第160回 『がん哲学外来・カフェ』in 中野区 〜 心が通じ合う人と出会う〜

 『がん哲学外来・カフェ』は、今や全国で180箇所以上とのことである。 驚きである。 先日「新渡戸稲造研究センター in 新渡戸記念中野総合病院」からの帰りに「東中野キングス・ガーデン」に立ち寄った。『がん哲学外来 東中野メディカルカフェ』開設から 今年は早5周年とのことである。 中野区には下記の3箇所がある。『がん哲学外来 東中野メディカルカフェ』(東中野キングス・ガーデン 担当者:奥山 寧)、『新渡戸記念中野総合病院 がん哲学外来』(新渡戸記念中野総合病院 代表者:入江徹也 担当者:髙村千世乃)、『がん哲学堂カフェ』(在宅療養支援診 中野ひだまりクリニック 代表・担当者:小見山博光)。 いつか、合同シンポジウムが 開催される予感がする。

 今年の4月 東京医療生活協同組合に「新渡戸稲造記念センター」が設立された。
『「新渡戸稲造記念センター」は、東京医療利用組合(現・東京医療生活協同組合)の初代組合長(理事長)である新渡戸稲造博士の志(こころざし)を日本の国内外へ広め、実践する拠点となります。 「新渡戸稲造記念センター」のセンター長には、新渡戸稲造博士の専門家として本邦の第一人者で、新渡戸博士の志を継承して活躍されている樋野興夫先生が就任されました。』
と身に余る、心温まる紹介がされている。2003年に初版『われ21世紀の新渡戸とならん』、2018年に新訂版、2019年4月には 英語版『I Want to Be the 21 st Century Inazo Nitobe』が発行された。人知を超えて、時は進んでいる。

 筆者の故郷は無医村であり、幼年期、熱を出しては 今は亡き母に背負われて、隣の村の診療所に行った体験が、脳裏に焼き付いている。 強い印象を与えた言葉は、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」(boys be ambitious) である。札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。クラーク精神が 新渡戸稲造(1862-1933)、内村鑑三(1861-1930)を生んだ。その後 南原 繁(1889-1974)、矢内原忠雄(1893-1961)も学んだ。「『生活環境や 言葉が違っても 心が通えば友達であり、心が通じ合う人と 出会うことが人間の一番の楽しみである。』(新渡戸稲造)を体験する日々でもある。

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