第392回 脳裏に焼き付く 〜 苦痛の中に、品性は出てくる 〜

 2024年3月20日(春分の日)『がん哲学外来あびこカフェ代表 中野綾子氏』が企画された【がん哲学外来亀有メディカルカフェ開設記念 樋野興夫先生講演会】(亀有教会において)に赴いた。 会場は多数の参加者であった。 大いに感激した。 総合司会:潮田清美氏 、開演挨拶:小暮信子氏で始まり、その後、中野綾子氏による『樋野先生へ 複数のインタビュー』を受けた。 

 『樋野先生のふるさと』について質問された。【712年に編纂された『古事記』に登場する『医療の原点を教えてくれる大国主命』の出雲大社から8キロほど、峠を越えて美しい日本海に面した小さな村が、私の生まれ育った出雲市大社町鵜峠(現在 人口約30名 空き家60%)である。 隣の鷺浦地区と合わせて『鵜鷺(うさぎ)』(小学校中学校は廃校)と呼ばれている。 私の故郷は無医村であり、幼年期、熱を出しては母に背負われて、峠のトンネルを通って、隣の村(鷺浦)の診療所に行った体験が、今でも脳裏に焼き付いている。 私は、人生3歳にして医者になろうと思ったようである。】と説明した。

 『樋野先生の言葉の処方箋の原点』についても質問された。【私の生涯に強い印象を与えたひとつの言葉は、鵜鷺小学校卒業式の『ボーイズ・ビー・アンビシャス(boys be ambitious)』 である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラークの精神が内村鑑三(1861-1930)& 新渡戸稲造(1862-1933)& 南原繁(1889-1974)& 矢内原忠雄(1893-1961)であり『若き日から、この4人の本を静かに熟読し、言葉の処方箋を習得した』】と答えた。

 『生ける魚は 水流に逆らいて泳ぐ』についても説明を求められた。 【人生は、必ずつらいことにあたる。 苦痛の中にいるからこそ、品性が出て生きられる。 死せる魚は 水流と共に流れる。】 と 答えた。 その後、筆者は、別室で個人面談の機会が与えられた。【終わりの挨拶で伊香保温泉街の『365の石段』を述べ、『人生は階段を上る如く不連続の連続性の成長』】とさりげなく答えた。『世界に一つだけの花』を皆様と熱唱して終えた。 参加者の皆様の真摯な姿に大いに感動した。

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