第332回 『出雲の旅』 〜 人生の原点の振り返り 〜

 2023年7月11日 息子達と帰郷(島根県出雲市大社町鵜峠)した。 坂の上にある筆者の父母の墓地を訪れた。 それから坂を降りて日本海の港を散策した。 筆者にとって、鵜峠(うど)は人生の原点である。 鵜峠は現在約40名の人口で、60%は空き家で無医村である。 筆者は、幼年期、熱を出しては母に背負われて、暗いトンネルの中を通って、隣の村(鷺浦)の診療所に行った体験が、今でも脳裏に焼き付いている。 筆者は、人生3歳にして医者になろうと思ったようである。 今回は、部屋に飾られている 今は亡き母と父の写真をみつめて人生の原点を振り返った。

 今は、廃校になった鵜鷺(うさぎ)小学校の卒業式での鵜峠からの来賓の挨拶『少年よ、大志を抱け』【1887年札幌農学校のウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark、1826 - 1886)の言葉】を、今でも強烈に覚えている。 筆者の人生の起点であると言っても過言でなかろう。 その後、札幌農学校の2期生でクラーク精神を引き継ぐ『内村鑑三(1861-1930)・新渡戸稲造(1862-1933)』が、筆者の人生の機軸として導かれ、『南原繁(1889-1974)・矢内原忠雄(1893-1961)』との間接的な出会いも与えられた。 英文で書かれた『武士道』(新渡戸稲造)と『代表的日本人』(内村鑑三)は、若き日からの座右の書となった。思えば筆者の人生は、小さな村での少年時代の原風景、学生時代の読書遍歴{内村鑑三・新渡戸稲造・南原繁・矢内原忠雄}であった。

 7月12日は、島根大学医学部(出雲市)の医学科看護学科1年生の授業【医療倫理プロフェッショナリズム:『がん哲学 ~ コロナ時代の哲学 ~』】に赴いた。

『がん哲学 = 生物学(吉田富三) + 人間学(内村鑑三・新渡戸稲造・南原繁・矢内原忠雄)であると学生に語った。 南原繁が東大総長時代の法学部と医学部の学生であった二人の恩師から、南原繁・吉田富三の風貌、人となり をうかがったものである。 50年前の教育が今に生きる。 これが教育の原点であろう。 大学生の教育の重要性を痛感する日々である。 また、学生から寄せられた心温まるコメントには、大いに感激した。 そして、息子の運転で、出雲空港に向かい帰京した。 今回は、大変充実した貴重な『出雲の旅』となった。




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