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第423回 心置きなく話す 〜 生きることの根源的な意味 〜

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 2024年8月29日、『柏がん哲学外来』(千葉県 柏地域医療連携センター)に赴いた。 個人面談の機会が与えられた。【がんの悩みを 病院の外で 心置きなく話がしたい 〜『がん哲学外来』は、がん患者、経験者、ご家族の為の対話の場です 〜 『がん哲学外来』を提唱された樋野興夫先生と ゆっくり語り合ってみませんか?】と紹介されている。 大変貴重な時であった。 『柏がん哲学外来』代表:中野綾子氏(『がん哲学外来あびこカフェ』代表でもある)と東京都内の『がん哲学外来亀有メディカルカフェ』代表:小暮信子氏も参加されていた。 終了後、スタッフの皆様と楽しい昼食の時が与えられた。 『柏がん哲学外来』は、2009年当時の国立がんセンター東病院の病院長の江角浩安先生のお計らいで、柏の葉キャンパス駅隣接の国立がんセンター東病院の施設ビルで開始し、2016年 柏地域医療連携センターに移動して頂いた。 2024年6月27日には、『柏がん哲学外来15周年記念講演会』が企画された(添付)。   2008年 順天堂大学で『がん哲学外来』開設時に、【今は亡き『癌研所長:菅野晴夫(1925-2016)先生、国立がんセンター総長の杉村隆(1926-2020)先生、吉田富三(1903-1973)博士の長男で、NHKのプロデューサーであった吉田直哉(1931-2008)氏』】の御3人から『快挙であるとの励ましのお言葉』を頂いたことが、『がん哲学外来の継続』となったものである。   筆者は、癌研時代、菅野晴夫先生の恩師である日本国の誇る病理学者:吉田富三に繋がった。 吉田富三は日本国を代表する癌病理学者であり、菅野晴夫先生の下で、2003年『吉田富三生誕100周年記念事業』を行う機会が与えられた。 必然的に『がん哲学』の提唱へと導かれた。 そして『陣営の外=がん哲学外来』へと展開した。『がん哲学』とは、東大総長南原繁(1889-1974)の『政治哲学』と、元癌研所長で東大教授であった吉田富三の『がん学』をドッキングさせたもので、『がん哲学=生物学の法則+人間学の法則』である。【『がん哲学外来』=『生きることの根源的な意味を考えようとする患者と、がん細胞の発生と成長に哲学的な意味を見出そうとする病理学者の出会いの場』】でもある。 

第422回 『賢明なるオアシスになる』 〜 『真の国際教養の人材資質』 〜

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 2024年8月22日、新渡戸記念中野総合病院の倫理委員会に出席した。 8月23日は、病理組織診断業務に赴く。 8月24日は【第7回日本メディカルヴィレッジ学会 in 六ヶ所〜みんなで考えよう!六ヶ所村のこれからの医療と健康〜】(大会長:島田義也先生:  環境科学技術研究所理事長)である。    想えば、2010年5月8日『次世代の環境発がんを考える会』設立記念シンポジウム(東京ガーデンパレス (文京区湯島)。2013年12月14日【お茶の水がん学アカデミア100回記念シンポジウム〜病理・腫瘍学教授就任10周年記念〜】が、今回鮮明に想い出された。  杉村隆(1926-2020)先生 & 菅野晴夫(1925-2016)先生とは、筆者の人生において『がん学』&『病理学』&『山極勝三郎(1863-1930)・吉田富三(1903-1973)』で結ばれた、世にもまれな師弟関係であると自負している。 杉村先生&菅野先生の眼前で、今の大きな社会問題である『アスベストと放射線(原発事故)』を取り上げて『科学者の社会的責任』をテーマに、俯瞰的に大局観を持って、市民公開シンポが開催されたことは、歴史的出来事であったと痛感する。 筆者は、シンポに臨むに当たり、新渡戸稲造(1862-1933)の『一日一言』(1915年)の11月25日付の文章を改めて読み直した。【事の是非曲直、政治の長短、学理の真偽は、飽くまでも、しかも冷静に明らかに争うべし。—— 水かけ論や、—— 揚げ足取りは聞かぬもよけれ、いわぬに勝るなり。】とある。  また、2013年【新渡戸稲造没80周年記念・新島襄(1843-1890)生誕170周年記念シンポジウム〜今、懸け橋をつくる。国を超えて、時を超えて!〜】(主催:21世紀の知的協力委員会)が開催された。 筆者は、『新島襄→クラーク→内村鑑三→新渡戸稲造→の歴史の流れ』で講演する機会が与えられた。 パネルディスカッション『国を超えて、時を超えて』は、大いなる学びの時であった。  『賢明なるオアシスになる』ことに大いに期待したい。 『真の国際教養の人材資質の何たるかを静思・実行する時代の到来』でもあろう!

第421回 『初めに、ことばがあった』 〜 不思議な人生の邂逅 〜

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 2024年8月16日は、台風の大雨で、予定の行事が中止となった。 8月17日は、【<がん哲学外来>お茶の水メディカル・カフェin OCC】に赴く。個人面談の予約が既に入っているとのことである。  終了後は、栃木県那須塩原に向かう。 8月18日(日)【2024年 西那須野教会夏季学校】で、午前は、礼拝説教『初めに、ことばがあった』(ヨハネの福音書1章1節) & 午後は、講演『言葉の院外処方箋』を依頼された。  想えば、筆者が、聖書を読んだ最初の箇所は、『ヨハネの福音書 第1章1節』の『初めに、ことばがあった』である。 京都での浪人時代、予備校の英語の先生(牧師でもあった)から聞いたものである。 まさに、『言葉の処方箋』の根源である。 その先生が、東京大学法学部の学生時代の総長が南原繁(1889-1974)である。 そして、南原繁の恩師である『内村鑑三(1861-1930)・新渡戸稲造(1862-1933)』へと繋がった。 不思議な人生の邂逅である。  最近、筆者は、講演会で『なぜ、がん哲学外来を始められたのですか?』と質問されることが多い。 【2005年、いわゆる『クボタ・ショック』の時、『アスベスト・中皮腫外来』を順天堂大学病院で始めました。 問診と中皮腫の説明を一人30分程度行いました。 患者さんの声に耳を傾けて、言葉で対応した経験が、『がん哲学外来』につながるのです。 2008年『がん哲学外来』を順天堂大学病院で開設しました。】と何時も答える。  筆者は、『がん哲学外来』では対話を軸にしている。 『言葉の処方箋』は、『内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄(1893-1961)などの先人』が残した言葉の中で、来談者さんの心に響くものを伝える。 『がん哲学外来の対話』で心がけていることは、『偉大なるお節介』である。人間は、『よい言葉を持つ』ことで、いまよりも ずっと楽に生きていくことができるはずであろう! それを軸にして物事をプラスに考えられるようになるからである。 まさに『初めに、ことばがあった。』(ヨハネの福音書1章1節)の復学の日々である。

第420回 『協調・協力』 〜 『利害調整 & いたわり & 心を見抜く』〜

 2024年8月9日 順天堂大学に寄り、その後、病理組織診断業務に赴いた。 帰宅後(19:57ごろ)、地震が起こった。大きく揺れた。 震源地は神奈川県西部、東京都は震度4とのことであった。 8日は宮崎県で最大震度6の地震があった(南海トラフ地震)。 まさに、日本は地震国である。 『泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。 嘆くのに時があり、踊るのに時がある』の厳しい現実である。 1933年3月3日に 三陸で地震の大災害があったと記されている。 その時、 新渡戸稲造(1862-1933)は 被災地 宮古市等沿岸部を 視察したとのことである。 その惨状を 目の当たりにした 新渡戸稲造は『Union is Power』(協調・協力こそが力なり)と 当時の青年に語ったと言われている。 まさに、今にも生きる言葉である。   新渡戸稲造は、第一次世界大戦後、国際連盟設立に際して、初代事務次長に選任され、世界平和、国際協調のために 力を尽くしている。 世界中の叡智を集めて設立した『知的協力委員会』(1922年)には 哲学者のベルグソンや物理学者のアインシュタイン、キュリー夫人らが委員として参加し、各国の利害調整にあった。 この『知的協力委員会』の後身がユネスコである。   思えば、筆者は、今は亡き 原田明夫氏(1939-2017)検事総長と、2000年『新渡戸稲造 武士道100周年記念シンポ』、『新渡戸稲造生誕140年』(2002年)、『新渡戸稲造没後70年』(2003年)を、企画する機会が与えられた。 順天堂大学に就任して、2004年に、国連大学で『新渡戸稲造 5000円札さようならシンポ』を開催したのが 走馬灯のように駆け巡ってくる。  筆者は、病理医として『日本国のあるべき姿』として『日本肝臓論』を展開している。 『日本国=肝臓の再生』に、具体的なイメージが獲得されよう。 【人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担とお互いの非連続性の中の連続性、傷害時における全体的な『いたわり』の理解は、世界、国家、民族、人間の在り方への 深い洞察へと誘うのであろう。『人の心と 歴史を見抜く 人格の力 出でよ!』】

第419回 暖かい希望 〜 『事前の舵取り』 〜

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  2024年8月5日『勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来メディカルCafé』(主宰:宮原富士子氏)(台東区浅草3-25-10 ハレ・アサクサ 201号室)に赴く。   筆者は、『勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来 in medical café立上』で、2011年7月に下記を記載したことが、鮮明に想い出された。 【暖かい希望 〜『勝海舟・内村鑑三・新渡戸稲造 記念がん哲学外来』の実現 〜 先週の台風接近の夜、『勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来 in medical café』の立ち上げ準備研修会が浅草で開催された。 筆者は、講師として呼ばれた。 参加者は、調剤薬局の薬剤師、訪問看護スターションの看護師、東京大学の医師、慶応大学の医師、薬学部の学生、ジャーナリストなどの面々であった。 外は、台風の様相であったが、内は、燃えていた。   8月には早速『勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来 in medical café』をスタートされるとのことである。 それにしても、『勝海舟記念』とは、スタッフの『気概と胆力』に大いに感激した。  勝海舟(1823-1899)と言えば江戸城の無血開城、咸臨丸での太平洋横断などで知られているが、新渡戸稲造(1862-1933)の『武士道』の第13章『刀・武士の魂』に出てくる。【故勝海舟伯は 我が国歴史上最も物情騒然たりし時期の一つを くぐって来た人であり】で始まり、『海舟座談』を引用して、【これが艱難と勝利の火炉の中にて その武士道教育を試みられし人の言である。& 現代の世にも欲しい人物である。『勝海舟記念 下町(浅草)がん哲学外来 in medical café』の存在は『医療の幕末』から 『医療の維新』への時代に向けての『事前の舵取り』になるだろうと感ずるのは 筆者のみであろうか?】と記述している。  宮原富士子氏は、【満を持して時機到来!! 浅草“がん哲学外来”を立ち上げることになりました。 ―― 樋野興夫先生より拝命した冠名称が“勝海舟記念”です。】と記載されている。 継続の大切さを実感する日々である。