第429回 『人生の方からは期待されている』 〜 『人知・思いを超えて進展する』 〜

 2024年9月30日 女子教育に大いなる理解を示した新渡戸稲造(1862-1933;東京女子大学 初代学長)が援護した、河井道(1877-1953)が創立(1929年)した恵泉女学園の理事長を務める筆者は、理事会に出席した。

 10月1日は、【東久留米市医師会のラジオ番組「解決!我が家のホームドクター」 TOKYO854(FM85.4MHz)】取材を受けた番組を聴いた。 懐かしい南沙織の曲『色づく街』とGARO(ガロ)の曲『学生街の喫茶店』も流された。

【筆者の故郷:島根県簸川郡大社町鵜峠は無医村であり、幼年期、熱を出しては今は亡き母(96歳で逝去)に背負われて、隣の村(鷺浦)の診療所に行った体験が、脳裏に焼き付いている。 そして、人生3歳にして、医者になろうと思った。

 南原繁(1899-1974)が東大総長時代の法学部と医学部の学生であった筆者の2人の恩師から、南原繁の風貌、人となりを直接うかがうことが出来た。 南原繁は、『高度な専門知識と幅広い教養を兼ね備えている人物であり、視野狭窄にならず、複眼の思考を持ち、教養を深め、時代を読む 具眼の士』である。 人間は、自分では『希望のない状況』であると思ったとしても、『人生の方からは期待されている存在』であると実感する深い学びの時が与えられている。 その時、その人らしいものが発動してくるであろう。『役割意識 & 使命感』の自覚へと導く。『練られた品性と綽々たる余裕は 教育の真髄』である。

 ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark:1826-1886)の精神が、『内村鑑三(1861-1930) & 新渡戸稲造』へと繋がり、英文で書かれた『代表的日本人』(内村鑑三)&『武士道』(新渡戸稲造)は、若き日からの座右の書である。そして、南原繁 & 矢内原忠雄(1893-1961)へと導かれた。 筆者は、現在『南原繁研究会の第3代目の代表』を仰せつかっている。】と語った。

『人生邂逅は、非連続性の連続性で、人知・思いを超えて進展する』ことを痛感する日々である。

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