第315回 『自由にして勇気ある行動』〜 『スケールの大きい、愛情豊かな人物』 〜

 2023年4月21日 東洋経済新報社から、新刊『もしも突然、がんを告知されたとしたら。』の発売の連絡を頂いた。多数の方に、読んで頂ければ、望外の喜びである。

 


4月21日には第31回日本医学会総会に出席した(東京国際フォーラムに於いて)。 日本医学会会長 門田守人先生が講演で、1947年の東京大学入学式の南原繁(1889-1974)総長の式辞をスライドで提示された。 大いに感動した。 その後、筆者が第3代目代表を務める南原繁研究会の総会(学士会館に於いて)に向かった。 筆者は、2004年にスタートした南原繁研究会 【初代代表、鴨下重彦 先生(1934年-2011年、東京大学名誉教授、国立国際医療センター名誉総長)、第2代代表、加藤 節 先生(成蹊大学名誉教授)】の3代目の代表を、2019年 南原繁生誕130周年を祝し、仰せつかった。 今回の研究会では、鈴木規夫先生が、自由発表『尾崎秀実における〈民族〉の位相 ─ 東アジア知識人のジレンマ─」』をされた。 日々勉強である。 筆者は、7月の自由研究『新渡戸稲造(1862-1933)』を依頼された。 帰宅の電車の中では、後藤康夫氏と『内村鑑三(1861-1930)、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄(1893-1961)』の話で大いに盛り上がった! 大変有意義な会話の時であった。 

 若き日、筆者に強い印象を与えた言葉は『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(Boys, be ambitious) である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神を内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄から静かに学んできたものである。 南原繁は戦後最初の東大総長で『明治以降、新渡戸稲造先生に勝る教養と広さの人はいない』&『教育というのは、全てものを忘れた後に残る』と語っている。 筆者の恩師は南原繁が東大総長のときの医学部の学生で、『スケールの大きい、愛情豊かな人物だった』と、南原繁の話をよく聞いたものである。『時代を動かすリーダーの清々しい胆力』としての『人間の知恵と洞察とともに、自由にして勇気ある行動』の持ち主であった南原繁が思い出される今日この頃である。『はしるべき行程』と『見据える勇気』は、『社会貢献の羅針盤』ではなかろうか! 人知を超えて、時が進んでいることを痛感する日々である。 まさに、『いま ふたたび 南原繁!』の時代的到来を予感する!

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