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第437回 『連続の大切さ』 〜 『どんな境遇、状況でも 前進できる』 〜

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  2024年11月20日、【新渡戸記念中野総合病院 新渡戸稲造記念センター長】を務める筆者は、『がん哲学外来 in 新渡戸稲造記念センター』での個人面談に赴いた。 大変貴重な時となった。 筆者は、クボタショックの2005年、順天堂大学で『アスベスト・中皮腫外来』を開設する機会が与えられた。 そして、2008年、順天堂大学で『がん哲学外来=患者さんや そのご家族と面談し、苦しみを和らげる』が開設された。   2019年3月、順天堂大学病理・腫瘍学教授を定年退職して名誉教授を拝命した翌月『新渡戸稲造記念センター』が設立された。【『新渡戸稲造記念センター』は、東京医療利用組合(現・東京医療生活協同組合)の初代組合長(理事長)である新渡戸稲造(1862-1933)博士の志こころざしを 日本の国内外へ広め、実践する拠点となります。『新渡戸稲造記念センター』のセンター長には、新渡戸稲造博士の専門家として本邦の第一人者で、新渡戸博士の志を継承して活躍されている樋野興夫先生が就任されました。】と紹介されている。 今年(2024年)は『がん哲学外来 in 新渡戸稲造記念センター』創立5周年記念でもある!  筆者に、強い印象を与えた言葉は『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious)である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神が生んだ内村鑑三(1861-1930)、新渡戸稲造、南原繁(1889-1974)、矢内原忠雄(1893-1961)を若き日から学んできたものである。  『病理医の道 〜 尺取虫運動:自分のoriginal pointを固めてから、後ろの吸盤を 前に動かし、そこで固定して 前部の足を前に進める。 かくて いつも自分のoriginalityを 失わないですむ。』は、『どんな境遇、状況でも 確実に 前進できる人物になれ』の心得であろう。  【新渡戸稲造記念センター設立の歴史的大事業】を実感する。 『人知を超えて、時が進んでいる = 連続の大切さ』を痛感する日々である。

第436回 『不思議な出会い』 〜 『教育の心得と実践』 〜

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 2024年11月13日 順天堂大学で大学院修士課程(英語)講義『Overview of Human Pathology and Oncology 病理腫瘍病態学概論:Environmental cancer 環境因子とがん』を行った。   授業中、中国の留学生から『パンダは、日本にいますか?』との ユーモア溢れる質問をされた。 授業後、早速 順天堂大学事務局の方から【上野公園のパンダですが、9月末にリーリーとシンシンが中国に返還となりましたが、シャオシャオとレイレイの2頭がいるそうです。】との心温まる回答を頂いた。   その後 新幹線で東京駅→新大阪駅 そして宝塚駅に向かった。 宝塚のホテルで宿泊し、11月14日早朝、宝塚を散策した。 午前中は、神戸女学院(西宮市)の中高部(約830名の出席)と 大学生、午後は同窓生 向けの講話『初めに、ことばがあった。』(ヨハネの福音書1章1節)の機会が与えられた。 大変充実した『3連ちゃん症候群』となった。   授業で、【筆者は、2007年から読書会を始めた。 新渡戸稲造(1862~1933)『武士道』(岩波文庫、矢内原忠雄訳)と内村鑑三(1861-1930)『代表的日本人』(岩波文庫、鈴木範久訳)を交互に読み進めている。 新渡戸稲造の『読書は人間をつくるもの(『読書と人生』) & 永遠の生命をもつ本を読め(『人生読本』)】をさりげなく語った。 授業後に面談に来られた学生に【『偉大なるお節介症候群認定証』 & 『チャウチャウ症候群認定証』】を授与した。 有意義な旅となった。  今回の企画をされた西岡麻祐子先生 & 安野とも子先生には、ただただ感謝である。 想えば2023年、安野とも子先生の司会で『川之江ふれあい交流センター』で講演【がんと生きる講演会:『賢明な寛容』 〜 『不思議な出会い』 〜】の機会が与えられ 多数の出席者であった。 大いに感動したものである。  まさに、『自分の力が人に役に立つと思うときは進んでやれ』(新渡戸稲造)は、『教育の心得と実践』であろう。

第435回 『創る & 育てる』 〜 『空の上飛ぶホトトギス』 〜

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 2024年11月6日 筆者は、新座市立新堀小学校校長 若林寿先生の企画で、新座市立新堀小学校6年生の授業に赴いた。 授業の前に、図書室で【『沈黙の春』レイチェル・カーソン/著・青樹簗一/訳】の本を見た。 『環境問題のバイブル』と言われる、アメリカの海洋生物学者:レイチェル・カーソ(Rachel Carson 1907-1964)の『沈黙の春(Silent Spring)』(1962年)が出版され、日本語訳は、『戦後初代東大総長であった南原繁(1889-1974)のご長男:南原実 氏(1930-2013))よって出版されている(ペンネーム 青樹簗一)。【殺虫剤と農薬などの化学物質の危険性を訴えた作品。『沈黙の春』とは、鳥達が鳴かなくなって生き物の出す物音の無い春』。 自然破壊に警告を発した先駆書】と謳われている。  校長室には 『未来を創る、こどもたち』 『未来を育てる、わたしたち』 〜 未来への責任 〜 と掲示してあった。 大いに感動した。  授業の後、校長室で面談の時を持った。『樋野動物園』の話で盛り上がった。若林先生は、早速、『空の上飛ぶホトトギス』と『速効性と英断』で決定された。『胆力』には、ただただ感服である。 まさに、『自分の力が人に役に立つと思うときは進んでやれ』(新渡戸稲造:1862~1933)の実践であろう。  筆者は、2007年から読書会を始めた。 新渡戸稲造『武士道』(岩波文庫、矢内原忠雄訳)と内村鑑三(1861-1930)『代表的日本人』(岩波文庫、鈴木範久訳)を交互に読み進めている。 若林先生も参加されている。 まさに、【『良書を読み、有益な話を聞き、心の蔵を豊かにする』(新渡戸稲造)で、 『行動への意識の根源と原動力』をもち、『はしるべき行程』と『見据える勇気』】である。

第434回 『愛と信頼の道』〜『教育の原点』〜

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 2024年11月1日 筆者は、午前中 病理医としての定例の病理組織診断業務を担当した。 順天堂大学に寄って、池袋駅→清瀬駅から新堀小学校の若林寿校長との面談に向かった。 11月6日の新堀小学校6年生の授業『がん教育』の打ち合わせを行った。【2人に1人が がんになる時代を迎え、文部科学省は新学習指導要領に『がん教育』を明記し、2021年度から中学校、高校、さらに小学校でも授業を本格化されている。】  昨年、2023年11月7日 新座市立新堀小学校の校長 若林先生の企画の『開校50周年記念音楽 & 映画鑑賞教室』(体育館に於いて)に赴いた。 6年生と生徒の保護者、映画『がんと生きる言葉の処方箋』製作者、本の編集者、地域の教員も参加されていた。   筆者は、生徒に【『涙とともに パンを食べた者でなければ人生の味は分からない』(ゲーテ:1749-1832)、ゲーテを こよなく敬愛したスイスの作家 ヨハンナ・シュピリ(1827-1901)の『アルプスの少女ハイジ』(『ハイジ、クララ』の『自己形成小説』)の現代的意義は、『喜んで無邪気に 小さなことに大きな愛を込める』、また『愛がなければ全ては無意味である』】と さりげなく語ったものである。  若林寿先生は、東久留米での定例の読書会【新渡戸稲造(1862-1933)著『武士道』(1899年;矢内原忠雄訳) & 内村鑑三(1861-1930)著『代表的日本人』(1908年;鈴木範久訳)】にも参加されている。  『新時代の形成力』&『指導的原動力』の学びの時でもある。『愛と信頼』を置き、『真の人の道』を導くのが、 まさに、『教育の原点』であろう! 今回も、大変有意義な貴重な『新堀小学校の訪問』となった。  11月2日は、日本薬史学会主催の公開講演『がん患者を支えるために ~ がん哲学外来から ~』(帝京大学板橋キャンパス)に赴く。

第433回 活動の原動力 〜 『人々の中に入ろう』 〜

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 2024年10月26日 5周年記念『がん哲学外来 メディカルカフェ㏌三浦海岸』 (主催:聖母訪問会 三浦修道院;企画担当:渡辺清子シスター、西田靖子シスター)に赴いた。 【メディカルカフェ ㏌ 三浦海岸は 今年で5周年を迎えました。 そこで『がん哲学』の提唱者であり、一般社団法人『がん哲学外来カフェ』を創設された名誉理事長 樋野興夫先生を お招きしての講演会を開催いたします。 カフェを始められた経緯や、多数のご著書の中の名言等について伺います。】と紹介されていた。 【自然と調和した暮らし『パーマカルチャー』の実践による自給自足的生活を送ってきた。『もっと人々の中に入ろう』。 近年では、地域に開かれた修道院をめざしており、そのなかで『がん哲学外来カフェ』の存在を知ったという。―― 数多くの患者や家族の苦しみ、悲しみに寄り添ってきたことも 開催の後押しになったという。『寄り添うことは 修道院の存在意義のひとつでもある』】   筆者は、講演『がん哲学外来カフェ』の後、別室で個人面談の時も与えられた。   早速、【『今日はありがとうございました。― 認知症予防の為に笑みサロンを開催している仲間も参加され、とてもあたたかい気持ちで帰ること出来たと。 三浦市は人口45000人足らずなのですが、3ヵ所あった訪問看護ステーションが倍の6ヵ所になっております。― 横須賀三浦は訪問看護ステーションは人口に比較して県内でも多いです。 ― 問題は要支援の一人暮らしの方をどう支えるか、介護保険では不十分、家族も頼れない、近所の付き合いもないと言う方々増えています。 私は今、まちの診療所で いかに虚弱体質にならないようにするかと言うことで、サークル活動や歩こう会等に誘って、100人近い会員を見守るコミュニティナースをしています。― 先生の本をまた、読んで自分の考え方を見直します。』 & 『今日も素敵なお言葉を沢山いただきありがとうございました。― 活動の原動力になります。 これからも宜しくご教授下さい。』】との心温まるメールを頂いた。  大変有意義な充実した『がん哲学外来 メディカルカフェ㏌三浦海岸』であった。

第432回 病と心のケア 〜 愛に溢れた雰囲気 〜

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 2024年10月20日浦和福音自由教会での講演会『〜 病と心のケア〜 ガン哲学外来とは』に赴いた。 多数の参加者であった。 筆者は下記を語った。 がん哲学 ~ 人は、がんとともに どのように生きていくのか ~ 1) 病気になったとき、人はどのように感じ、何を考えますか? 2) 家族は、どのように患者さんを 支えることができますか? 3) 周りの人は、どのように患者さんを 支えることができますか? 4) 人の支えは、患者さんに、どのような効果をもたらしますか? 『がん哲学外来とは』 『がん哲学外来の絶対性大原理』 愛がなければ全ては無意味 『がん哲学外来の真髄』 1) 愛に溢れた雰囲気 2) 静かな口調 3) にもかかわらず 『がん哲学外来の心得』 1) 仮面を外し、心の垣根をとる 2) 秘密は守る、リラックスした時間を過ごす 3) 正直になる、積極的に人々に仕える 『真理は円形にあらず、楕円形である。 一個の中心の周囲に描かるべきものにあらずして、二個の中心の周囲に描かるべきものである。 — 人は何事によらず 円満と称して円形を要求するが、天然は 人の要求に応ぜずして 楕円形を採るはふしぎである。 — 患難の坩堝(るつぼ)の内に燃え尽くす火に 鍛えられて初めて実得し得るものである。』(内村鑑三;1861-1930)。  多数の質問もあり、大いに感動した。 そして『グループに分かれて討論』、筆者は『総括』の機会が与えられた。 大変有意義な充実した時であった。 終了後、スタッフと懇談した。 『がん哲学外来』が開設されることであろう!

第431回 『余計なお節介』vs『偉大なるお節介』 〜 違いの是非の考察 〜

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 2024年10月12日『市ヶ谷だいじょうぶ!カフェ』(田口謙治・桂子夫妻 主催)に赴いた。  講演では、田口謙治氏が作成された【『新渡戸稲造(1862−1933)の言葉の処方箋』10か条 〜 心がけにより、逆境も、順境になる 新渡戸稲造 〜】を語った。 70名を超える参加者で、会場から多数の質問も寄せられた。 講演後、5組の個人面談の機会が与えられた。 皆様と『紙飛行機』を熱唱して終えた。 大変充実した貴重な時であった。  筆者の故郷【当時の住所名:島根県簸川郡大社町鵜峠(うど)、現在は、島根県出雲市大社町鵜峠】は無医村であり、幼年期、熱を出しては 今は亡き母(96歳で逝去)に背負われて、隣の村(鷺浦)の診療所に行った体験が、脳裏に焼き付いている。 そして、人生3歳にして、医者になろうと思った。  その村で、筆者の生涯に強い印象を与えたひとつの言葉がある。 母校の鵜鷺小学校(鵜峠と鷺浦の中間に位置する)の卒業式で、来賓が言った言葉『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious) である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神が新渡戸稲造、内村鑑三(1861-1930)を生んだ。これが筆者の原点であり、そして19歳の時から、尊敬する人物を、静かに、学んできた。 その人物とは、南原繁(1889-1974)であり、上記の新渡戸稲造・内村鑑三であり、また、矢内原忠雄(1893-1961)である。  人間は『お節介を やいてもらいたい生物』である。 でも『余計なお節介』は嫌である。 要するに、『偉大なるお節介』とは、他人の必要に共感することであり、『余計なお節介』と『偉大なるお節介』の微妙な違いと その是非の考察がこれからの大きな課題となる。『ユーモア(you more)に溢れ、心優しく、俯瞰的な大局観のある人物』の育成訓練でもある。 まさに、『本質的な人間教育の見直し』の時代的様相であろう。