第450回 『暇げな風貌』&『偉大なるお節介』 〜 心惹かれる存在として映る 〜
2025年1月20日 読売新聞夕刊一面の『よみうり寸評』に筆者の名前が記載されていたとのことで、メールが送られてきた。【がんは1個の細胞の小さな遺伝子変異から始まり、おおむね30年かかって大きくなる。 そんな話を病理学者の樋野興夫さんから以前に聞いた ◆ がん研究と人間探究を結びつけた『がん哲学』の提唱者として知られる樋野さんは、人が何かを成すにも30年を要する、 と言葉を継いだ。 研究者としての自身の歩みも踏まえた実感という◆ 阪神大震災に続き、3月には地下鉄サリン事件から30年が経過する。---- 】 とある。大いに感激した。
想えば、(毎日新聞夕刊2008年1月25日付、読売新聞朝刊2008年3月23日付)に『がん哲学外来』が紹介された。 新聞効果で『がん哲学外来』には、遠く県外からも来られ、すぐに予約で埋まった。 大きな驚きであった。
既存の『がん相談』や『セカンド オピニオン相談』とは異なる“ニッチ(すき間) なのであったろうか。『がん哲学外来』は対話型外来が基本である。 家族同伴も多い。 一組の相談に30〜60分を費やす。 それだけでも、患者の表情は明るくなる。 自分の考えを誰かに 伝えたい思いがある。 病状の進行を非常に知的に、かつ冷静に受け止め、残された時間をどう使うか、家族に何を残すか ということまで決めて来る患者もいる。 その思いを受け止めてくれる医師は いないものかと見回した時、変わった看板を掲げている『がん哲学外来』は、心惹かれる存在として映るのではなかろうか!
満足し、快活な笑顔を取り戻した患者も少なくない。 その姿に接し、『がん哲学外来』の時代的要請を痛感する。『がん哲学外来』のモットーとして、『暇げな風貌』と『偉大なるお節介』がある。『暇げな風貌』とは、たとえ忙しくても、そのことを表に出さず、『暇げな風貌』をした人が、ゆったりとした雰囲気で患者と対話できる資質のことである。『偉大なるお節介』は、『他人の必要に共感すること』であり、『余計なるお節介』と『偉大なるお節介』の微妙な違いと その是非の考察が課題となろう。『医療者』に求められるのは『暇げな風貌』と『偉大なるお節介』であると痛感する 今日この頃である。