心を忘れずに継続(『修養』より) やり通す教育の必要性(『読書と人生』より) 小さな職務に忠実であれ(『人生読本』より) 親切とは行動すること(『世渡りの道』より) 読書は人間をつくるもの(『読書と人生』より)

第427回 『希望 推進力』 〜 『誰かを 暖めうる』 〜

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 2024年9月17日 筆者は、新渡戸稲造(1862-1933)記念センターから、第116回『メデイカル・カフェ@よどばし』(淀橋教会に於いて)に赴いた。市川牧子先生の司会で進められた。 恒例の『365日の紙飛行機』(作詞:秋元康,作曲:角野寿和・青葉紘季)の熱唱で始まった。 『人生は紙飛行機 --- その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか それが 一番大切なんだ』 & 『いつの間にか 飛ばせるようになる それが 希望 推進力だ』の歌詞が、今回も 心に沁みた。   第83回日本癌学会学術総会(9月19日〜9月21日)(福岡国際会議場およびマリンメッセ福岡B館)サバイバー・科学者プログラム(JCA-SSPプログラム)で、演題『がん哲学外来と私』発表される渡會明香氏とは個人面談を行い、発表スライドを確認した。 そして、筆者は、『まとめ』を述べ、『糸』(作詞:中島みゆき,作曲:中島みゆき)を合唱し終了した。 まさに、『縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない』である。   夜は、筆者が3代目の代表を仰せつかっている南原繁研究会にZoom参加した。10月19日(土)の【東大ホームカミングデイ(東京大学本郷キャンパス 法文1号館に於いて)での南原繁セミナー『南原繁が問いかけるもの』】。11月4日(月曜日・振替休日、学士会館に於いて)開催の【第21回南原繁シンポジウム『あらためて戦争と平和を考える ── 世界における法秩序の脱構築をめぐって ──』】の準備の報告もなされた。 筆者は、【第21回南原繁シンポジウムの冊子の『シンポジウム開催にあたって』】の原稿を依頼された。   南原繁(1889-1974)は、若き日にイマヌエル・カント(Immanuel Kant 1724-1804)の『永久平和論』に接して以来、最晩年の著作『政治哲学序説』に至るまで、正義に基づく永久平和が最も大切な政治価値であり、それを実現する国際政治秩序について考察を重ねた。 南原繁研究会は、南原没後30年にあたる2004年に発足した。 今年(2024年)は【南原繁研究会発足20周年、さらには南原繁没後50年】でもある。 『人間として行為の継続の大切さ』を痛感する日々である。

第426回 立場を超えて集う交流の場 〜 人生の根幹について考える 〜

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 2024年9月13日 病理組織診断業務を行った。【『病理学』は『形態』、『起源』、『進展』などを追求する学問分野である。& 病理組織診断は、『風貌を診て、心まで読む = 人生の根幹を追求する』でもある。 顕微鏡観察は、『がん哲学 = 癌細胞の病理と人間社会の病理 = 生物学と人間社会』の原点である。】。   9月14日は、『メディカル・カフェ in 菊名』(横浜市港区 菊名西教会に於いて) に赴く。【樋野興夫先生講演会:『運命は選べませんが、人生は選び取ることができます』 思いがけない病など大きな苦難に見舞われた時、私たちは、どう向き合えばいいのでしょうか? 樋野興夫先生が5000人のがん患者さんと、そのご家族に施した『言葉の処方箋』の中に、その答えがあります。】と紹介されている。  その後、『第7回がん哲学外来市民学会認定コーディネーター アドバンスコース』(埼玉県ふじみ野市 東京国際学園 研修センターに於いて) に向かう。【新型コロナウイルス感染症拡大の中で、私たちはカフェを通して『つながる』ことの大切さを再確認しました。 一方その苦しい時を経て新しいカフェの形も見えてきました。 コーディネーターの皆さんも同様の経験をされたと思います。 そこで今回のアドバンスコースでは お互いのコロナ過での体験を共有したり カフェを介しての つながりについて考える機会になればと思っています。】と謳われている。 筆者は、『がん哲学外来市民学会代表』として『総評』の機会が与えられた。【『がん哲学外来コーディネーター養成講座』認定コーディネーターの認定期間は5年間とし、次の5年間の認定更新を行う。 5年間に1回以上のアドバンスコース出席。】とある。  『がん哲学外来市民学会』は、医師、医療従事者、一般市民、学生、中高生、がん問題に関心を持つあらゆる人々 が立場を超えて集う『経験交流の場』でもある。 市民の立場に立つ『医療維新を目指す』。『患者主体の医療の基盤整備』の一助となることが期待される。

第425回 【医療の共同体=メディカルタウン】〜 時代の方向性 〜

 2024年9月7日午前、早稲田大学での講座【ジャンル 人間の探求:がんと生きる哲学 医師との対話を通して『がん』と生きる方法を考える。】に赴いた。 テキストは『なぜ、こんな目にあわなければならないのか 〜 がん病理学者が読む聖書「ヨブ記」 〜』(2023年10月15日 いのちのことば社発行)を使用し、【第1章:『突然の病や事故が、なぜふりかかるのか』】の箇所から音読しながら進めた。質問もあり、大変有意義な講座となった。 午後は、東京都立多摩南部地域病院 看護師長緩和ケア認定看護師 小磯雅美氏から依頼され【第100回多摩緩和ケア カンファレンス特別講演『対話で地域を支える』】(多摩市のリンクフォレストに於いて)に赴いた。  多数の参加者と会場からの質問もあり、素晴らしい貴重な時であった。  【『医療の協働体=1人の人間を癒すには、1つの街が必要である=メディカルタウン』 & 『メディカルタウン構想』は、『医療維新』の事前の舵取りになろう。 また、人類は、遅かれ早かれ120歳で死ぬ(旧約聖書 創世記6章3節)。】も語った. 【日本の医療を変える『事前の舵取り』は『メディカルタウン』の姿に示されるであろう。『メディカルタウン』は、街全体がメディカルな街。 あらゆる施設がある。そのようなイメージである。 患者の視点に立ったホテルを作ったり、レストランを作ったり、本屋を作ったり、例えば、喫茶店があったら、医療者が来たりして、たまり場が出来る。 そこで『がん相談=多摩がん哲学外来・カフェ』も行う。地元の特性を どう活かしていくか、まさに『地方(ぢかた)学』の実践である。】   『メディカルタウン』は街全体がメディカルな街。 例えば城下町のようなイメージである。 【医療の共同体=メディカルタウンは人類の進む方向】となろう。【『多摩メデイカルタウン』記念 市民公開シンポジウム】が、企画される予感がする。   

第424回 『交流の場』 〜 ゆっくりと前進する 〜

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 今年(2024年)も早9月入った。 OCCメディカル・カフェ ニュースレター 『賢明な寛容:the wise patience』第20号 (2024年8月 発行『お茶の水メデイカル・カフェ _in OCC』)が送られてきた。   筆者は、【あらゆる人々が立場を超えて集う『交流の場』〜 温かく迎い入れる 〜】を寄稿する機会が与えられた。 大いに感動した。 今年は、『お茶の水メディカル・カフェ in OCC』開設12周年記念でもあり、『OCCカフェ 12周年記念誌』も制作された。 スタッフの皆様の『心温まる賢明な寛容性』には、ただただ感服した。  『お茶の水メディカル・カフェ in OCC』は、東日本大震災の2011年に創設準備がなされ、2012年に当時OCC副理事長であった今は亡き榊原 寛先生(79歳で2020年12月24日ご逝去された)が始められた。 筆者は、『順天堂大学医学部 病理・腫瘍学教授』時代の2012年5月26日に第1回『お茶の水メディカル・カフェ』に出席した。   【がんが、国民病となった現在、最終的には日本の医療を変える『事前の舵取り』は『メディカルタウン』の姿に示されるであろう。 『メディカルタウン』は街全体がメディカルな街。 例えば城下町とか。 かって、城下町には天守閣(この場合、大学病院など)があって、その城下には お店とかあらゆる施設がある。そのようなイメージである。 患者の視点に立ったホテルを作ったり、レストランを作ったり、本屋を作ったり、例えば、喫茶店があったら、学生が来たり医者が来たりして、たまり場が出来る。 そこで『がん相談』も行えばいい。】また、【『医療の協働体=1人の人間を癒すには、1つの村が必要である=メディカルビレッジ』であろう。『メディカルビレッジ構想』は、『医療維新』の事前の舵取りになろう。『メディカルタウン』と『メディカルビレッジ』の違いは、大学病院の有無である。】と語ったものである。   2003年『われ21世紀の新渡戸とならん』を発行し、【お茶の水をモデルとして『メディカルタウン』を提唱】したのが、今回、鮮明に想い出された。『歴史は人知を超えて、淡々と、ゆっくりと前進する』を痛感する日々である。