第102回 「気にさせる 会」の誕生 ~「内村鑑三 & 新渡戸稲造 & 南原繁 & 矢内原忠雄」の「夢の継承」

 午前中、「柏がん哲学外来」(柏地域医療連携センターに於いて)に参上した(次回のチラシ添付)。終了後の、スタッフ・生徒を含め9人との昼食会も、大変、有意義な、充実した時であった。午後、柏から、恵泉女学園(世田谷区)の理事会に、向かった。夕方は、順天堂大学医学部 研究等倫理委員会(順天堂大学に於いて)に出席した。 まさに「3連ちゃん症候群」の1日であった。


 2011年10月から開設されている、群馬県の「内村鑑三記念~メディカルカフェ沼田『がん哲学外来』」(国立病院機構沼田病院に於いて)に赴いた。入院患者との面談を終え、スタッフ・看護師部長ら5人で、美味しい昼食の時を持った。大いに盛り上がり、「気にさせる 会」の誕生日ともなった。まさに、「もしかすると この時の為 ~ 気にさせる~」である。筆者は、顧問就任のようである。会長からは、早速、「あとは、私が突き進む勇気・信念を持つだけです。先を見据えて、努力します。」との、感動的なコメントを頂いた。これこそ、「冗談を本気で、実現させる胆力」であり、大いに感服した。11月23日(勤労感謝の日)には シンポジウム「内村鑑三記念 がん哲学外来 ~医療維新を目指して ~」(案)が、企画されている。私の講演タイトルは、「真の国際人~ 内村鑑三 & 新渡戸稲造~」(案)のようである。歴史的大事業である。シンポジウムが楽しみである。
 夕方、定例の「がん哲学外来 第33回 矢内原忠雄記念 本郷通りカフェ(ゆい訪問看護ステーションに於いて)」であった(添付)。定員を超える参加者で、大いに盛り上がった。筆者は、何故に、2008年に「がん哲学外来」を始めたのかを、若き日に読んだ『南原繁 著作集第9巻』(1973年 岩波書店発行)の「矢内原忠雄君」(1961年12月28日、東大講堂の告別追悼式に於いて 友人代表として南原繁が述べたもの)「― 本郷通りに ささやかでも 書店を開いて、そこでは コーヒーも飲めるようにし、学生の読書相談に応じようかと、本気に考えたこともあったという。それほど終始、学問と学生を 愛した君であった。」(381ページ)の文章で、さりげなく説明した。「矢内原忠雄(1893~1961)」は、1961年12月25日に胃癌で逝去した。「がん哲学外来」きっかけは、「矢内原忠雄の夢の継承」の為でもあった。南原繁(1889 ~1974)・矢内原忠雄は、戦後の東大総長を務めた(12年間)。筆者は19歳の浪人時代に、南原繁の教え子に邂逅し、今は、南原繁研究会の代表を仰せつかっている。本当に、「人生の邂逅」の不思議さを実感する、今日この頃である。




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