第455回 『強い印象を与えた言葉』 〜 『若き日からの読書遍歴』〜

 2025年2月13日強風の中『新渡戸稲造(1862-1933)記念センター in 新渡戸記念中野総合病院』に寄った。 夜は、Zoom『南原繁(1889-1974)研究会企画委員会』である。 筆者は2019年3月順天堂大学病理・腫瘍学教授を定年退職して名誉教授を拝命した翌月、『新渡戸稲造記念センター』が設立された。【『新渡戸稲造記念センター』は、東京医療利用組合(現・東京医療生活協同組合)の初代組合長(理事長)である新渡戸稲造博士の志を 日本の国内外へ広め、実践する拠点となります。『新渡戸稲造記念センター』のセンター長には、新渡戸稲造博士の専門家として本邦の第一人者で、新渡戸博士の志を継承して活躍されている樋野興夫先生が就任されました。】と心温まる紹介がなされた。 そして『がん哲学外来 in 新渡戸稲造記念センター』が開設された。 

 南原繁は、内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造から大きな影響を受けた。 新渡戸稲造校長時代の一高で学び、東大法学部に入学後、内村鑑三の聖書講義に出席するようになった。 筆者は、2004年にスタートした南原繁研究会【初代代表、鴨下重彦 先生(1934 -2011)、東京大学名誉教授、国立国際医療センター名誉総長)、第2代代表、加藤節 先生(成蹊大学名誉教授)】の3代目の代表を2019年 南原繁生誕130周年を祝し、仰せつかった。 2019年には、特別な思いがある。

 筆者の若き日に、強い印象を与えた言葉は、『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious)である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神が生んだ内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄(1893-1961)を静かに、若き日から学んできたものである。 筆者の読書遍歴は【内村鑑三・新渡戸稲造・南原繁・矢内原忠雄】である。 

 2003年に初版『われ21世紀の新渡戸とならん』(イーグレープ)、2018年に新訂版、2019年4月には英語版『 I Want to Be the 21st Century Inazo Nitobe』(日本橋出版)が発行されることになった。 『人知を超えて、時が進んでいる』ことを痛感する日々である。


 

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