第405回 『汝の最も近くにある義務を尽くせ』 〜 『生きる証』 〜
2024年5月23日 新渡戸稲造記念センターに寄り、【新渡戸記念中野総合病院】倫理委員会に出席した。 5月24日は、病理組織診断の業務を終えて、筆者にとっては、ドキュメンタリー映画『がんと生きる言葉の処方箋』に続いての2作目のドキュメンタリー映画『新渡戸の夢 ~ 学ぶことは生きる証 ~』の特別試写会に赴いた。
新渡戸稲造(1862-1933)は幕末、盛岡に生まれている。 札幌農学校に学び、卒業後は東大に入学するが、この面接試験で将来の希望について『我太平洋の架け橋とならん』と答えたという逸話を残している。 しかし新渡戸稲造は東大の学問レベルに満足せず、アメリカに留学する。 帰国後、母校である札幌農学校の教授に就任、教育と研究に勤め、また北海道開発の諸問題の指導にあたるが、体調を崩してカリフォルニアに転地療養をすることになる。
このカリフォルニアでの療養中に書き上げ刊行したのが『武士道』である。 その直後、台湾総督府に招聘されて台湾に渡り、農業の専門家としてサトウキビの普及、改良、糖業確立へと導く。 また学問・教育の世界では、東大教授と第一高等学校校長の兼任、東京女子大学学長などを歴任した。 そして第一次世界大戦後、国際連盟設立に際して、初代事務次長に選任され、世界平和、国際協調のために力を尽くしている。
国際連盟事務次長時代の新渡戸稲造が設立したのが、知的協力委員会である。 世界の幸福を願い、世界中の叡智を集めて設立した知的協力委員会には哲学者のベルクソン(Henri-Louis Bergson 1895-1941)や 物理学者のアインシュタイン(Albert Einstein 1879 - 1955)、キュリー夫人(Madame Curie 1867-1934)らが委員として参加、第一次世界大戦後に困窮が著しかった各国の生活水準の調査や知的財産に関する国際条約案を検討し、各国の利害調整にあった。 この知的協力委員会の後身がユネスコである。 まさに、新渡戸稲造が愛読したカーライル(Thomas Carlyle 1795-1881)の『汝の義務を尽くせ。汝の最も近くにある義務を尽くせ、汝が義務と知られるものを尽くせ』の実行である。