第530回 幼年時代のインプリンティング 〜 心にかけて記憶する 〜
2026年2月8日早朝 大雪で、雪の積もる風景であった。 自宅で、心静まる時となった。 筆者の両親との写真を見つめなおした。 そして、少年時代の故郷の実家(島根県出雲大社町鵜峠 : 出雲大社から、8キロほど、峠を越えて美しい日本海に面した小さな村:人口30名、空き家60%)での 雪景色が、今回、鮮明に想い出された。
筆者の母(樋野壽子: 1923年2月20日〜2019年6月3日)は、自宅に於いて、安らかに 96歳天寿を全うした。【筆者の誕生の年(1954年3月7日)の母の元旦の夢が『富士山(3776m)』であり、幼児の時から『富士山子』と母に励まされたものである。】 幼年時代のインプリンテイングは 生涯に影響を与えるものである。
父(樋野廉平)は、92歳で鵜峠の自宅に於いて逝去した(1921年1月24日〜2013年5月5日)。 母の兄達は、太平洋戦争で戦死し、末っ子の母が家を継いだ。 そして、祖父の樋野卓郎(1888-1972)から家を継いだ末娘(母)の3人の子供(誉・誠・興夫)の末っ子の長男:筆者に『家を興(おこ)す = 樋野興夫 = ひのおきお = Origin of Fire』と命名されたと、膝に抱かれて聞かされた『幼年時代の想い出』が鮮明に蘇ってくる。
父は婿養子で、貨物船やタンカーの機関長であった。 筆者は、小学生、中学生時代の夏休み、母と父の船に乗り、日本海、太平洋の船旅をしたものである。 母校の鵜鷺【鵜峠(うど)+鷺浦(さぎうら)=鵜鷺(うさぎ)】小学校、中学校は、既に廃校になった。 故郷は無医村であり、幼年期、熱を出しては母に背負われて、峠のトンネルを通って、隣の村(鷺浦)の診療所に行った体験が、今でも脳裏に焼き付いている。 そして、筆者は、『人生3歳にして医者になろう』と思ったようである。
筆者の小学校5年生の時 担任の先生から命令され、毎日、日記を書いて登校して、担任の先生に渡し、下校時、赤字でコメントを頂いたものである。 それが、今のブログの記述に繋がったものである。 文章は現在と全く同じレベルである。『不連続の連続性=人生の原点』である。
『常に志を忘れないよう 心にかけて記憶する』ことが、まさに、『ビジョンは 人知・思いを超えて進展する』を痛感する日々である。 これが、筆者にとっての『愛情の原点』でもある!