第232回 『人生を動かす出会い』 〜 話し方や身のこなし 〜

HAPPY NEW YEAR !  2022年の始まりである。 

 2022年1月2日は、昨年12月14日91歳で、ご逝去された叔母さん(父の妹)の家にWifeと赴いた(横浜)。 娘さん夫婦、妹さん、お孫さん夫婦とお逢いした。 大変、有意義な充実した貴重な時となった。 島根県出雲大社の鵜峠で育った筆者が、大学受験の時は、叔母さんは京都に住んでおられたので、お世話になって京都で浪人することになった。 予備校の英語の先生が東京大学の法学部を卒業した方で、戦後初の東京大学総長を務めた政治学者の南原繁の講義を実際に受けておられていたので、授業中には、南原繁の雑談を挟んでくださった。 それまで筆者は、南原繁のことは名前さえ知らなった。 その先生が話してくれた南原繁の話し方や身のこなしなどが、学者の風貌をつくり出した。 そして、医療関係以外、つまり専門外の本を読む習慣が身についた。

 医学部を目指している浪人生が、政治学者の南原繁を読む。 この読書が筆者の人生を豊かにするなどとは、もちろん当時は思いもしなかったが、いま考えると それこそ人生を左右する大きな出会いとなった。 浪人生活をしていなければ、予備校の先生との出会いはなかったわけで、人との出会いは本当に大切だとつくづく思う。  まさに、『もしかすると この時の為』であろう! そして、南原繁の言葉に背中を押されて、南原繁が尊敬する内村鑑三、新渡戸稲造の書籍も読むようになった。 さらに、矢内原忠雄にも繋がった。 南原繁は政治学者、新渡戸稲造は農政学者、内村鑑三はキリスト教思想家、矢内原忠雄は経済学者。 専門分野以外との出会いが、筆者の原点である。 若き日に出会った先人たちの思想や生き方、そして言葉の数々が、25年後の『がん哲学』の種子になるとは、当時の筆者には知る由もない。 それが、「欣然たる面貌、快然たる微笑をもて」(新渡戸稲造)の実践の『がん哲学外来』の心得となった。 『人生を動かす出会い』を痛感する日々である。


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