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第513回 弱さのうちに現われる『個性と多様性』 〜 人生の良き宝 〜

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 2025年11月30日は、wifeと『KBF(久留米バイブルフェロ-シップ)in CAJ(インターナショナルスクール;クリスチャンアカデミー・イン・ジャパン)』に出席した。 筆者は、2007年CAJで、新渡戸稲造(1862-1933)著『武士道』、内村鑑三(1861-1930)著『代表的日本人』の読書会を始めた。【『良書を読み、有益な話を聞き、心の蔵を豊かにする』(新渡戸稲造)で、 行動への意識の根源と原動力をもち、『はしるべき行程』と『見据える勇気』】の修練である。  筆者は、2008年1月 順天堂大学の病院の診察室で、無料の『がん哲学外来』を始めた。 その年(2008年)の秋に『東久留米がん哲学外来・カフェ』を CAJで 開始する機会が与えられた。【継続は、人間としての 尊い行為である! すべての始まりは『人材』である! 人生の大切な想い出で、良き宝となろう!】 まさに、『角を吹き鳴らし、― ときの声をあげよ。(ヨエル書2章1節)』】を痛感する日々である。   今朝は、【わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。 人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。 わたしを離れては、あなたがたは何もできないからです。(ヨハネの福音書15章5節) & 『わたしの恵みは、あなたに 十分である。 というのは、わたしの力は 弱さのうちに完全に現われるからである。― むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(コリント人への手紙第二12章9節)』 & 『高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげが与えられました。 それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使です。(コリント人への手紙第二12章7節)』】の復学であった。  昼食後、落合川を散策した。 川に浮かぶカモ、泳ぐ鯉を眺め、心が慰められた。【『30m後ろから誰かを見ている人物になる』 & 『喜んで無邪気に 小さなことに大きな愛を込める:アルプスの少女ハイジ ヨハンナ・シュピリ(1827-1901)』 & それぞれ違う個性を持ったものとして造られている=『個性と多様性』】を実感しながら帰宅した。

第512回 『バランスを取り共存する』 〜 他人の感情を尊敬する 〜

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  2025年11月19日 wifeと来日中のアメリカ ワシントン州とミシガン州に在住の娘家族と10人で『東京ディズニーランド』(Tokyo Disneyland)(千葉県浦安市舞浜)に赴いた。『小さな世界(It's a Small World/イッツ・ア・スモール・ワールド)』を拝聴し、大いに心が慰められた。 まさに、『バランスを取りながら 共存する』の実践であろう! 1. 世界中 どこだって 笑いあり 涙あり みんな それぞれ 助け合う 小さな世界 世界はせまい 世界は同じ 世界はまるい ただひとつ 2.世界中 だれだって ほほえめば なかよしさ みんな 輪になり 手をつなごう 小さな世界 世界はせまい 世界は同じ 世界はまるい ただひとつ <引用:若谷 和子『小さな世界』歌詞より> 『がん哲学外来・カフェ』でも『小さな世界』が、テーマソングで歌われる予感がする。 早速【『がん哲学外来カフェ in 万座』天空のデイサービス万座『樋野先生を囲んで ちょっと早いクリスマス!』(12月18日〜19日)】(主催:市村雅昭氏)で、熱唱されるようである。 ただただ感服する。  11月20日は、新渡戸稲造記念センターから東京女子大学に向かう。 女子教育に 大いなる理解を示した新渡戸稲造(1862〜1933)は、東京女子大学 初代学長である。【Union is Power(協調・協力こそが力なり)であり 優雅な感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。 しかして他人の感情を尊敬することから生ずる謙遜・慇懃の心は礼の根本をなす】(新渡戸稲造)が鮮明に蘇える。

第511回 心おきなく対話する場 〜 さり気なく励まされる 〜

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 2025年11月16日 『東久留米がん哲学外来・カフェ』&『読書会』に赴く。 『東久留米がん哲学外来・カフェ』については、【“がんの悩みを心おきなく話したい”お茶を飲みながら、患者さん、ご家族、お友達、医療者が対話する場です。 並行して、樋野興夫先生との個別面談を行っています。(無料・要予約)】と案内されている。 『読書会』については、【新渡戸稲造 (1862-1933)『武士道』(岩波文庫、矢内原忠雄訳)と内村鑑三(1861―1930)『代表的日本人』 (岩波文庫、鈴木範久訳)を交互に読み進めております。 リーダーは 順天堂大学名誉教授・一般社団法人がん哲学外来名誉理事長で新渡戸稲造記念センター長の樋野興夫先生です。 樋野先生のユニークでわかりやすい解説と さり気なく語られるメッセージに励まされ、人生の生きる意味を あらためて考えるひとときになります。 どなたでもご参加いただけます。 みなさまの参加をお待ちしております。】との心温まる紹介がなされている。  今回の読書箇所は【内村鑑三『代表的日本人』第一章・西郷隆盛①一八八六年の日本の維新】である。 【内村鑑三は、日本の文化や思想を西洋社会に紹介する目的で、1894年(日清戦争開始年)に英文で『Japan and the Japanese』を執筆した。 その後、1908年に人物論に絞り改訂されたものが『Representative Men of Japan』(日本語訳『代表的日本人』)である。 新渡戸稲造の『武士道』(1900年)や岡倉天心(1863-1913)の『茶の本』(1906年)と並び、日本人が英語で日本の精神を世界に伝えた代表的な著作として知られている。】とある。 まさに3人は、【『英語力と教養』を備えた明治以降の日本が誇れる人物】である。  内村鑑三は『代表的日本人』の5人の生涯を以下の如く語っている。            西郷隆盛:新しい日本の創設者                                        ...

第510回 『機会をつくる、それを用いる』 〜 『世渡りの道』 〜

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2025年11月11日『ひばりヶ丘駅―>池袋駅―>品川駅』に向かい『第53回高松宮妃癌研究基金国際シンポジウム』(グランドプリンスホテル高輪に於いて)に出席した。 国内外からの『純度の高い専門性』のある発表には、日々勉強である。 久しぶりに癌研時代の恩師にお会い出来、大変嬉しかった。 『人生邂逅は、非連続性の連続性で、人知・思いを超えて進展する』を痛感する日々である。 その後、『品川駅―>新宿駅―>武蔵境駅』から武蔵野赤十字病院(東京都武蔵野市)での【武蔵野赤十字病院の第3回臨床研究倫理審査委員会】に出席した。病院の事務局の緻密な準備と誠実な働きには、ただただ感服した。 『賢明なリーダー と イニシアチブ』は時代的要請であろう!【武蔵野赤十字病院は1949年に創立され、『病む人への愛』、『同僚と職場への愛』、『地域住民と地域への愛』、『地球、自然、命への愛』を大切にすることを基本理念として歩んでいます。】と謳われている。『がん診療連携拠点病院』として『がん相談支援センター』、『検診センター』、『地域周産期母子医療センター』も設置されている。 約600病床のようである。 『赤十字病院』は、全国で91の病院があるようである。 『機会をつくるのも、それを用いるのも、人であります』(新渡戸稲造:1862-1933)の学習の時である。  所詮われわれには、『畳1枚ほどの墓場』しか残らない。  『勇ましき高尚なる生涯』の生き様を見せるしかない。  これが、真の『器量』ではなかろうか!  『器量』といえば、『挑太郎』を思い出す。  鬼ケ島遠征の物語は、子供時代、村のお寺の紙芝居でよく聞かされたものである。  『桃太郎』が犬・雉・猿という性質の違った(世にいう犬猿の仲)伴をまとめあげたことを挙げ、世に処する人は『性質の異なった者を 容れるだけの雅量』を もたなければならないと 新渡戸稲造は『世渡りの道』(1912年)で述べている。 (1)賢明な寛容さ (the wise patience) (2)行動より大切な静思 (contemplation beyond action) (3)実例と実行 (example and own action) 

第509回 人知を超えて、進んでいる 〜 じっくりと考える 〜

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  2025年11月5日 順天堂大学の御茶ノ水駅から羽田空港に向かった。 アメリカ合衆国ワシントン州在住の娘が、9年ぶりに家族(主人、子供3人)とシアトル空港から来日したので、wifeと羽田空港第3ターミナルに赴いた。  11月6日は、新渡戸稲造記念センターでの『がん哲学外来』に赴く。【『がん哲学外来』は、がんに悩む方の思いを受け止め、樋野センター長と患者が対等の立場で ざっくばらんにがんについて語り合う場です。『がん哲学外来』は外来という名前がついていますが、診察はしません。カルテも検査結果もありません。その代わり、がんになった不安や苦しみ、がんとの向き合い方を じっくりと話し、考えることが出来ます。】&【2019年4月、東京医療生活協同組合に『新渡戸稲造記念センター』が設立されました。『新渡戸稲造記念センター』は、東京医療利用組合(現・東京医療生活協同組合)の初代組合長(理事長)である新渡戸稲造(1862-1933)博士の志(こころざし)を日本の国内外へ広め、実践する拠点となります。『新渡戸稲造記念センター』のセンター長には、新渡戸稲造博士の専門家として本邦の第一人者で、新渡戸博士の志を継承して活躍されている樋野興夫先生が就任されました。2019年4月、東京医療生活協同組合に『新渡戸稲造記念センター』が設立されました。】と心温まる紹介がなされている。 ただただ感服する。 その後『新渡戸記念中野総合病院倫理委員会』に出席する。  2003年に初版『われ21世紀の新渡戸とならん』、2018年に新訂版、2019年4月には 英語版『I Want to Be the 21 st Century Inazo Nitobe』が発行された。 タイミング的に『新渡戸稲造記念センター長』就任記念ともなった。 若き日の筆者に強い印象を与えた言葉は『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious)である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 そして、クラーク精神が生んだ内村鑑三(1861-1930)、新渡戸稲造(1862-1933)、南原繁(1889-1974)、矢内原忠雄(1893-1961)の読書を始めたものである。 『すべての始まりは 出会いで ...

第508回 あきらめなく前進する 〜 燃えつづけていく 〜

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 2025年11月1日【恵泉女学園創立96周年記念式】に出席した。 コラムニスト ジェーン•スー 先生の記念講演『自分で自分を受け止める 〜 私らしさを探して 〜』は有意義な講演であった。その後【第96回創立記念式典 来賓•招待卒業式 会食会】に出席した。卒業生で小説家 柚木麻子氏のスピーチは興味深かった。   筆者は、『恵泉559号2025年度(第3号)』に【2025年6月30日 9代目理事長を任期満了で退任しました。― 新渡戸稲造(1862-1933)に学んだ河井道(1877-1953)が、初代学園長である学校法人恵泉女学園の9代目理事長を2021年7月に拝命―『理事 ―> 理事長』として16年間、大変お世話になりました。 ただただ感謝申し上げます。】&【河井道は新渡戸稲造に、プリンマー大学の入学、卒業を援護してもらっている。 その後、河井道は学校設立の為に、国際連盟事務次長(1920-1926)の新渡戸稲造に相談にジュネーブにわざわざ行った。 その時に新渡戸稲造は、『君はこれから女学校でも創立すると、その経営に苦しんで終わり、理想とする教育には手を下しえないで果てるだろう。 ほかにやる用事はたくさんにあるから、思いとどまれ』と語った】(『新渡戸博士追悼集』の『河井道の育ての親』の箇所での河井道の文章)&【しょげて日本に帰国した河井道は、あきらめませんでした。 そして丁度1928年、新渡戸稲造は 台湾在住の男性からの現在の700万円の寄贈を辞退して、台湾在住の男性に『資金繰りに困っている河合道に寄付金として送るよう』伝えた。 そして河井道は、『”My Lantern”(わたしのランターン)』を著した(1939)】 『わたしのランターン』の終わりに【ここまで、わたしは、私のランターンをかかげてきた。時がくると、それは別の手へとひき継がれて、さらに先へと運ばれていくであろう。わたしたちの魂の『太陽』が、この世界の面から、うれいと闇の跡を一ひらも残さず追いはらうまで、このランターンが、芯を切りととのえられ、燃えつづけていくように、わたしはそれのみを願っている】と記述している。  今回、河井道の『よりよいゴールにむかって 人生の道を勇ましく前進させる』精神が鮮明に想い出された。 2029年は、創立100周年である。

第507回 『愛情の原点』 〜 自分の発見と理解が深まる 〜

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 2025年10月27日 岩間孝吉先生(元 山梨英和中学・高等学校校長)から『初冠雪した甲府盆地からの富士山をお届けします。』と写真が送られて来た。【壮大な品格のある雪の『富士山(3776m)』】の姿には、大いに心が慰められた。【筆者の誕生の年(1954年)の母の元旦の夢が『富士山』であり、幼児の時から『富士山子』と励まされたものである。】 これが、『愛情の原点』である!  2023年11月12日 第6回『日本メディカルヴィレッジ学会 in 山梨 〜 山梨の文化で支えあうがんの療養 〜』(大会長:山梨ホスピス協会 理事長 阿部文明先生(山梨県立中央病院緩和ケア科医師)会場: WEB・山梨県立大学池田キャンパス、共催:山梨ホスピス協会 日本メディカルヴィレッジ学会/後援:山梨県 山梨県教育委員会 山梨県医師会 山梨県看護協会 山梨県介護支援専門員協会 山梨日日新聞社 山梨放送 テレビ山梨 日本ネットワークサービス/助成:在宅医療助成 勇美記念財団)に赴いた。 筆者は、『日本メディカルヴィレッジ学会 理事長』として、岩間孝吉先生の座長で、講演『胆力の修養の場 ~ 新しい自分の発見 & 他人の理解が深まる 〜』の機会が与えられた。  小学校の卒業式で、強い印象を与えた来賓の言葉は『ボーイズ・ビー・アンビシャス (boys be ambitious)』 である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神が 内村鑑三(1861-1930)、新渡戸稲造(1862-1933)、南原繁(1889-1974)、矢内原忠雄(1893-1961)を生んだ。 そして、2003年に初版『われ21世紀の新渡戸とならん』(イーグレープ)、2018年に新訂版、2019年4月には英語版『I Want to Be the 21 st Century Inazo Nitobe』 (日本橋出版)が発行されることになった。『不思議な時の流れ』である。  10月26日 東久留米駅前の『イースト サイド カフェ』で、2007年からスタートした定例の『読書会』を行なった。 今回は、新渡戸稲造著『武士道』(岩波文庫、矢内原忠雄訳)の第11章『克己』で、三国浩晃氏の音読で進められた。『人知を超えて、時は...