第194回 『がん病理学者の社会貢献』 〜 「がん」から学んだものを生かす 〜

 2021年4月13日、順天堂大学医学部 大学院博士課程 ビデオ収録講義『がん学』(177名対象)に赴いた。  4月14日は、順天堂大学 診療放射線学部(120名:対面60名、Zoom 60名)ハイブリッド講義『病理学概論』(3時限目)、『がん医療科学』(4時限目)、さらに、夜は、順天堂大学医学部 大学院修士課程 講義『がん病理学』(44名対象)の 機会が与えられた。大変充実した、有意義な時であった。

 [『がん学』 は「がん」に関しての学問で、『形態』、『起源』、『進展』などを追求する学問分野である。  当然がん研究者だけのものでなく、一般社会の人々の為の学問でもある。  がん研究者が『がん』 をどの様に考えるかは、とても大切なことである。  なぜなら『がん』に対する概念が世界観、人生観、ひいては日常の決断や行動をも 時には決定するからである。  「がん」の『起源』 と『進展』を学ぶことは、ある意味では 人生の意義と目的の『静思』 へとも導くものと考える。]。  

 また、『「人間は、ロビンソン・クルーソーの様に 孤島にひとり住んでいたのでは、良い人か 悪い人かは 判らない、人間社会の中に住まわせてみて 初めてその性(サガ)が明らかになる。  がん細胞もしかり。」、「がん細胞は 増殖して仲間が増えると、周囲の正常細胞からのコントロールを脱し、悪性細胞としての行動をとるようになる。  君達学生諸君も似たところがある。  一人ひとり話をすると、常識もあり善良な青年にみえるのだが、学生自治会として集団行動をとると、変なことを云ったりしたりする。」、電子計算機時代だ、宇宙時代だといってみても、人間の身体の出来と、その心情の動きとは、昔も今も変ってはいないのである。  超近代的で合理的といはれる人でも、病気になって、自分の死を考へさせられる時になると、太古の人間にかへる。  その医師に訴へ、医師を見つめる目つきは、超近代的でも合理的でもなくなる。  静かで、淋しく、哀れな、昔ながらの一個の人間にかへるのである。  その時の救いは、頼りになる良医が側にいてくれることである。』

との、がん病理学者 吉田富三(1903 – 1973)からの学びを、さりげなく語った。

 中には、樋野興夫のブログ「楕円形の心」 を読んでくれていた学生がいた。 大いに感動した。  

「医療者の2つの使命~」

(1)「学問的、科学的な責任」で、病気を診断・治療する→学者的な面

(2)「人間的な責任」で、手をさしのべる→患者と温かい人間としての関係

社会をよく見て、「がん」から学んだものを生かす=社会性(ソシアリテイ)(新渡戸稲造の精神)であり、これこそ、『がん病理学者の社会貢献』 ではなかろうか!

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