第508回 あきらめなく前進する 〜 燃えつづけていく 〜
2025年11月1日【恵泉女学園創立96周年記念式】に出席した。 コラムニスト ジェーン•スー 先生の記念講演『自分で自分を受け止める 〜 私らしさを探して 〜』は有意義な講演であった。その後【第96回創立記念式典 来賓•招待卒業式 会食会】に出席した。卒業生で小説家 柚木麻子氏のスピーチは興味深かった。 筆者は、『恵泉559号2025年度(第3号)』に【2025年6月30日 9代目理事長を任期満了で退任しました。― 新渡戸稲造(1862-1933)に学んだ河井道(1877-1953)が、初代学園長である学校法人恵泉女学園の9代目理事長を2021年7月に拝命―『理事 ―> 理事長』として16年間、大変お世話になりました。 ただただ感謝申し上げます。】&【河井道は新渡戸稲造に、プリンマー大学の入学、卒業を援護してもらっている。 その後、河井道は学校設立の為に、国際連盟事務次長(1920-1926)の新渡戸稲造に相談にジュネーブにわざわざ行った。 その時に新渡戸稲造は、『君はこれから女学校でも創立すると、その経営に苦しんで終わり、理想とする教育には手を下しえないで果てるだろう。 ほかにやる用事はたくさんにあるから、思いとどまれ』と語った】(『新渡戸博士追悼集』の『河井道の育ての親』の箇所での河井道の文章)&【しょげて日本に帰国した河井道は、あきらめませんでした。 そして丁度1928年、新渡戸稲造は 台湾在住の男性からの現在の700万円の寄贈を辞退して、台湾在住の男性に『資金繰りに困っている河合道に寄付金として送るよう』伝えた。 そして河井道は、『”My Lantern”(わたしのランターン)』を著した(1939)】 『わたしのランターン』の終わりに【ここまで、わたしは、私のランターンをかかげてきた。時がくると、それは別の手へとひき継がれて、さらに先へと運ばれていくであろう。わたしたちの魂の『太陽』が、この世界の面から、うれいと闇の跡を一ひらも残さず追いはらうまで、このランターンが、芯を切りととのえられ、燃えつづけていくように、わたしはそれのみを願っている】と記述している。 今回、河井道の『よりよいゴールにむかって 人生の道を勇ましく前進させる』精神が鮮明に想い出された。 2029年は、創立100周年である。