第182回「賢明なリーダー と イニシアチブ」」〜 「Union is Power」〜
武蔵野大学看護学部のZoom授業「病理学」に赴いた。 今回は、『腫瘍』について講義した。 真摯な学生の態度には、感激した。
武蔵野赤十字病院「臨床研究倫理審査委員会」に出席した。 委員会メンバーをはじめ、泉並木 病院長、事務部 総務課の清水竜彦氏、大山千裕 氏の、心温まる配慮には、ただただ感服した。 武蔵野赤十字病院の総合ビジョン:職員の2つの使命 1)専門的 2)人間的 を実感した。 精神的デフレが進む現代、総合ビジョンを 問い直す機会であろう! 「目的は高い理想に置き、それに到達する道は臨機応変に取るべし」(新渡戸稲造)の教訓が 今に生きる。 「賢明なリーダー と イニシアチブ」の存在は、時代的要請であろう!
「機会をつくるのも、それを用いるのも、人であります」(新渡戸稲造)の学習の時である。 「所詮われわれには、『畳1枚ほどの墓場』しか残らない。 『勇ましき高尚なる生涯』の生き様を見せるしかない。 これが、真の「器量」ではなかろうか! 「器量」といえば、『桃太郎』を思い出す。 鬼ケ島遠征の物語は、子供時代、村のお寺の紙芝居でよく聞かされたものである。 桃太郎が犬・雉・猿という性質の違った(世にいう犬猿の仲)伴をまとめあげたことを挙げ、世に処する人は「性質の異なった者を 容れるだけの雅量」を もたなければならないと 新渡戸稲造は『世渡りの道』(1912年)で述べている。 これは、「競争の名の下に、実は 個人感情で 排斥をする自称リーダーヘの 警鐘」でもある。
「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。 嘆くのに時があり、踊るのに時がある」の厳しい現実である。 今は、まさに「泣く時、嘆く時」であろう。 88年前の1933年3月3日に 三陸で地震の大災害があったと記されている。 その時、 新渡戸稲造(1862-1933)は 被災地 宮古市等沿岸部を 視察したとのことである。 その惨状を 目の当たりにした 新渡戸稲造は「Union is Power」(協調・協力こそが力なり)と 当時の青年に語ったと言われている。 まさに、今にも生きる言葉である。 時代の波は 寄せては返すが「人の心と 歴史を見抜く 人格の力出でよ!」。 行動への意識の根源と原動力をもち、「はしるべき行程」と「見据える勇気」であろうか! 筆者は、「日本国のあるべき姿」として「日本肝臓論」を展開している。 日本国 = 肝臓という「再生」論に、行き詰まりの日本を打開する具体的なイメージが獲得されよう。 人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担とお互いの非連続性の中の連続性、そして、傷害時における全体的な「いたわり」の理解は、世界、国家、民族、人間の在り方への 深い洞察へと誘うのであろう。 (1)賢明な寛容さ (the wise patience)(2)行動より大切な静思 (contemplation beyond action)(3)実例と実行 (example and own action) の実践である。 すべての始まりは「人材」である。 まさに、「人生いばらの道 されど宴会」の日々である!