第211回 「common sense(社会常識)を備えもった柔軟性 〜 「Personality(人格)& Responsibility(責任)」 〜
「『がんと生きる 言葉の処方箋の英語版』が オンラインで見られるようになりました。 アメリカやオーストラリアにて 拡散お願いします。」との連絡が、野澤和之 映画監督から頂いた ( https://words.filmmaker-viale.com/ ) 。 大いに感激した。
また、『若き音楽家を育てる会』の上田幸伺 氏からは、ユーモア溢れる絵葉書が送られて来た。
上田幸伺 氏は、「『言葉の処方箋』講演会 & 上映会」を、企画されている。
コロナ時代、「汝のそば近くにある 義務を果たせよ」(新渡戸稲造;1862-1933)の言葉が鮮明に蘇って来た。
「1919年パリ講和会議が開催されている頃、『スペインかぜ』がフランスでも猛威をふるっていて、パンデミック(世界流行)で、感染者6億人、死者4000〜5000万人にも達したと推定されている。」と 以前に聞いたものである。 その時、新渡戸稲造はパリにいて、その後、国際連盟事務次長(1920〜1926)に就任している。 トーマス・カーライル(Thomas Carlyle;1795-1881)の影響を受けた新渡戸稲造は、「卓越した見識をもった素人救育者」であり、「common sense(社会常識)を備えもった柔軟性のある人格者」と謳われている。 まさに、教育者の資質は、「21世紀を背負って立つべき国際人としての日本人の育成」であろう! 新渡戸稲造の教育理念は、「Personality(人格)のないところには、Responsibility(責任)は生じない。」であると 筆者は、若き日、よく聞いたものである。
「コロナ時代の生き方」が問われている現在、「新渡戸稲造なら、何と語るのであろうか?」の静思の日々である。 「われを生み給うは、父母、われを人となし給えるは師なり」&『「何を学ぶか」も大事だが、それ以上に「誰に出会うか」がもっと大切である。』の言葉が「コロナ時代の生き方」の教訓ではなかろうか!?