第424回 『交流の場』 〜 ゆっくりと前進する 〜

 今年(2024年)も早9月入った。 OCCメディカル・カフェ ニュースレター 『賢明な寛容:the wise patience』第20号 (2024年8月 発行『お茶の水メデイカル・カフェ _in OCC』)が送られてきた。 

 筆者は、【あらゆる人々が立場を超えて集う『交流の場』〜 温かく迎い入れる 〜】を寄稿する機会が与えられた。 大いに感動した。 今年は、『お茶の水メディカル・カフェ in OCC』開設12周年記念でもあり、『OCCカフェ 12周年記念誌』も制作された。 スタッフの皆様の『心温まる賢明な寛容性』には、ただただ感服した。

 『お茶の水メディカル・カフェ in OCC』は、東日本大震災の2011年に創設準備がなされ、2012年に当時OCC副理事長であった今は亡き榊原 寛先生(79歳で2020年12月24日ご逝去された)が始められた。 筆者は、『順天堂大学医学部 病理・腫瘍学教授』時代の2012年5月26日に第1回『お茶の水メディカル・カフェ』に出席した。 

 【がんが、国民病となった現在、最終的には日本の医療を変える『事前の舵取り』は『メディカルタウン』の姿に示されるであろう。 『メディカルタウン』は街全体がメディカルな街。 例えば城下町とか。 かって、城下町には天守閣(この場合、大学病院など)があって、その城下には お店とかあらゆる施設がある。そのようなイメージである。 患者の視点に立ったホテルを作ったり、レストランを作ったり、本屋を作ったり、例えば、喫茶店があったら、学生が来たり医者が来たりして、たまり場が出来る。 そこで『がん相談』も行えばいい。】また、【『医療の協働体=1人の人間を癒すには、1つの村が必要である=メディカルビレッジ』であろう。『メディカルビレッジ構想』は、『医療維新』の事前の舵取りになろう。『メディカルタウン』と『メディカルビレッジ』の違いは、大学病院の有無である。】と語ったものである。 

 2003年『われ21世紀の新渡戸とならん』を発行し、【お茶の水をモデルとして『メディカルタウン』を提唱】したのが、今回、鮮明に想い出された。『歴史は人知を超えて、淡々と、ゆっくりと前進する』を痛感する日々である。

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