第463回 人生の【two-hit】 〜 有益な話を聞き、心の蔵を豊かにする 〜
2025年3月21日『病理組織診断業務』の後、癌研究会癌研究所の『野田哲生所長退任記念会祝賀会』に出席する。【野田先生と旧交を温めるひとときに出来ればと思い、祝賀パーティーの後に、同ホテルの30階にて二次会を企画いたしました。 もしも、お時間が許すようでしたら、ぜひ二次会にもご参加いただけますと幸いです。】との心温まる連絡を頂いた。 想えば、筆者は医師になり、癌研究会癌研究所の病理部に入った(1979年)。 野田哲生先生との出会いも始まった。
当時、癌研究所所長であった菅野晴夫(1925-2016)先生との、大いなる出会いに遭遇した。 菅野晴夫先生に、フィラデルフィアの Fox Chase Cancer Center の 【two-hit】の提唱者Knudson博士(1922-2016)の下で『Scienceを学んでくるように』と留学 (1989年)の機会が与えられた。 1991年には、癌研実験病理部部長として、帰国するようにと指示を頂いた。【30代は、人に言われたことを、がむしゃらに行い、40代で、自分の好きな事に専念し、50代で人の面倒を見るように、60代になっても、自分のことしか考えていないなら、恥と思え】と教わった。 【70代が、これからの課題】である。
菅野晴夫先生は、南原繁が東大総長時代の東大医学部の学生であり、菅野晴夫先生から、南原繁の風貌、人となりを直接うかがうことが出来た。 こうして、必然的に『がん哲学=生物学の法則+人間学の法則』の提唱へと導かれ『陣営の外=がん哲学外来』へと展開した。 菅野晴夫先生の教育を通して、『南原繁の恩師である新渡戸稲造の存在』を知り、新渡戸稲造の読書にも耽った。【勝海舟・新島襄・内村鑑三・新渡戸稲造・南原繁・矢内原忠雄・吉田富三、直接の恩師:『菅野晴夫先生(癌研時代)、Knudson博士(アメリカ時代)と『天国でカフェ』】を開催するのが筆者の夢である。
3月23日は、2007年から始めた【新渡戸稲造著『武士道』& 内村鑑三著『代表的日本人』の読書会】である。【『良書を読み、有益な話を聞き、心の蔵を豊かにする』 & 行動への意識の根源と原動力をもち『はしるべき行程』と『見据える勇気』】(新渡戸稲造)である。 まさに人生の【two-hit】である。