第431回 『余計なお節介』vs『偉大なるお節介』 〜 違いの是非の考察 〜

 2024年10月12日『市ヶ谷だいじょうぶ!カフェ』(田口謙治・桂子夫妻 主催)に赴いた。


 講演では、田口謙治氏が作成された【『新渡戸稲造(1862−1933)の言葉の処方箋』10か条 〜 心がけにより、逆境も、順境になる 新渡戸稲造 〜】を語った。 70名を超える参加者で、会場から多数の質問も寄せられた。 講演後、5組の個人面談の機会が与えられた。 皆様と『紙飛行機』を熱唱して終えた。 大変充実した貴重な時であった。

 筆者の故郷【当時の住所名:島根県簸川郡大社町鵜峠(うど)、現在は、島根県出雲市大社町鵜峠】は無医村であり、幼年期、熱を出しては 今は亡き母(96歳で逝去)に背負われて、隣の村(鷺浦)の診療所に行った体験が、脳裏に焼き付いている。 そして、人生3歳にして、医者になろうと思った。

 その村で、筆者の生涯に強い印象を与えたひとつの言葉がある。 母校の鵜鷺小学校(鵜峠と鷺浦の中間に位置する)の卒業式で、来賓が言った言葉『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious) である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神が新渡戸稲造、内村鑑三(1861-1930)を生んだ。これが筆者の原点であり、そして19歳の時から、尊敬する人物を、静かに、学んできた。 その人物とは、南原繁(1889-1974)であり、上記の新渡戸稲造・内村鑑三であり、また、矢内原忠雄(1893-1961)である。

 人間は『お節介を やいてもらいたい生物』である。 でも『余計なお節介』は嫌である。 要するに、『偉大なるお節介』とは、他人の必要に共感することであり、『余計なお節介』と『偉大なるお節介』の微妙な違いと その是非の考察がこれからの大きな課題となる。『ユーモア(you more)に溢れ、心優しく、俯瞰的な大局観のある人物』の育成訓練でもある。 まさに、『本質的な人間教育の見直し』の時代的様相であろう。

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