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第418回 『希望 推進力』〜 『縦の糸 & 横の糸』 〜

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 2024年7月28日 第114回『メデイカル・カフェ@よどばし』(淀橋教会に於いて)の10周年記念に赴いた。 多数の参加者で、大いに感激した。  市川牧子先生の司会で進められた。 恒例の『365日の紙飛行機』(作詞:秋元康,作曲:角野寿和・青葉紘季)の熱唱で始まった。 『人生は紙飛行機 --- その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか それが 一番大切なんだ』 & 『いつの間にか 飛ばせるようになる それが 希望 推進力だ』の歌詞が、今回も 心に沁みた。  <第一部:がん哲学外来活動の報告>は、稲村祐子先生(自由学園初等部副部長)の講演『寛容・涵養の心を持って』であった。 お話しの中で、ドキュメンタリ―映画『がんと生きる言葉の処方箋』の一部を上映された。 大いに感動した、  稲村祐子先生は、【病院も診療所もない! 3歳の樋野興夫くんは、こう思いました。 将来、医者になる!!】を紹介された。 涙無くして語れない!  筆者は、第二部で、『10周年記念特別講演』の機会が与えられた。 ただただ感謝である。 最後に『まとめ』を述べ、『糸』(作詞:中島みゆき,作曲:中島みゆき)を合唱し終了した。 まさに、『縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない』である。   筆者にとっては、『3歳の樋野興夫くん』の『縦の糸は 父(92歳で逝去) & 横の糸は 母(96歳で逝去)』であった。青春期からの読書遍歴は、『縦の糸は 内村鑑三(1861-1930) & 横の糸は 新渡戸稲造(1862-1933)』であった。  閉会の挨拶では、峯野龍弘 先生から、お褒めの言葉を頂いた。 早速、『皆さん喜んで帰られました。とても有意義な10周年となりました。 10年もの間、本当にありがとうございます。 今後共、よろしくお願い致します。』との心温まるメールを 市川牧子先生から頂いた。 本当に有意義な 充実した 心温まる『10周年記念』であった。

第417回 『医療者の根幹』〜 学問的、科学的、人間的な責任で、手をさしのべる 〜

 2024年7月23日 筆者が代表を務める『Lynch(リンチ)症候群研究会』のZoom運営委員会に出席した。 佐伯春美先生(順天堂大学医学部)の司会で進められた。 真摯な働きには大いに感服した。 ただただ感謝である。  石田秀行先生(埼玉医科大学総合医療センター 消化管・一般外科/ゲノム診療科教授)、冨田尚裕先生(市立豊中病 がん診療部 外科)のご発言は、大いに勉強なった。 まさに『純度の高い専門性と社会的包容力』の実践である!  今年(2024年)8月1日【第10回リンチ症候群研究会・第6回がんゲノム医療時代におけるLynch症候群研究会合同学術集会・市民公開フォーラム】が、『がん研有明病院臨床遺伝医療部』の金子景香先生と冨田尚裕先生のお二人の大会長のもと【“Lynch Syndrome Day 2024”(国立がん研究センター)】がハイブリッド形式(現地+Zoomでのオンライン配信)で開催される。  思えば、筆者は『リンチ症候群研究会』設立の時、趣旨として【近年、遺伝性腫瘍に関する注目度が高まり、一般市民にも知られるようになってきており、様々な分野の医療従事者も、その対応を求められつつある。―― リンチ症候群は、『ミスマッチ修復遺伝子の生殖細胞系列変異を原因とする常染色体優性遺伝性疾患である』と定義され、―― 遺伝に関する指針やガイドラインに沿った検査の実施が必要であると考えられる。―― 各科臨床医・臨床遺伝専門医・病理医が連携を取り、院内体制の構築を検討する必要がある。――『リンチ症候群研究会』では、リンチ症候群の概要とその診療に関連する情報を提供したいと考えている。】と述べた。 今後の展望を大いに期待したいものである。 『リンチ症候群研究会の3つの使命』 1)学問的、科学的な責任で、病気を診断・治療する 2) 人間的な責任で、手をさしのべる 3) 病気(遺伝病)も単なる個性である社会構築 まさに、『医療者の根幹』ではなかろうか! 

第416回 メディカルヴィレッジ 〜 癒やす村 〜

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 2024年7月19日は、病理組織診断業務に赴く。 7月18日、【第7回日本メディカルヴィレッジ学会】(2024年8月4日 in 六ヶ所)大会長の島田義也先生(環境科学技術研究所 理事長)からチラシが送られて来た。 テーマは『みんなで考えよう! 六ヶ所村のこれからの医療と健康』とのことである。 筆者は日本メディカルヴィレッジ学会理事長として、特別講演『地域の協働体(Medical Village) 〜 癒すことのできる村を創る 〜』の機会が与えられた。 【若手討論会『これからの六ヶ所村の健康と医療を考える』の内容を考えています。 樋野先生が 若手にきいてみたいことはありますか? 『癒やすことのできるむら』を意識できるディスカッションができると良いと思っています。】との連絡を頂いた。『若者の心得5か条』として、下記の『逆境でも希望を見出す 新渡戸稲造(1862〜1933)の名言』をさりげなく伝えた。 ・人生には浮き沈みがつきものである ・誰にも『此処一番』の頑張りどころがある ・もっとも勇気ある者は もっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である ・人のありがたみこそが、人間における最高の治療薬 ・最も必要なことは、常に志を忘れないよう心にかけて記憶することである 【祖父の新渡戸傳(1793-1871)は、幕末期に荒れ地だった盛岡藩領の北部・三本木原(青森県十和田市付近)で灌漑用水路・稲生川の掘削事業を成功させ、稲造の父・十次郎(1820-1868)は それを補佐し産業開発も行った。 傳は 江戸で材木業を営み成功するといった才能もあった。 この三本木原の総合開発事業は新渡戸家三代(稲造の祖父・傳、父・十次郎、長兄・七郎)に亘って行われ、十和田市発展の礎となっている。 顕彰のため第二次世界大戦後、十和田市立新渡戸記念館が開設された。】と紹介されている。  新渡戸稲造は、国際連盟事務次長(1920-1926)も務め、著書 【Bushido: The Soul of Japan(『武士道』:1900年出版)】は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。 筆者は、2007年から『武士道』の『読書会』を継続している。

第415回 『出会いの中で実を結ぶ』 〜 心の支えるとなる言葉 〜

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 2024年7月6日 羽田空港からアメリカ シアトルの空港に向かった。 壮大なMt. Rainier (4392m)を観ながら娘夫妻の自宅に到着した。 7月9日は【Bainbridge Island Japanese American Exclusion Memoria】(ベインブリッジ島日系アメリカ人排除記念館)を訪問した。 大変貴重な時となった。   7月11日帰国した。 7月13日『第13回 がん哲学外来コーデイネーター 養成講座 in 京都:大人も 子どもも がんカフェを知る 〜 カフェの未来像 〜』に出席した(稲盛記念会館に於いて)。 7月14日は、筆者が代表を務める『がん哲学外来市民学会』の第12回『がん哲学外来市民学会 京都大会:出会いの中で実を結ぶ 〜 がん教育とともに 〜』(大会長:武藤倫弘 京都府立医科大学教授)(京都学・歴彩館に於いて)に赴いた。 筆者は教育講演『がん哲学外来におけるがん教育』の機会が与えられた。 会場は多数の参加者であった。 大いに感動した。 『がん哲学外来市民学会』は【医師、医療従事者、一般市民、学生、中高生、あらゆる人々が立場を超えて集う『交流』】&【市民の立場に立つ『医療維新』を目指す。『がんという病気のこと』、『生と死について』、『医療の在り方』、『言葉の大切さ』、『対話のあり方を学ぶ』、『次世代のがん相談者の育成』】の場でもある。  7月15日『東久留米ジョナサン』で、『健康と良い友だち』の取材を依頼された。 【連載している『わが街ザ・ドクター』で、樋野先生をご紹介させていただけることになり、大変うれしく思っております。】との心温まる連絡を頂いた。 質問内容 は、下記の様である。 ・2008年に『がん哲学外来』を始めた理由を教えてください。 ・『がん哲学外来』の活動によって良くなったこと、新たな課題、今後の展開 について教えてください。 ・がんという病気に向き合うとき、何を大切にすればよいのでしょうか。 ・樋野先生が心の支えとして大事にされている言葉を教えてください。

第414回 『救援・協力・支援・希望』 〜 『協調・協力こそが力なり』 〜

 2024年7月4日 Crash Japan(クラッシュジャパン)理事会にZoom参加した。 『クラッシュは、Christian(クリスチャン)、Relief(救援)、Assistance(協力)、Support(支援)、Hope(希望)の頭文字【CRASH】からなっています。』と紹介されている。  【クラッシュジャパンは、災害時に被災地域で求められる活動が迅速にできるように、災害発生前から教会や教会ネットワークなどの諸団体と協力して準備をし、災害発生時には被災地にある教会や教会ネットワークなどの諸団体と協力してクリスチャンボランティアを派遣しています。】&【2011年3月11日に発生した未曽有の東日本大震災の際には、被災地に5つのベースを設置し、2700名を越えるボランティアを動員しました。 世界中からのボランティアたちが、清掃作業、物資の配布、建物の復旧作業、被災者への傾聴、作物の栽培、クラフトやアート、コンサート、チラシの配布、モバイルカフェなどに携わりました。 私たちは、東日本大震災以後も日本各地で発生したさまざまな災害発生の際には、地域教会や教会ネットワークと協力してボランティア派遣、ボランティアセンターの運営、ボランティアケアなどの支援をしてきました。 他にも首都圏を中心に誕生している教会防災ネットワークへの協力や、諸県の教会や教会ネットワークが開催する心のケアセミナーへの協力などをしています。】とHPに記載されている。 今回『能登半島地震』が課題となった。  1933年3月3日に 三陸で地震の大災害があった。 新渡戸稲造(1862-1933)は 被災地 宮古市等沿岸部を 視察したとのことである。 その惨状を 目の当たりにした 新渡戸稲造は『Union is Power』(協調・協力こそが力なり)と 当時の青年に語ったと言われている。【クラッシュジャパン】にも繋がるであろう!   新渡戸稲造没80周年記念講演会(2022年)が、『東日本大震災復興支援宮古講演会』として岩手県宮古市で開催され、筆者は『新渡戸稲造博士とがん哲学』のタイトルで、講演を依頼されたことが、今回鮮明に思い出された。 その後、筆者は、新渡戸記念中野総合病院の定例の倫理委員会に出席した。