第233回 『「変わり者」でなく「変わり種」』 〜 『種を蒔く人』 〜

 先日、筆者の10年以上前の対談集(鈴木寛 先生、立花隆 氏;下記)を観られたとの連絡があった。 「次世代の環境発がんを考える会」設立記念シンポジウムで、開会挨拶を文部副大臣にお願いした。 https://bio.nikkeibp.co.jp/article/oc/2007/0551/、2011年の東日本大震災時には鈴木 寛(文部科学副大臣)と特別対談した。 https://gansupport.jp/article/series/series13/3590.html  

また、今は亡き立花隆 氏と がん細胞から世界平和まで縦横に語り合う白熱の3時間 「知の巨人」立花さんが自らのがん体験を踏まえ、樋野さんに鋭く迫る がん特別対論・立花 隆(評論家) × 樋野興夫(順天堂大学医学部教授) 対談した。 『文中「がん哲学外来」で異色のがん医療に関わっている樋野興夫さん とご紹介されていました。 「異色」は気にさせますね。』とのメールを頂いた。

 さらに、【新刊『がん細胞から学んだ生き方「ほっとけ 気にするな」のがん哲学』(へるす出版)の、『菅野晴夫 先生 (1925-2016) は「30代は 人にいわれたことをがむしゃらにやれ、40代で 自分の好きなことに専念し、50代で 人の面倒をみる、60代に なっても自分のことしか考えていないなら恥と思え」』(38,、39ページ)とあります。】また、『「2015年頃にNHK教育(Eテレ)に樋野先生が出演されているのを、TVを見ていて(衝撃を受けた言葉です!』とのメールも届いた。 懐かしい貴重な想い出である。 今回、「70代は?」との問い合わせがあった。 静思の時である。

 思えば、2005 年、『クボタショック』の年、筆者は順天堂医院で『アスベスト・中皮腫 外来』を開設する機会を与えられた。 そして、2008年、順天堂医院で、『がん哲学外来』が始まり、毎日新聞、読売新聞、NHK にも大きく報道された。 また、朝日新聞の一面の記事に、私のことを、『「変わり者」でなく「変わり種」』と、紹介されたことが鮮明に甦る。 「変わり種」は「からし種」の如く、とのことである。 そして2019年、『種を蒔く人になりなさい』(いのちのことば社)の発行に繋がった。 人生は、『不思議な不連続の連続である』ことを痛感する日々である。




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