第520回 興(おこ)す 〜 幼年時代のインプリンティング 〜
2025年12月29日 【現在では人口34名、60%の空き家の故郷】の島根県出雲市大社町鵜峠(うど)から姉(1951年10月2日生まれ)が上京し、羽田空港にWifeと迎えに行った。 約20年ぶりの上京であろうか!? 無医村の鵜峠の自宅に於いて、安らかに 96歳の天寿を全うした【母:樋野壽子(1923年2月20日 〜 2019年6月3日)】の顔に、ますます似て『そっくりさん』の風貌であった。
母の兄達は、太平洋戦争で戦死し、末っ子の母が我が家を継いだ。 そして、筆者は、【祖父:樋野卓郎(1888-1972)】から、『家を興(おこ)す=樋野興夫=ひのおきお=Origin of Fire』と命名されたと、膝に抱かれて聞かされた幼年時代の想い出が鮮明に脳裏に蘇る。 『興』は『国を興す 産業を興す 振興 興起 興隆 再興 復興』 である。
筆者は、幼年時代から 【筆者の誕生(1954年3月7日)の年(1954年)の母の元旦の夢が『富士山』であり、筆者は、幼児の時から『富士山子』と母に励まされたものである。】故に【富士山】には特別な思いがある。 幼年時代のインプリンティングは 生涯に影響を与えるものである。【壮大な品格のある『富士山(3776m)』】の姿には、いつも大いに心が慰められる。
鵜峠の海辺に行き、日本海を眺めながら、『何故に、この母から この世に、生まれたのか ?』 & 『何の為に、この地で、生まれたのか?』を 深く静思したものである。 無医村で、母に背負われて、隣の村の診療所に行った体験が、脳裏に焼き付いている。 これが、『愛情の原点』であろう!
昨年(2024年5月1日) 島根大学医学部地域医療教育学(島根県出雲市)での講義で息子夫妻と帰郷(島根県出雲大社鵜峠)した。 息子夫妻も講義を受講した。 鵜峠の実家で一泊し、翌朝(5月2日)、廃校になった鵜鷺【鵜峠+鷺浦(隣の村)=鵜鷺(うさぎ)】小学校の校地、そして、鵜鷺(うさぎ)コミュニティセンター(廃校になった鵜鷺中学校)を訪問した。 筆者の夢は、『鵜鷺メディカル・ビレッジ構想』である。