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第528回 『温故』し『創新』する 〜 本気でする胆力 〜

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 目白カフェ代表の森 尚子氏から【平和の象徴『樋野動物園』 冗談を本気でする胆力】が送られて来たのが鮮明に思い出された。 また、【がん哲学の活動は 終末期の患者さんだけでなく、現在治療に取り組まれている方や 経過観察中の方のスピリチュアルな痛みの存在を受け入れ、それぞれの方が 心の器を育てる 大切な役割を果たす、緩和ケアの場所だと思っております。】(齋藤智恵美 氏 より)のメールを頂いたものである。 涙なくしては語れない!   筆者は、内村鑑三(1861-1930)の『後世への最大遺物』から【大いなる人物というのは、収穫物というのは、存命中に実を結んだものだけではない。 故に後世に生まれた我々が これを『温故』し『創新』することによって現代に貢献できる。 これは『勇ましき高尚なる生涯』である。『勇ましき高尚』の『高尚』とは、人のために、我を忘れてやるものが高尚であり、『勇ましき』というのは イエスかノーかを はっきり言えることであろう。】学んだ。  筆者は、小学校の卒業式で来賓が話された『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious)(1877年 札幌農学校のウィリアム・スミス・クラークWilliam Smith Clark:1826-1886)博士の言葉)が胸に染み入り、希望が灯るような思いを受けたものである。 筆者の人生の起点であると言っても過言ではない。 札幌農学校におけるクラーク精神が、内村鑑三と新渡戸稲造へと導かれ、英文で書かれた『代表的日本人』(内村鑑三)と『武士道』(新渡戸稲造)は、若き日から筆者の座右の書となった。 2007年からこの2冊の本の読書会を毎月継続的に行なっている。【樋野興夫先生の『言葉の処方箋』】として下記が紹介されている。 『人生の目的は、品性の完成にある』 『人生に期待しない。人生から期待されていると考える』
 『生きている限り、人には使命がある』 『つらいときこそ、自分と向き合うチャンスだと想う』
 『本当に大切なものは、ゴミ箱の中にある』
 『死はどんな人にも確実に訪れる。だからといって おびえて生きることはない』 『問題は解決できなくても、解消できさえすればいい』 『相手が間違っていても否定しない』
 
『自分の人生に潔く(いさぎよく)専念する』 『夕暮れ時に、光がある。終わりに輝きがある』

第527回 人生の分れ道 〜 どちらの道をとるか 決める 〜

 2026年2月1日(日曜日) 、WifeとCAJ(Christian Academy in Japan)のキャンパスの中にあるKBF(Kurume Bible Fellowship)に出席した。 聖餐式(communion)の日でもあった。 今回は、【 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。 やみが彼の目を見えなくしたからです。】(ヨハネの手紙一第 2 章10節、11節)の復学となった。  【『自分より困った人に 手を差し伸べようとすれば、自らの役割が生まれ、逆境は むしろ順境になるのです』&『人間の知恵と洞察とともに、自由にして勇気ある行動』】(新渡戸稲造:1862-1933)の教訓か鮮明に蘇って来た。  【『――、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。 なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。』(コリント人への手紙第二12章10節)&『――あなたがたは 心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。』(ヨハネの福音書14章27節)】の復習となった。まさに、『Stand in the gap(隙間に立つ)』の心得であろう。   Wifeと 東久留米駅でのレストランで昼食後、Wifeは、6歳の『英語レッスン』で大泉学園に向かった。 筆者は、東久留米市の落合川を散策した。【『川の中を泳ぐ鯉』&『川辺の鴨』】を見て川の中を泳ぐ鯉、川に浮かぶ鳥を見ながら、『公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ』(アモス書 5章 24節)を実感した。また、『公園での小学生の野球練習』を観て 心休まる時となった。  『真の知識と あらゆる識別力によって、――、真にすぐれたものを 見分けることができるになりますように。』(ピリピ人への手紙  1章 9、10節)の実践の場である。 まさに、『大胆に確信』(エペソ人への手紙 3章 12節)を持って、『湧き水なれ』の復習の日曜日となった。