第374回 壮大な富士山 〜 風貌を診て、心まで読む 〜

 筆者は2024年1月9日、第110回『がん哲学外来メディカル・カフェ@よどばし』(淀橋教会に於いて)で さりげなく『ヨブ記』(旧約聖書)を語った。

 【『ヨブ』が病気になった時に友人が見舞いに来た! 1)『ヨブ』にどう言ったか?  2)『ヨブ』はどう反応したのか?  3)元気な時に言う言葉と、苦しんでいる時に同じ言葉を言われた時どう受け取るか?  4)何を言った時に相手が嫌になったのか?  5)健康な時には会いたい友達がいても、病気になったら ―― 6)すべてを神さまにお任せしようという敬虔な思いと  7)この苦難を到底受け入れられない、『神さま、なぜですか!』という相反する思いが拮抗していますが、そのいずれも神にゆるされていて、人は思う存分、神に食ってかかってよいというのが『ヨブ記』の重大なメッセージなのだ】

 1月10日、西武池袋線の電車の中から、雪の積もる壮大な富士山を眺め 心が癒された。今は亡き母(1923年2月20日〜2019年6月3日)の、筆者の誕生の年(1954年)の元旦の夢が『富士山』であり、幼児の時から【富士山子】と母に励まされ『富士山』には特別な思いがある。 幼年期の想いの重要性を痛感する今日この頃である。 

 夏目漱石(1867 - 1916)の『ほかの所は何をみても東京の足元にも及ばないが(道後)温泉だけは ―― 立派なものだ』(『坊ちゃん』より)、『あれが日本一の名物だ(富士山)あれより他に ―― 自慢なものは何もない ――』(『三四郎』より)から『だけ』&『しかない』(『われ21世紀の新渡戸とならん』e-grape 発行2003年)が、『風貌を診て、心まで読む=病理医』の基本である。

 筆者の母は、島根県出雲市大社町鵜峠の自宅に於いて、安らかに 96歳の天寿を全うした。 母の兄達は、太平洋戦争で戦死し、末っ子の母が我が家を継いだ。 そして、祖父から『樋野興夫=ひのおきお=Origin of Fire』と命名されたとのことである。 今日は 富士山を眺めながら、『何の為に、この地で、生まれたのか?』】を深く静思した。

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