第117回 『代表的日本人』(内村鑑三 著)と『武士道』(新渡戸稲造 著)の読書会

 筆者は、東京情報大学(千葉県千葉市)の看護学部1年生対象の病理学の授業に赴いた。学生の真摯、誠実な態度には、心が慰められる。医療従事者にとって「医学の基本である『病理学』」の重要性を再認識する日々である。 その後、定例の第35回「矢内原忠雄記念 がん哲学外来 本郷通りカフェ」(文京区本郷の ゆい訪問看護ステーション に於いて)に向かった。盛り上がった。

 矢内原忠雄(1893-1961)は、南原 繁(1889-1974)に続いて東大総長となった。矢内原忠雄もまた、第一高等学校で新渡戸稲造(1862-1933)と出会い、内村鑑三(1861-1930)の『聖書之研究』を読み、東大では また新渡戸稲造の講義を聞き、このふたりの影響を深く受けている。矢内原は国際連盟事務次長就任として転出した新渡戸の後任として東大経済学部教授となり、植民政策の講座を担当するが、軍国主義が台頭するなか、国の正義に反する動きを批判し、憂国の言葉が批判の的となり、東大を追われた。以後、『嘉信』を刊行し、また著作を発表して行く。そして戦後、東大に復帰、教養学部の初代学部長に就任、やがて南原繁の後任として、東大総長に選任されるのである。

 筆者は、小学校の卒業式の来賓の挨拶「少年よ、大志を抱け」(1887年札幌農学校のクラーク博士の言葉)を強烈に覚えている。人生の起点であると言っても過言でなかろう。その後、人生の機軸でなる内村鑑三 & 新渡戸稲造」へと導かれ、「南原 繁 & 矢内原忠雄」との 間接的な出会いが与えられた。英文で書かれた代表的日本人(内村鑑三 著と『武士道(新渡戸稲造 著)は、筆者にとっての若き日からの座右の書である。悩める時に、いかに勇気づけ、励まされたことか。この2冊の読書会は、交互に毎月 継続している。



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