第284回 人生の鎔炉(ようろ) ~ 鍛えられて実得 ~

 2022年12月13日 第98回『がん哲学外来メディカル・カフェ@よどばし』(淀橋教会に於いて)に赴いた。 『ながれやま・がん哲学外来カフェ』代表:春日井いつ子氏、『岡倉天心記念がん哲学外来・巣鴨カフェ「桜」』代表:山本ひろみ氏、千葉県八千代市の山河正信氏も参加されていた。 会場から真摯な質問も多数寄せられ、大変有意義な充実した時間であった。 継続の大切さを痛感する日々である。 来年(2023年7月)は、9周年記念会が企画されるようである。


「自分より困った人に 手を差し伸べようとすれば、自らの役割が生まれ、逆境はむしろ順境になるのです」&「目的は高い理想に置き、それに到達する道は臨機応変に取るべし」(新渡戸稲造;1862-1933)の教訓が鮮明に蘇ってきた。 これこそ、『コロナ時代の心得の実践』ではなかろうか! 日々勉強である。

 その後、新大久保駅→池袋駅→東久留米駅に向かった。 東久留米市の喫茶店ジョナサンで、吉川健一氏、相田英子氏と【『旧約聖書のヨブ記』の「ヨブの人生」について、そもそも「ヨブ記はいかなる書であるのか?」】とのニューモア溢れる話で大いに盛り上がった。

 【人は何故に艱難に会うのか? これがヨブ記の課題である。 人生最大問題の一である。 実にヨブは生涯の実験 ―― 殊に悲痛なる実験―― を以て問題を提出せられたのである。 ヨブは患難の連続を以て患難の意味という問題を提出せられ、そして事実的の痛苦煩悶苦闘を以てこれに答えざるを得なかったのである。 実にヨブは実験を以て大問題を提出せられ、実験を以てこれに答えしめられたのである。 火と燃ゆる人生の鎔炉(ようろ)に、鉄は鍛えられんとするのである」&「しかし解答は与えられずして 与えられたのである。 そしてすべての懊悩(おうのう)痛恨を脱して大歓喜の状態に入る」】(ヨブ記講演;内村鑑三1861~1930)。まさに、「自由意志を持つ者として造られた人間が、自分の意思で選ぶ」ことであり、『人は何事によらず 円満と称して円形を要求するが、天然は 人の要求に応ぜずして 楕円形を採るはふしぎである。 患難の坩堝(るつぼ)の内に燃え尽くす火に 鍛えられて初めて実得し得るものである。』の学びの時である。 

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