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第488回 『丁寧な修練』 〜 『心の支え』 〜

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 2025年7月23日 順天堂大学に寄ってから、2019年3月 順天堂大学病理・腫瘍学教授を定年退職して名誉教授を拝命した翌月、『新渡戸稲造記念センター』が設立され、センター長に就任し『がん哲学外来』が定期的に開催されている新渡戸記念中野総合病院での第547回内科CPC(Clinico-Pathological Conference)に出席した。 誠実なスタッフの準備の姿には、大いに感動した。 大変勉強になった。  【『新渡戸稲造記念センター』は、東京医療利用組合(現・東京医療生活協同組合)の初代組合長(理事長)である新渡戸稲造(1862-1933)博士の志(こころざし)を 日本の国内外へ広め、実践する拠点となります。 そして『がん哲学外来 in 新渡戸稲造記念センター』が開設される運びとなった。】と謳われている。 歴史的大事業を実感する日々である。  CPCとは,【剖検例の肉眼的,顕微鏡的病理所見と臨床所見との関連について双方の立場から意見交換をし,詳細な病態および死因の解明に向けて検討を行うものである】と紹介されている。 病理学者の筆者にとっては、原点でもある。臨床医、病理医、臨床研修医との症例の学びの時であった。 臨床研修医の真摯な質問には感激した。 まさに、CPCは、『医師は生涯書生である』の修練の場である。 筆者にとっては、CPCは、癌研時代から病理医の原点である。 毎日 顕微鏡で細胞を診て、病理組織診断と病理解剖に専念したものである。『丁寧な観察力の修練』であった。  病理組織診断業務は、『顕微鏡を見て病気を診断する=森を診て木の皮まで診る』実践である。 誤診は許されない厳粛な場である。『がん細胞の病理』と『人間社会の病理』の類似性が、2001年の『がん哲学』の提唱の原点である。 つまり、【『がんは生物学の法則』+『哲学は人間学の法則』=『がん哲学』(2004年 &2009年)】である。『哲学が心の支え』となろう。 そして、2008年 順天堂大学病院で【『病気』であっても『病人』ではない社会の構築】を目指して『がん哲学外来』が開設された。『人知を超えた出会いの流れ』を痛感する

第487回 『内村鑑三 & 新渡戸稲造 & 岡倉天心』 〜 『真の国際人のモデル』 〜

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 2025年7月18日 ブログ『楕円形の心』を編集担当して頂いているK氏と、東久留米ジョナサンで夕食の時を持った。 K氏と東京藝術大学に在学中の娘様のイラストにより、2023年『教養を深め、時代を読む 〜 楕円形の心〜』(to be 出版)が製本されたものである。 ただただ感謝である。  彼との出会は25年前である。 『21世紀の徒然草』→『がん哲学ノート』→『楕円形の心』の繋がりである。 東京藝術大学の創設に深くかかわり、開校まもなく校長となった岡倉天心(1863-1913)が 今回 話題となった。  『われ21世紀の新渡戸とならん』(2003年発行:イーグレープ/発売:いのちのことば社)は、筆者が広報誌『Scientia』に連載していた文章をまとめたものである。 2003年 出版記念講演会は、筆者の順天堂大学教授就任も兼ねてであった! 2018年には新訂版『われ21世紀の新渡戸とならん』が発行された。 2019年英訳『I want to be the 21st Century Inazo Nitobe』(発行:日本橋/発売:星雲社)も出版された。  【内村鑑三(1861-1930)の『代表的日本人』(1894年)、新渡戸稲造(1862-1933)の『武士道』(1900年)、岡倉天心の『茶の本』(1906年)】は、【ともに英語で書かれ、日本の文化・思想を西欧社会に紹介したものである。 英語で、日本(人)を深く、広く、丁寧に 海外に紹介出来た人物は、この3人であろう!『英語力と教養』を備えた明治以降の日本が誇れる人物である。】   明治時代の3人の【『格調高い英語力』と『深い教養』と『高い見識』】には驚くばかりである。 【明治維新以降、『内村鑑三 & 新渡戸稲造 & 岡倉天心』は、日本が誇れる『真の国際人のモデル』】である! 新渡戸稲造が、愛読したカーライル(Thomas Carlyle :1975-1881)の『サーター・リサータス:衣装哲学』の『“Do thy Duty, which lies nearest thee, which thou knowest to be a Duty”(汝の義務を尽くせ。汝の最も近くにある義務を尽くせ、汝が義務と知られるものを尽くせ)』が、今回、鮮明に思い出された。 大変有意義な充実した貴重な夕食の時を持った。

第486回 『巻き込まれて』 〜 『使命の実践』 〜

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 2025年7月12日、13日 筆者は【がん哲学外来市民学会 代表】として、『第14回がん哲学外来コーディネーター養成講座』&『第13回がん哲学外来市民学会』(Cancer Philosophy Clinic Association for the People)に出席した(大分県のJ:COMホルトホールに於いて)。 今回の大会長は【がん哲学外来「大分ふぐカフェ」店長 緩和ケア医師 林良彦先生】であった。 大分県、茨城県、栃木県、千葉県、東京都、神奈川県、長野県、愛知県、三重県、石川県、福井県、京都府、兵庫県、福岡県などからの参加者であった。大いに感動した。  7月12日の『第14回がん哲学外来コーディネーター養成講座』で基調講演『がん患者にできる対人援助「対人援助という視点を意識するだけで」』をされた【がん哲学外来シャチホコ記念Café代表の彦田かな子氏】が講演で【筆者に《巻き込まれて》『がん哲学外来シャチホコ』を名古屋で始めた】と語られた。 大爆笑であった。 まさに、『冗談を本気でする胆力』の実践である。 早速、京都から参加されていた田中真美先生から彦田かな子氏(中央)との写真が届いた。  7月13日の『第13回がん哲学外来市民学会』では、筆者は、特別講演1『多職種連携の交流の場:メディカル ヴィレッジ <Medical Village = 医療の共同体>』の機会が与えられた(添付)。 7月5日 神戸薬科大学 地域連携サテライトセンターで【特別講演『多様性ある居場所 〜 良き先生、良き友、良き読書 〜』】の機会を与えて下さった【21世紀の神戸の『ハイジ(横山郁子)』&『クララ(加藤史恵)』】も参加されていたので【『喜んで無邪気に小さなことに大きな愛を込める』お二人の『使命の実践』】を、講演でさりげなく紹介した。 【あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたといわれるでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。目的を達しようとするとき、邪魔立てをする人に出会うでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。(マザー・テレサ:1910–1997)】&【私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間ではある。 何もかも出来るわけではないが、何かは出来る。だから、何もかもは出来なくても、出来ることを 出来ないと 拒みはしない』(ヘレン・ケラー:1880-196...

第485回 出来ることを 拒みはしない 〜 無邪気に大きな愛を込める 〜

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 筆者は、2025年7月5日 神戸薬科大学の横山郁子先生 主催の【がん哲学外来 Cafe Summit ひょうご 2025 第61回がん哲学学校 in 神戸 メディカル・カフェ】で【特別講演『多様性ある居場所 〜 良き先生、良き友、良き読書 〜』】(神戸薬科大学 地域連携サテライトセンター に於いて)の機会が与えられた。 早速、『がん哲学塾のニュースレター』と『記念誌』を製作されるようである。 まさに、【21世紀の神戸の『ハイジ(横山郁子)』&『クララ(加藤史恵)』の使命『喜んで無邪気に小さなことに大きな愛を込める』】の実践であろう! 参加者からも心温まるメールを複数頂いた。 大いに感動した。     京都から講演会に参加されていた田中真美先生からもメールが届いた。【樋野先生:コロナ以降、出生数は、減少を続けています。 一昨年は、78万人、昨年は、70万人、今の高校生の1学年、100万人くらいいますが、去年誕生した子どもたちが18年後、2042年、大学入学する時期には、どんな時代になっているのかと思います。 1人ひとりが丁寧に人生を考える力をつける、『がん哲学が必要な時代がやってくる』と思います。 その時の為に今、為すべきことに尽くすことを感じます。】  ヘレン・アダムス・ケラー(1880-1968)は、2歳の時に高熱にかかり、聴力、視力、言葉を失い、話すことさえ出来なくなった。 両親から躾けを受けることの出来ない状態となり、家庭教師として派遣されてきたのが、当時20歳のアン・サリヴァン(1866 -1936)であった。 サリヴァンはその後約50年にも渡って、よき教師として、そして友人として、ヘレンを支えていくことになる。【ヘレン・ケラーが『人生の眼』を開かれたのは『いのちの言葉』との出会いである。『I am only one, but still I am one. I cannot do everything, but still I can do something; And because I cannot do everything I will not refuse to do the something that I can do. 私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間ではある。 何もかも出来るわけではないが、何かは出来る。...

第484回 『国のあるべき姿』 〜 『いたわり』の理解 〜

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 2025年7月2日 東京ソラマチの31階和食の店『國見』で同窓の医師と会食の時を持った。 アメリカ在住の先生も参加された。 Washington Universityに勤務されている医師の娘様が、『がん哲学外来』を開設される予感がする。 大変有意義な時であった。 31階から観る、東京スカイツリー、東京の壮大な風景、隅田川、夕焼けには、心が大いに慰められた。 人生の良き思い出となった。  7月3日AMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)B型肝炎創薬実用化等研究事業キックオフミーティングに外部有識者(評価委員)として出席する(主催:国立研究開発法人日本医療研究開発機構&感染症研究開発事業部感染症研究開発課;AP東京丸の内B+Cルーム)。本会議の趣旨:【新たな3年が始まるにあたり研究代表者(及び関係者)間の相互理解と交流を推進するとともに、PD/PS/PO等が、研究の概要、スケジュール等の情報を把握することで、各研究開発課題の推進のための支援の契機とする事を目的とします。】と謳われている。  筆者の研究歴は癌研時代の『肝発がん』に始まる。 肝癌におけるB型肝炎ウイルス(HBV)のDNAの組み込みを 日本で最初に報告したものである(下記)。    Hino O.,et al.: Detection of hepatitis B virus DNA in hepatocellular carcinomas in Japan. Hepatology 4: 90-95, 1984  筆者は、医学部を卒業して癌研で研究をスタートした。 米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター(ニューヨーク)留学 (1984-1985)の機会が与えられた。 その時の研究テーマは『化学物質による化学肝発がん、B型肝炎ウイルス(HBV)によるウイルス肝発がん機構』であった。  筆者は、『日本国のあるべき姿』として『日本肝臓論』を提案している。【『日本国も 肝臓のような国になれば、世界から尊敬される。 人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担と お互いの非連続性の中の連続性、そして、障害時における全体的な『いたわり』の理解は、世界、国家、民族、人間の在り方への深い洞察へと誘うのであろう。】という趣旨である。