第267回 体内細胞 〜 人間社会の縮図 〜

  今週、2011年5月19日の東大YMCAで『がん哲学』セミナーを行ったことが鮮明に蘇ってきた(写真)。


『がん哲学』とは、若き日から学び続けている南原繁(戦後初代の東大総長)(1889〜1974)の『政治哲学』と吉田富三(元癌研所長・東大教授・佐々木研究所長)(1903〜1973)の『がん学』をドッキングさせたもので、『がん哲学 = 生物学の法則 + 人間学の法則』である。

 物理的環境要因よりも、人間関係における環境要因が、人間形成に大きく影響を与えている。 自分が一番大事であるという考えを修正し、自分よりもさらに大切なものがあると考える必要がある。 自分の命よりも大切なものは『愛』でしかないであろう。 その『愛』を大切にしていく考え方に転換していく必要があるのではなかろうか! 

 また『がん哲学』を国際社会に当てはめると、世界の国々が、それぞれひとつの体の中のそれぞれの器官の役割をなすように関係し合えば、平和な社会が出来上がっていくはずである。 その中での日本の立場は『肝臓』であるべきであると考える(『日本肝臓論』)。『肝臓』という器官は、切られてもすぐに再生し、また異物に寛容な性質がある。 さらに、解毒・代謝作用がある。 日本という国自体も同様に、一部が機能しなくなったとしてもすぐに再生し、また異なる文化や社会を寛容に受け入れていく必要がある。 そうなるとき世界に重用されるようになっていくであろう。 

 現在の日本社会は、『正常細胞』が減少(『劣化』)し、細胞間のコミュニケーションの不足により『異常細胞』が増殖(『がん化』)する微少環境があり、このままでは『がん化』が選択的に進行してしまうという懸念があるのでは! 体内にしても 人間社会にしても、『正常細胞(使命を自覚して任務を確実に果たす)』の『社会学(自己制御と犠牲の上に成り立つ)』に学び生きることが大切である。 『社会集団』と『がん細胞』を対比すると、『真の目標を見失った細胞集団 = がん細胞』でありエゴイストの集団ということができる。 そのような『社会のがん化』を防ぐ唯一の活路として、共同体の理想像 = 『使命に燃える細胞集団』となっていくことの必要性を痛感する日々である。 

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