第573回 『言葉の処方箋』〜『淡々と、ゆっくりと前進する』〜
2026年9月3日. 新渡戸稲造記念センターに赴き、その後、新渡戸記念中野総合病院 倫理委員会に出席した。 日々学びである。 9月4日は、『病理組織診断』業務に赴いた。 筆者にとっては、 『病理組織診断』業務は『顕微鏡を見て病気を診断する』で、癌研時代からの病理医としての原点である。 それが、2001年の『がん哲学 = 生物学+人間学』の提唱の原点となった。 そして、2008年 順天堂大学病院で『がん哲学外来 = 言葉の処方箋』が開設される運びとなった。
9月5日は、 【第15回がん哲学外来メディカルカフェ『風林火團』】 (主催:山梨ホスピス協会 理事長:阿部文明先生 担当者:中村由喜氏)】で、山梨県地場産業センターに赴く(添付)。『山梨ホスピス協会』理事長 阿部文明先生(山梨県立中央病院緩和ケア科医師)が、甲府駅に車で迎えに来てくださり、山梨県地場産業センターに向かう。 筆者は、講演『言葉の処方箋』の機会が与えられた。 筆者の『言葉の処方箋』は、学生時代からの読書遍歴{内村鑑三(1861-1930)・新渡戸稲造(1862-1933)・南原繁(1889-1974)・矢内原忠雄(1893-1961)}に由来する。『人生は人知を超えて、淡々と、ゆっくりと前進する』のを実感する日々である。
【がん哲学外来メディカルカフェ『風林火團』】は、2017年7月5日スタートされた。【がん哲学外来メディカルカフェ『風林火團』】のスタッフで、山梨英和中学校・高等学校校長を務められた岩間孝吉先生から、【1929年山梨英和女学校創立40周年記念会での、新渡戸稲造の講演『和を以って貴となす』の記事(1930年5月25日刊山梨英和女学校の『同窓会誌』)、山梨英和学院 1989年5月27日発行の『山梨英和100年』のコピー、新渡戸稲造と『NHK「花子とアン」で知られる「山梨英和女学校の英語教師であった村岡花子」の写真』】が送られてきたものである。
『1901年山梨県立甲府中学校 (現在の甲府第一高校) 第5代校長として大島正健(1859-1938)が着任すると、内村鑑三と共に新渡戸稲造が、甲府を訪ねているようです。 1906年山梨英和女学校の評議員に大島正健が就任すると、新渡戸稲造は、1909年山梨英和女学校卒業式で祝辞、1916年卒業式で講演、1929年山梨英和40周年記念講演で3回訪ねております。』とのことである。 『甲府の旅』では、何時も『富士山(3776m)』を見つめながら、『あれが日本一の名物だ(富士山)あれより他に自慢なものは何もない』(『三四郎』夏目漱石:1867-1916)が鮮明に思い出される。