第134回 新渡戸稲造読書会in 新渡戸記念中野総合病院 〜「21世紀の知的協力委員会」〜


 筆者が、新渡戸稲造記念センター長を務める、新渡戸記念中野総合病院での 第1回 新渡戸稲造読書会「新渡戸稲造著『武士道』」(矢内原忠雄訳 岩波書店発行)に出席した。

「東京医療生活協同組合 新渡戸記念中野総合病院」は、新渡戸稲造 (1862-1933)・賀川豊彦 (1888-1960)ら によって創設された(1932年)。筆者の、「新渡戸稲造記念 センター長 就任1周年記念」でもある。 今回は、第1章『道徳体系としての武士道』で、入江徹也 理事長/ 病院長、山根道雄副院長の朗読であった。「自分の力が人に役に立つと思うときは進んでやれ」 (新渡戸稲造)の 時代的実践であろう!

 思えば、癌研時代、今は亡き 原田明夫 検事総長との、2000年『新渡戸稲造 武士道100周年記念シンポ』は、筆者が「陣営の外」に出る、大きな人生の邂逅となった。さらに、『新渡戸稲造生誕140年』(2002)、『新渡戸稲造没後70年』(2003年)も一緒に、企画する機会が与えられた。順天堂大学に就任して、2004年に、国連大学で『新渡戸稲造 5000円札さようならシンポ』を一緒に開催したのが 走馬灯のように駆け巡ってくる。

 新渡戸稲造は、札幌農学校に学び、卒業後は東大に入学するが、この面接試験で将来の希望について「我太平洋の架け橋とならん」と答えたという逸話を残している。 しかし新渡戸稲造は東大の学問レベルに満足せず、アメリカに留学する。 帰国後、母校である札幌農学校の教授に就任、教育と研究に努め、また北海道開発の諸問題の指導にあたるが、体調を崩してカリフォルニアに転地療養をすることになる。 このカリフォルニアでの療養中に書き上げ、刊行したのが、『武士道』である。 当時36歳の保養中(1899年)の『武士道』(1900年発行)には、275名の人名が記述されている。日本人 83名、イギリス人 60名、ドイツ人 21名、ギリシャ人 20名、ローマ人 19名、アメリカ人 18名、フランス人 16名、中国人 6名、その他 32名である! 驚きである。 これは、新渡戸稲造の札幌農学校の学生時代の読書歴の賜物であろう! 

 その直後、台湾総督府に招聘されて台湾に渡り、農業の専門家としてサトウキビの普及、改良、糖業確立へと導く。 また、東大教授と第一高等学校校長の兼任、東京女子大学学長などを歴任した。 そして第一次世界大戦後、国際連盟設立に際して、初代事務次長に選任され、世界平和、国際協調のために力を尽くしている。  国際連盟事務次長時代の新渡戸稲造が設立したのが「知的協力委員会」である。 世界の幸福を願い、世界中の叡智を集めて設立した「知的協力委員会」には哲学者のベルグソンや物理学者のアインシュタイン、キュリー夫人らが委員として参加、第一次世界大戦後に困窮が著しかった各国の生活水準の調査や知的財産に関する国際条約案を検討し、各国の利害調整にあった。 この「知的協力委員会」の後身がユネスコである。 今回の読書会は、まさに「21世紀の知的協力委員会」の予感がする!  次回は、第2章「武士道の淵源」で、横井事務局長、中野看護部長の朗読である。 乞うご期待である。

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