第169回 『聖書とがん』の原点 〜 立場を超えて集う「交流」の場 〜

 この度、新刊『聖書とがん』(2020年10月20日 イーグレープ 発行)が出版される運びとなった。大変好評のようである。
 早速「さきほど『聖書とがん』が届きました。まだ開いたばかりですが、病理学者の興夫さんにしか書けないようなインパクトがありました。」との温かい、励ましのコメントが寄せられた。 思えば、筆者の著作の原点は、同じく「イーグレープ」発行の2003年11月10日発行『われ21世紀の新渡戸とならん』である。 「イーグレープ」の穂森宏之 氏の「英断と真摯なる姿勢」には、ただただ感謝である。17年の歳月が流れた。「小さな湧き水が、いつかは 大きな流れるになる」を実感する日々でもある。  人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担と、お互いの非連続性の中の連続性、そして、傷害時における全体的な「いたわり」の理解は、世界、国家、民族、人間の在り方への深い洞察へと誘うであろう。 これが『聖書とがん』の原点である。「がん」は、医師と患者、患者家族の「心情」の課題でもある。「がんゲノム医療」へと進歩している中で、医師とがん患者、がん患者の家族がそれぞれの立場から「がん」と どのように向き合っていくかを中心に、医師は、患者の心情を察し、患者とその家族に「思いやり」と「いたわり」の心を持って接することが重要である。『他人の苦痛に対する思いやり』と『豊かな心』は、医療の根本であり、患者の視点に立った がん医療が求められる現代において本誌は、立場を超えて集う「交流」の場になるのではなかろうか!。 新刊『聖書とがん』が「患者主体の医療」の基盤整備の一助となれば幸いである。 『聖書とがん』の5ヶ条 (1)「明晰な病理学的診断」 (2)「冷静な外科的処置」 (3)「知的な内科的診療」 (4)「人間力のある神経内科的ケア」 (5)「人間の身体に起こることは、人間社会でも起こる=がん哲学」

このブログの人気の投稿

第2回 『何があっても、いつ、どこにあっても なくてはならない人に おなりなさい』

第108回 矢形 寛 先生の生涯 〜「火焔のうちにある 燃料の如く 自ら燃えよ!」〜

第381回 『よくみる よくきく よくする』〜 寄り添う いい言葉 〜