第408回 『よく』生きることの意味 〜 自分を掘り下げる哲学 〜

 2024年6月7日 病理組織診断業務に赴いた。筆者は、医師となり25歳(1979年)から癌研で毎日 顕微鏡で細胞を診て、病理組織診断と病理解剖に専念したものである。『細胞と組織と器官(臓器)と身体』は、病理医の原点である。【『マクロからミクロ』&『ミクロからマクロ』&『森を見て木の皮まで見る』=『丁寧な観察力の修練』】でもある。

 筆者は、2008年9月3日発行小学館『がん哲学外来の話 〜 殺到した患者と家族が笑顔を取り戻す 〜』の『まえがきにかえて』で、下記を記述した。

【2008年1月、順天堂大学医学部附属順天堂医院が『がん哲学外来』という特別外来を開設しました。『医師と患者が対等の立場でがんについて語り合う場』として、電話予約制・無料で行なったものです。―― 3ヶ月間にもわたった1日4~8組・計5日はすぐに埋まり、キャンセル待ちは約50組にのぼりました。――『がん哲学外来』を考える直接のきっかけは、2005年にアスベスト被害が表面化した『クボタ・ショック』でした。―― 急遽、『アスベスト・中皮腫外来』を立ち上げ、3ヶ月間外来に出ました。―― 病理学者として『今すぐにでもできること』はないか ―― それこそが『がん哲学外来』だったのです。 診療ではなく、セカンド・オピニオンでもなく、がん相談や心理カウンセリングとも違う。『がん哲学外来』は日本のがん医療に足りないもの、気づいていない『何か』を埋める『すき間サイエンス』であり、がん医療改革のための『場の設定』なのです。】

 2009年3月30日発行 毎日新聞社『がん哲学外来入門』の序章【はじめに】では、【がんを自分の生を考えるきっかけととらえる ―― 自らの中にできたがんという細胞と対話することによって、『よく』生きることの意味を問う ―― がんの闘病生活を送っている人、とりわけ治る可能性が低いと宣告された人に最も必要なのは、慰めや励ましの言葉ではなく、自分を掘り下げる哲学なのではないでしょうか。そんな思いから『がん哲学』は生まれました。この言葉をきっかけに、がんという病気のこと、生と死について、医療の在り方など、さまざまな議論のきっかけになればと願っています。】と記載している。

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