第545回 『来る者を、捨てません。』〜 愛を持って互いに忍び合う 〜

 筆者は、2026年4月25日 病理医として 定例の『病理組織診断業務』を担当した。『顕微鏡を見て病気を診断する=森を診て木の皮まで診る』実践である。『丁寧な観察力の厳粛な修練の場』でもある。 終了後、順天堂大学医学部病理・腫瘍学教室に寄った。 国立ハンセン病療養所長島愛生園(岡山県)から『愛生』が送られて来ていた。 長島愛生園 開園(1930年)翌年の1931年から発行され続けている機関誌『愛生』は、今回は860号である。

 想えば、2012年、長島愛生園の精神科医であった神谷美恵子(1914-1979)の『神谷美恵子記念がん哲学カフェ』が開設された。 2022年9月27日は、長島愛生園で『長島愛生園愛カフェ10周年記念講演会』(2022年10月9日、毎日新聞掲載)が企画された。 新渡戸稲造(1862-1933)生誕160周年でもあった。 2014年の『神谷美恵子生誕100年』では、故 日野原重明先生(1911-2017)の講演と神谷美恵子の次男:神谷徹氏との鼎談に出席したことが、この度、鮮明に思い出された。『貴重な人生の良き想い出』となった。

 神谷美恵子の父、前田多門(1884-1962)の仲人は新渡戸稲造であった。 前田多門は、内村鑑三(1861-1930)の主宰する『柏会』に属していた。 神谷美恵子が3歳の時に、新渡戸稲造は 『膝に抱いてあやしている』。 神谷美恵子は、『一生の思い出であった』と語っている。 神谷美恵子は43歳でがんになり、生きがいを求めて 『ハンセン氏病施設の長島愛生園』で精神科医として勤めた。 そして『生きがい』を出版した(添付)。 まさに『もしかすると この時のため』(エステル記4章14節)であろう!

2024年10月29日 長島愛生園での『長島愛生園の医師であった神谷美恵子記念がん哲学カフェ;愛カフェ』12周年に赴いた。『新渡戸稲造・内村鑑三―>前田多門―>神谷美恵子』の流れである。【神谷美恵子の父、前田多門が国際労働機関の政府代表として任命され、スイス、ジュネーブに転居。 --- 1926年秋、父の仕事の任務が終わり、日本に帰国。 ――  帰国後に選んだ学校は自由学園でした。】とのメールが『ニュースレター 日の出』を編集されている『神谷美恵の研究者である田中真美先生(立命館大学生存学研究所客員研究員/ ホスピタリティ人間教育研究所 代表理事)』から届いたものである。 

『わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。』(ヨハネの福音書6章37節)&『寛容を示し、愛を持って互いに忍び合い、』(エペソ人への手紙4章2節)の箇所が、今回、復学となった。


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