第421回 『初めに、ことばがあった』 〜 不思議な人生の邂逅 〜
2024年8月16日は、台風の大雨で、予定の行事が中止となった。 8月17日は、【<がん哲学外来>お茶の水メディカル・カフェin OCC】に赴く。個人面談の予約が既に入っているとのことである。
終了後は、栃木県那須塩原に向かう。 8月18日(日)【2024年 西那須野教会夏季学校】で、午前は、礼拝説教『初めに、ことばがあった』(ヨハネの福音書1章1節) & 午後は、講演『言葉の院外処方箋』を依頼された。
想えば、筆者が、聖書を読んだ最初の箇所は、『ヨハネの福音書 第1章1節』の『初めに、ことばがあった』である。 京都での浪人時代、予備校の英語の先生(牧師でもあった)から聞いたものである。 まさに、『言葉の処方箋』の根源である。 その先生が、東京大学法学部の学生時代の総長が南原繁(1889-1974)である。 そして、南原繁の恩師である『内村鑑三(1861-1930)・新渡戸稲造(1862-1933)』へと繋がった。 不思議な人生の邂逅である。
最近、筆者は、講演会で『なぜ、がん哲学外来を始められたのですか?』と質問されることが多い。 【2005年、いわゆる『クボタ・ショック』の時、『アスベスト・中皮腫外来』を順天堂大学病院で始めました。 問診と中皮腫の説明を一人30分程度行いました。 患者さんの声に耳を傾けて、言葉で対応した経験が、『がん哲学外来』につながるのです。 2008年『がん哲学外来』を順天堂大学病院で開設しました。】と何時も答える。
筆者は、『がん哲学外来』では対話を軸にしている。 『言葉の処方箋』は、『内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄(1893-1961)などの先人』が残した言葉の中で、来談者さんの心に響くものを伝える。 『がん哲学外来の対話』で心がけていることは、『偉大なるお節介』である。人間は、『よい言葉を持つ』ことで、いまよりも ずっと楽に生きていくことができるはずであろう! それを軸にして物事をプラスに考えられるようになるからである。 まさに『初めに、ことばがあった。』(ヨハネの福音書1章1節)の復学の日々である。